日本の魅力

2008 年 9 月 10 日

今から27年以上前、青年海外協力隊に参加して、アフリカ東南部に位置するマラウイ共和国に2年間生活をする機会を得ました。独立してまだ十数年しかたっていないころなので、かなり変わったかも知れませんが、とても刺激的で考えさせられる毎日を送ることができました。帰国して、翻訳・通訳・国際会議などを扱う会社に在籍していたこともあり、欧米に出張へ行ったり、海外の方々と連絡や仕事をすることも多くありました。

個人的には、このような経験をバックにして、文化論的な話題にはとても興味があります。ひとくくりにできない面も多くあるため、「アフリカは」とか「欧米は」とか「日本は」とか言い切るのは、時にまずいことを承知の上で、日本の魅力を述べてみたいと思います。

何より自由だと感じられることだと思います。宗教・文化的な制約、圧力が極端に小さいこの国は、本当に自由を謳歌できます。塾通いなどを強制されているなどの問題も、もちろんあることは認めますが、通常、社会的な弱者である子供がとても保護されています。特に親の影響がかけられなくなるハイティーン以降の女の子の自由さは世界ダントツではないでしょうか。

「かわいい」「好き」「嫌い」「ださい」「びみょー」・・・。感情をストレートに表わすことは良いことなのです!表わしながら周囲とコミュニケーションしていきます。洋服や持ち物、化粧はすべて自分の表現であり他人とのコミュニケーションの手段です。マスコミに踊らされているという人もいますが、何の何の!若者たちが自分の気持ちや感性に敏感なだけだと思います。これほど(本来)経済的な弱者である女・子供がのびのびとしている日本は、私はすばらしいと思います。「竜宮城」ではないか、といつも思っています。

宗教や伝統文化は個の感情や欲に対して高圧的なものです。イスラムの戒律の厳しさだけでなく、キリスト教でも、仏教でも、原則、個人の欲を悪いものだと規定しています。

大麻の事件で大揺れの毎日ですが、大麻については違法という規定があるからこのように悪とみなされていますが、毎日のテレビでビールをごくごく音をたてて飲むようなCMが流れている日本は世界的に見れば非常に特殊です。アメリカでは(アルコール中毒の人への配慮もあり)このようなCMは、飲みたい欲をあおる「悪い」情報伝達とされているのです。

知人のお子様がアメリカの路上でビールを飲んでいて、逮捕されたというお話を伺いました。なんと一晩牢屋に入れられたのです。もちろん、家の中でビールを飲むことは決して違法ではありませんが、路上でビールを飲むことは、まぎれもなく恥ずべきこと、やってはならないことなのです。日本の文化を外国に持っていくとこのようなトラブルを生じることがあるでしょう。でも、決してこのような行為をする若者を非難できないのです。

ジュージューと焼けているお肉、きれいに泡立ったビール・・・。私たち日本の日常は食欲を刺激するものであふれかえっています。感情をストレートに表し、電車の中で化粧をする。何が何だかわからないこの日本。なぜ無秩序にならないのか、どこまでならOKなのか。私はワクワクしながら、毎日を送っています。

4 Responses to “日本の魅力”

  1. SALTY-SALTY Says:

    「塾通いを強制されているような問題」という文章に異議があります。誰に強制されているのでしょうね。親でしょうか?息子も塾通いをしていますが、私たち親が強制しているものではありません。今の時代、塾や習い事に通っている子どもがほとんどですので、時間があっても遊びたい子と遊べるとは限らず、どうかすると誰とも遊べない可能性だってあるのです。この記事の本題から外れてしまって申し訳ないのですが、自分の希望で塾通いを始める子どもの方が多いのではないかと思います。
    それと社会からのさまざまな分野でのスペシャリストの要請のため、自然と子どものうちから将来についての選択を迫られているのだと思います。

  2. SALTY-SALTY Says:

    日本の自由には、それに見合った責任感というものが感じられないので、残念です。電車の中で化粧をする子は自分の家族や交際相手の前では化粧をしないのでしょう。不特定多数にはどう思われてもよいのだけれど自分の知人にはよく思われたい。。何だか悲しい。匿名で生きているんですね。どれくらいの人がそうなのでしょうね。都会では人にまぎれて自分を何となくやり過ごしていけるのでしょう。。。これが田舎だと「どこどこの誰々がいつ何をしていた」とぱっと広がるのでしょう。。。どっちもしんどそうです。

  3. admin Says:

    ■塾通いについて
    強制という言葉がきっと不適切、あるいは説明が不十分だったと思います。子供は当然のこと、親も、「幸せ」や「成功」のための可能性を高くする、あるいは選択肢を広げることは学力を高めることのように考えてしまっているのではないでしょうか。かなり強い殺し文句だと思います。つまり暗黙の外的または内的な圧力を「強制」としたわけです。
    本人も親も社会も、本当に与えたいのは生きていく力。その根本は考える力であり、解決する力です。特に解決する力には伝える力、協力する力が必要になります。そのようなトレーニングの一つとして学校があり塾も利用できると、皆がわかっていれば、全く問題はないのですが、塾に行ったら試験の点が良くなるとか、いい学校へ行けることを期待したり、期待されることを前提で仕事を行うことなどがマイナスのことではないかと思います。
    いずれにしても、いろんな人や知識や出来事に触れ合うことが何より自分を育てることですからいいと思います。

  4. admin Says:

    ■電車の化粧
    電車の化粧はわかりやすい例だと思って使いました。賛否両論あるという意味です。でも、たとえばテレビでの「料理」「食事」「飲酒」。あれだけ食事が大好きなラテンの国でも、きっと日本ほど料理番組がさかんなところはないのではないでしょうか。アングロサクソン系の国で過ごしたのではありませんが、ピューリタンの精神からして、文化的にあまり許容されないと思います。イスラムでは論外。
    食事をすることも、化粧をすることも、非常にプライベートなものだと思われている国が大多数だと思います。
    貧しくて料理の中身を見せられないことも、食べ方を見せたくない人もあるでしょう。アフリカなどでは、本当に仲のいい関係になって料理をいっしょにできます。料理はお客様に出しますが、いっしょに食べるのは主人だけです。子供や奥さんと食べたり、若い娘が男性と食べたりすることは、限りなく恥ずかしいことなのです。(ちょっと事前に考えておくべきこと、という意味)
    もちろん、恥ずかしくしてほしい、と思って話しているのではありません。これほど「自由」であり「あけっぴろげ」、あるいは「制約がかかっていない」という意味です。
    結婚前のきれいな女性が「ごくごく」とビール(お酒)を飲みながら、口のまわりに泡をつけ、「ふー」なんて。すごい表現をいとも簡単にやってのけます。それに対する制約はありません。
    「恥の文化」とされた日本が、今では一番はずかしさを露出しているのです。
    外国から来た若い女性たちはこの自由な日本にはまってしまいます。もちろん、自由を謳歌することが当然に育ってきた日本の女性たちも。

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