KYを嫌う日本人なのに
2008 年 10 月 15 日
「空気が読めない(KY)」を日本人は嫌います。場にそぐわないものを不快と感じます。日本人の美意識として、場に馴染んでいることがいいわけです。
場面が異なれば問題ないことも、ある場面での発言や行動が大問題になることがあります。セクハラがいい例でしょう。相応しいか相応しくないか、大の大人が判断できるかどうかが、社会生活を送る上で最も大切なことだと私は思います。
さて、今日、中央線の電車で通勤途中に見た広告。徳間書店のアサヒ芸能の吊革広告。あんなコピーをぶら下げていることを何十万人の乗客は文句を言いません。JR東日本も商売なので、また、違反がおそらくなかったのでOKにしています。がしかし、とても、とても、オフィスにおけないようなものをぶら下げているのです。これがKYでなくて何でしょうか? 内容が問題だと言っているのではありません。広告をする場所と広告内容が不適切なのです。
お願いです、週刊誌を販売される会社の方! 会社の玄関におけないようなコピーを何十万人が利用する通勤列車に車内吊り広告にしないでください。JR東日本の方、お願いです。規定ではなく、常識で「これはちょっと」と返せないのでしょうか。これまでやってきた広告なので、今回もまったく問題なしだったのでしょうか?
検閲すべし、と言っているのではありません。場にふさわしい広告をしましょう! 世界の笑い物です。
以前のブログで、アメリカではとうの昔にアルコール飲料の広告は禁止されていることを書いた気がします。これは、アルコール中毒者への配慮だと聞きました。もちろん、個人の判断で飲酒する、しないはあるわけですが、公的な場で、なんでも垂れ流しする日本は、たしかに自由ではありますが、不適切だったり、不快だったりすることを知らなければならないと思います。
広告を測る尺度として、「快」「不快」は重要な要素です。
↓リンクをクリックしてください。1票が投じられます。↓
人気ブログランキングへ
10 月 16th, 2008 at 11:21 PM
私が住んでいる地域は、一家に数台の車があるのが普通だという地域です。ですので、電車のつり革広告には余り縁はないのですが、車を走らせていて不快になる看板にときどき遭遇します。なぜ、こんな看板が。。。運転中のドライバーの目にとまるように派手な色彩・大きさ・表現がなされているのだと思いますが、奈良や京都の町並み保存の感覚に慣れているのでものすごい違和感を感じます。ご勘弁を~っ!!という気持ちになります。
それときっと同じようなものですね。看板を取りしまる条例がしかれていないからといって、目立つためには何をしてもよいということにはならないんですよね。
10 月 17th, 2008 at 8:57 AM
広告などで規制する法が無ければすべてOKというのが問題だと感じています。(派手派手な家を建てるのに周辺住民が反対することがあるように)表現の自由の問題と必ずぶつかります。もちろん営業妨害とされることも。でも広告などを提供する側が、やや不満足なこと、そしてその理由を述べられる権利と義務があるのではないでしょうか。大切なお客様(広告主)に何も言えないことが問題だと思います。どうしよう、と考え悩むことなしに抵抗を避ける風潮がありますよね。でも世の中1と0で割り切れないものばかりですから。問題を洗い出し、調整して解決することこそ真の解決力だし、進展(カイゼン)があると思います。