動物文化と植物文化
2008 年 10 月 17 日
あまり文化の根底の話をするとタブーにぶつかります。ですが、海外などで仲間を作ったり活動したりするとかならずやってくる壁ですので、あえてここで続けさせていただきたいと思います。
アフリカから戻ってきてから数年たつうちに、ひとつのことに気が付きました。オス・メスを大切にする印欧語族の話もしましたが、牧畜民系の文化(一神教)か、農耕系文化(多神教または非一神教)かの違いをはっきりと感じることが何度かありました。別の言い方をすると動物文化か植物文化か、とも言えるかもしれません。
動物文化ではオス・メスが重要です。男性の田中さんと女性の田中さんがいて、男性か女性かわからない表現「田中さんがさあ」のような表現は英語ではないのです。日本語ではそれが可能です。
最近、「スポーツマン」とは呼ばず、「アスリート」と呼ぶようになったのは、この「マン」が問題だったからなのでしょうか? 私は、水泳選手やアイススケート選手のことを「アスリート」(狭義の「陸上選手」)と呼ぶことに非常に抵抗がありました。「アスリートが泳いでいる!」といって笑っていましたが、誰が定義したのかわからないまま、日本社会はすんなりと受け入れていますね。これもすごい。
マラウイでは、たいてい農業と牧畜の両方をやっています。もちろん、欧米も牧畜だけ、のようなことはほとんどないでしょう。産業的には、狩猟採集より農業の方が近代産業ですので進んだものと見ることも可能でしょう。しかし、キリスト教、イスラム教と支配的な宗教は明らかに一神教であり、牧畜文化に依存した思想であると感じます。
迷える子羊、牧師、などの表現からわかるように、上に統率する主がいらっしゃり、私たちは、家畜の群のひとつと表現されたりするわけです。イスラム教も明らかに牧畜文化に依存しています。
牧畜文化の場合、リーダーシップが非常に大切です。マラウイの子供(男の子)ですら、牛を追う場合、追う牛の生命と家族の繁栄のすべてを握ります。ちゃんと牛が食べる植物を与えられない、あるいは水を与えられないと、大変なことになってしまいます。そうなんです。動物界の掟を知り、見事にコントロールすることが鞭を握るものに与えられます。まさに、生存競争を身をもって学ぶというわけなんです。
ですから、極論かも知れませんが、ダーウィンの説は、動物文化的には当然の説明方法なんです。もちろん、欧米でも農耕の文化が根底にあったりしますし、ピタッと2つに分けられるわけではありません。
それに対して植物文化、農耕文化は調和の文化です。個とその周囲とを規定する文化でもあります。隣が田植えをする頃に、いっしょに田植えをした方が間違いがありません。波風は立てず、リーダーシップはなくとも環境に適応することで生きていけるのです。
あれだけ熾烈な戦いを行ったベトナムでも、日本と同じく、大好きな国の一番はアメリカだそうです。一神教文化の国々からは考えられない、日本人と似た非常に柔軟な考え方があるのではないかと思ってしまいます。
もちろん、やや極論をしています。わかりやすいために、それこそ欧米的な説明をしています。これから、上手に融和させた説明にしていきたいと思います。
また、広告の仕方で、どうしても動物文化的(他よりダントツ優位)な手法もあれば、ほのぼの植物文化的なアピール法がありますが、短期的なインパクトは当然、動物文化的なものになってしまいます。
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10 月 18th, 2008 at 10:43 AM
牧畜が育む宗教と農耕が育む宗教とがあって、牧畜民族は一神教だということなのですね。それが言語にも現れていて日本人は農耕文化で非一神教で何でも受容できるということなのですね。
宗教的なことはさておき、人の性格を狩猟系(ハンター)と農耕系(ファーマー)に分けて考えると世の中がわかりやすい。。という話を聴いたことがあります。そういう分類をすると我が家は全員ハンターです。(ソバシマさまもハンターに属しそうです。)ハンターはファーマーと組むとよいらしいです。仕事上でも私生活でも。。話がずれてすみません。でも、面白いです。
10 月 20th, 2008 at 9:39 AM
はい。
私自身、そのことを伝えたいと考えています。ハイブリッドが一番強く、しなやかということです。
植物文化に共感しながら動物文化の力強さを得ていくことが、この、グローバル時代の必須の要件ではないでしょうか。
したがって、私の発言は、かなり動物文化に見えます。でも、根っこは植物(生命の根本)にありますよ。