SALTY-SALTYさんへの返答でしたが・・・記事にしました
2008 年 10 月 21 日
本当に強くなるためにはバージョンアップが必要で、それにはハイブリッドが一番だと思います。動物文化と植物文化、日本(非西洋:東洋・アフリカ)と西洋 などもその例です。動物も父と母から資質を受け継ぐように、日本の本当の良さと改善すべきものをしっかりと認識せねばと思います。「化粧」の例のように、 いいところと悪いところが同居しているようなものもたくさんあります。この対立するものをそのまま扱えるのが、日本文化のすばらしさだと思います。西欧文化的には同時に相反するようなものを考えることは非常に難しいです。
また、足す、合わすだけでなく、無くなりつつあるものにも最大限気を使いたいと思います。特に言葉。これは文化ですから。たとえば、消えつつある言葉はた くさんあります。「よそゆき」なんかはそのようなものです。ただ、「なつかしい」とか「よかった」だけでは、若い方には支持されず、いずれ死に絶えてしま うでしょう。でも、温かい、伝えたいものも、僕らは覚えているけど、次の世代には伝えられていないものがいくつもあるのではないでしょうか。そして、お年 寄りから聞いておくことも大切でしょう。いいものを高次元で作り上げ、捨てられそうなもの、価値を失いそうなものにも吟味して生き残ってもらうことで、このグローバル化の激しい時代に対応できるのではと思います。
日本の節度がないくらいの柔軟さ(たとえば、本来最も保守的な「食」をこんなに自由に操るのは文化人類学的に特殊だと、民族学博物館の助教授がおっしゃっ ていました)は、きっと最近のものだけでなく、私はある意味伝統ではないか、と思うようになりました。ですから、ブログの最初のころ、世界一古い会社の話 などをしたわけです。きっと元禄文化だって、平成文化と通じるものが多くあるのではないでしょうか。これは永遠の繁栄のための本能のような強さだと思って います。
でも、一番悪かったものは何でしょうか。先の戦争です。「日本」「日本人」の恥をさらし、日本人と周囲に恐怖と与え、犠牲を与え、アイデンティティを喪失 させました。国土を焦土と化し、勢力圏をほとんど失いました。300万人が戦死し、国・民族の最大の危機を招いたこの失敗はなぜ起こったか、どうすべき だったのか、という問いが問われなければなりませんし、国・政府は国民に謝罪すべきだと思っています。国会の開会はお詫びから開始してもいいと思います。 これだけの大失敗をして、国民と周囲の人々を苦しめることになった(国家存続の危機をあおったため)にもかかわらず、国民に謝罪せず、国民は謝罪を求めな いのです。悪いのは皆だ、といわんばかりの「一億総懺悔」という言葉すらあります。昭和20年8月14日には内閣が総辞職し、陸軍大将が切腹し、まったく 責任を放棄した形で終戦を迎えました。天皇の放送に収束と未来を託して・・・。あんまりです。こんなひどい話はないでしょう。
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6 Responses to “SALTY-SALTYさんへの返答でしたが・・・記事にしました”
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10 月 22nd, 2008 at 12:13 AM
日本の自由と民主主義は、民衆が闘って勝ち取ったものではなく、外国から与えられたものだという。。そういうことですよね。革命で憲法が変わったわけではないですから。。それと「税金にしろ社会保険料にしろ日本では、pay(支払う)ではなく、(納める)というのだ」ということをTVで聴いたことがあります。言葉は思想だということからいうと主体がやっぱり国にあるのです。今でも「国が失敗したら国は国民に謝るべき」と理屈ではわかっていても現実のこととしては考えにくい、という人も多いと思いますね。国民主権と言いながら、日本のことをあまり知らないのが今の日本人なのではないでしょうか?
10 月 22nd, 2008 at 9:19 AM
協調性と主体性は本来対比する概念ではないはずですが、協調型だとどうしても主体性は後回しにされがちです。主体的に考え主体的に行動し責任を負う姿勢がないことには、今の時代うまくいかないと思います。
その意味で有言実行の風潮はいいことだと思いますが、しっかり考え、腑に落としてから発言、行動をしないと、某柔道選手のように未熟さを露呈してしまいます。未熟が悪いのではありません。成熟すればいいだけですから。ただ、ちょっとカッコ悪いのです。
本来、国を愛するナショナリズムは自然かつ当然なものですが、ときに、このような発言を許せない方もいらっしゃいます。しかし、私の発言のように、とことん何が悪いのかをはっきりと(まだ10分の1も述べていませんが)言うことで、良いもの、引き継ぐべきものと、悪いもの、決別すべきものが見えてくると思います。当時、国の決定に従った大方の国民を非難する気は毛頭ありません。国家・民族が滅亡の危機であれば、そのような行動もし得るのですが、ではどうして、そのような危機(リスク)が発生して増大したのでしょうか。単に、日本が政治的経済的に悪い状況に包囲される中、それを軍事的に打破できると考えた過信からなのです。開戦を天皇に許可を求めたとき、このような終戦を迎えるなど誰が想像していたでしょうか? 過信が生まれるようになった経緯(明治維新、日清・日露戦争、日華事変・・・)もしっかり検証すべきでしょうし、自爆テロ(特攻隊)を組織し、大量の拉致(強制連行)を行ってきたことなど、列挙して反省し、その恐怖と愚かさを伝えなければならないと思います。日本人の務めとして。
10 月 22nd, 2008 at 12:16 PM
>協調性と主体性は本来対比する概念ではないはずです
>が、協調型だとどうしても主体性は後回しにされがちで>す。主体的に考え主体的に行動し責任を負う姿勢がない>ことには、今の時代うまくいかないと思います。
もっともだと思います。今までそうでないことが多かった(誰も責任を取らないということ)から、今、問題が噴出しているのだと思います。
>過信が生まれるようになった経緯(明治維新、日清・>日露戦争、日華事変・・・)もしっかり検証すべきで>しょうし、自爆テロ(特攻隊)を組織し、大量の拉致>(強制連行)を行ってきたことなど、列挙して反省
>し、その恐怖と愚かさを伝えなければならないと思い>ます。日本人の務めとして。
どのような場で、誰が誰に伝えるのがよいとお考えでしょうか?
10 月 22nd, 2008 at 1:22 PM
本来的には、かなり上の方から決定し、伝えるべきものだと思っています。国権の最高機関は国会ですので、国会でまず、決議をすべきでしょう。「河野談話」のようなやり方もあるでしょう。順番が入れ違って、海外への謝罪などが先になされていますが、それはそれとして、「亡くなった方に黙祷」はしますが「生きている方へのお詫び」も同等にあるいはそれ以上に必要でしょう。(終戦の日の式典)自由な立場である学会のようなものが、自主的に決議をするなどもあっていいでしょう。
しかし問題は、このような謝罪・反省を行えば、プライドが傷つく人たちがいることと、総括しうる高い立場を何が持ちうるかということです。
いろんな意見がこれまで出てきているように見えても、実はあまりここまで言い切った意見はないのではないでしょうか。迫害された側ですら、「全体主義」への糾弾はしても、バランスある主張に乏しいように思われます。平たく言うと、先ほどのプライドの方のプライドを踏みつけることすらあるのです。
非常に重要でデリケートな問題ですので、ひとつひとつこのように指摘しながら、基盤を作っていくしかないのではないでしょうか。
実は、日教組大会を妨害するためにフェリーで移動中の右翼を3時間ほど叱ったことがあります。私のような向こう見ずの人間は非常に少数でしょうが、右翼であっても「お話を聞かせてください」とやってきて、非常にまじめに私の話を聞きました。「勉強になった」と別れるときに言ってくれました。
私の考え方は、右の人にはかなり左に見え、左の人にはかなり右にも見えますが、非常に共鳴してもらえることもあります。
日本を褒めすぎても、その逆に悪いところを指摘しておかないととても座りが悪いのです。落ち着けません。いる位置によって見え方は違いますが、実は、人間なんてポジションはそんなに固定していないと私は信じています。自分はこういう見方だ、と思いこみたいだけだと。
教育の場では、とことん、いろいろなポジションの人がいること、思いあいながら、話し合いをどう持ち続けられるかについて、小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりに、大人は大人なりに悩み、親しまないといけないと思います。
人はポジションや意見は違うのです。でも、その違いを知ったり、自分のポジションを眺めなおしたりすることが情報交流でできること、それによってのみ相互理解や改善が可能だということを学ばなければならないと思います。
10 月 22nd, 2008 at 3:17 PM
はい。ありがとうございました。
「教育の場では、とことん、いろいろなポジションの人がいること、思いあいながら、話し合いをどう持ち続けられるかについて、小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりに、大人は大人なりに悩み、親しまないといけないと思います。
人はポジションや意見は違うのです。でも、その違いを知ったり、自分のポジションを眺めなおしたりすることが情報交流でできること、それによってのみ相互理解や改善が可能だということを学ばなければならないと思います。」
本当ですね。。。ソバシマさまと話をする時間が仮に1時間あったとしたら、そのうち58分ぐらいはソバシマさまのお話を聞く時間になりそうですね。まだまだ、いい足りないのでしょう。。。
10 月 22nd, 2008 at 4:12 PM
いえいえ、普段はおとなしい借りてきた猫です。考えがまとまらないと、あまり発言できないほうですから。