経済摩擦の背景

2008 年 10 月 27 日

このタイトルは、今から20年以上前、当時名古屋大学の教授でいらした飯田経夫(いいだ・つねお)先生(1932~2003)が読売新聞の夕刊(全国版)に書かれたエッセイのタイトルだったと記憶しています。先生は、日本バッシングが強い中、日本楽観論(強さ)の立場を貫かれた論客の雄でした。このエッセイは、後に通信添削などを行うZ会の現代国語の模擬試験問題にも使われました。

なぜ、そのようなことを覚えているかと言いますと、ごくわずかしか流通してない小著「サバンナに生きた二年間」をたまたま大阪の書店で購入いただき、著書中の「アフリカと日本の文化の違い、類似性」に関する記述を、このエッセイで引用されていたからです。何のきっかけだったか、「私の文章がZ会の現代国語の模擬試験にのっている」と誰かから教えてもらったのです。

私の主張は、「確かに日本とアフリカの文化の違いはあるが、それは人間関係や社会生活をする上においては、小さな差でしかなく、実は類似性や共通性があるから、気持ちが伝わり、社会の中で生きていくことができる(できている)」というものでした。肌の色、言葉の違い、生まれや文化の違いなど、とかく違いばかりを強調する風潮が強い中、「違いばかり強調すべきでないのではないか、それよりなぜこんなに離れて住んでいる異なる文化同士も、問題なく交流できているのか、その理由を考察した方がずっと意味がある」というのが伝えたかったことです。

飯田先生のエッセイでは、私と私の協力隊での活動を紹介して文章を引用した上で「(アフリカの現地での生活のように)こんなに違うところで生活する日本人すらこのように共通点を体感している」「アメリカとの摩擦は、決して文化の違いではなく経済の差の問題だ」との論理展開をされていました。強烈に日本を叩くアメリカとの摩擦の原因を、米国流と日本流のビジネス・マナーや文化の違いに原因があるとする当時の大勢意見に真っ向から反論されていました。

現在、サブプライムローンの破たんをきっかけに起こったアメリカ発の金融恐慌は、欧州をはじめ世界に悪い連鎖を起こしている中、低金利政策を続けてきた日本の円だけが買われ、独歩高を続けています。ドルが下がるのは理解できますが、なんとほとんどの通貨がドルに対して大きく下落しているのです。

どんなに類似性や共通性を叫ぼうとも、経済は熱の伝搬のように、高いところ、低いところの差があれば、こぞってそこへ流れていくという、グローバル化が着実に進行し、年々、この伝導率は高くなってきているように感じられます。

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One Response to “経済摩擦の背景”

  1. SALTY-SALTY Says:

    肌の色、言葉の違い、生まれや文化の違いなど、とかく違いばかりを強調する風潮が強い中、「違いばかり強調すべきでないのではないか、それよりなぜこんなに離れて住んでいる異なる文化同士も、問題なく交流できているのか、その理由を考察した方がずっと意味がある」というのが伝えたかったことです。

    こんな風に言葉にすると「なるほど!」と思えることでも普段に生活の中ではそうできていないことに気づきますね。

    経済のことはさておき、本日のソバシマさまの記事は、私の日常生活をちょっと振り返ってみるきっかけとなりました。少し、考えてみようと思いました。

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