日英で語順が逆でも構造が等価であること
2008 年 12 月 11 日
今から15年ほど前、かなりどっぷりと、日本語表現と英語表現の対応について研究をしていました。
まったく違うこともあるし、語順の違い程度のものもあります。
日英で表現がまったく異なっていて、意味的、または文脈的に対応するものとして、「がんばってください」が「Take it easy」と等価だというお話をしました。
しかし、一般論として、日英で、述部の語順が正反対のことがあります。
たとえば、「~させられたくなかった」という日本語の表現は、意味のある塊りにわけてみると、
「~させ られ たく なかっ た」
となります。こんなに分解したことがないでしょうから、意味不明でしょうけれども、もうちょっとお付き合いを。
これをそのまま、英語に対応付けてみると、
「~させ(Ved) られ(be) たく(want to) なかっ(not) た(did)」
のようになります。ここで、Vedとは動詞の過去分詞形のことです。
さて、英文の語順にすると
「(didた) (notなかっ) (want toたく) (beられ) (Ved~させ)」
となります。
手品のようです!鏡に写ったように、日本語とまったく逆さまです。
言葉は、客観的な事実を述べたり、それを否定したり、時制を与えたりしますが、そのような客観表現の外側に、その表現に対する発話者の評価をつけ、最後に、その陳述を伝える人への態度、または働きかけを添えます。
「~さん、昨日はひどい雨でしたねー、そちらは大丈夫でしたか?」
(呼びかけ(評価(客観表現)評価)呼びかけ)
のような構造です。
(呼びかけ=~さん、((客観表現=昨日はひどい雨でした)評価=よ)呼びかけ=ねー)
呼びかけの位置に、気持ちを出してしまうこともあります。
「えー、うそー! それはきっと・・・じゃないかなー、ねえ、~さん!」
どんなにあわてていても、つまったり、順番を間違うことはありますが、人は基本構造を間違えないのが不思議です。きっと、思考と伝達のために働く人間の言語中枢はすばらしいからでしょう。
このように、気持ちとか、働きかけのような、いわば主観的なものが外側なのです。
そして、知的あるいは客観的なものが内側です。これは、英語でも日本語でもいっしょです。
ところで、述部の語順が逆であっても、空間的・幾何学的には対称になっているようなものです。(でも、精神の構造は、外側=大脳新皮質=に客観があり、内側=旧皮質=に心・週刊があるように思いますよね。これは等価とは言えず表裏ではないでしょうか)
もちろん、語と語の構文的なつながり、形態的な変化があるため、まったく正反対というわけではないのですが、正反対ということがあっても、まったく同じあるいは等価と考えた方が、説明が容易になる、理論の見通しがよくなる場合がたくさんあります。
日本語と英語はまったく別の言語です。
アフリカの大地溝帯から人類がスタートしたとして、西のはずれと東のはずれの言語のようなものです。
でも、このような事象を知ると、言葉を作り出す心の営み、活動の共通性を感じてしまいませんか?
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