邪馬台国はどこにあったか
2008 年 12 月 15 日
邪馬台国がどこにあったのかという謎は、日本人の空想をかき立てます。
日本の建国は、神武天皇によってなされたとされていますので、建国以前のことです。
これまで、いろいろな説が出てきました。
近畿地方、特に京都大学は「近畿説」を、そして九州大学は「九州説」をとっている、とよく言われています。
また、古事記と日本書紀という2つの重要な歴史書に、神武天皇がどのようにして近畿へ向かい、その地を治めるようになったのかが書かれているますので、その記述をほぼ正しいものとすれば、九州(宮崎・日向)から東遷した考えられ、この説は東京大学の先生方を中心に主張されています。
弥生時代から日本の建国の頃の話は、とても興味があります。
私の出身の北九州地区は、近畿で強大な大和朝廷が誕生する数十年以上前に、いくつもの小国家があったようです。
たぶん、小学校の時だったと思うのですが、友だちと学校の近くで土いじりをして遊んでいましたら、土器の破片が出てきました。「弥生式土器だ!」といって遊んでいたのですが、本物だったようで、しばらくして、「立ち入り禁止」となり、発掘の後、「・・・古墳公園」という名前が付いたように覚えています。
九州に邪馬台国があったとしても、大和王朝は明らかに近畿で誕生しています。
ただ、魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の邪馬台国と、大和王朝とがつながりがあるのかどうかが、1つ大きなポイントとなっています。
近畿説は、当然、一貫性があり、近畿の邪馬台国と近畿の大和王朝とがつながていると考えています。
九州説の場合は、つながっているかどうかは不明です。あるいは、特に言及していません。
東遷説では、九州に邪馬台国があったのですが、移動して近畿に強大な大和王権へと発展していくとの考えです。
佐賀の吉野ケ里古墳の時代は、卑弥呼の時代に近かったので、邪馬台国発見か?というニュースになりました。
いずれにしても、九州にいくつも小国家のようなものがあったことは確かであり、それから数十年ないし百年くらいして、強大な王権が近畿に出現しているのようなのです。
しかも、不思議なことに九州と近畿とは大きな戦をしたようではないのです。そのことが、東遷説を支持しています。
日本の長い歴史の中のわずか数十年が不明なのです。
面白いですね!
ところで、福岡県と大分県の境にある山は「英彦山」(ひこさん)といって、江戸時代までは「彦山」(ひこさん)だったのですが、勅書により名前を変更させられた山があります。
霊峰とも言われるこの山の神社に伝わる話によると、そこで「日本で最初に収穫されたお米を奉納した」とされています。とても興味があって調べていきましたら、「ひこさん」の起源は「日子山」であり、「日」とは「太陽」であり、「天照大神」のことらしいのです。ですから、直訳をすると、「天照大神の子」を祭ったのが「英彦山」なのです(言い伝えとして)。
東遷説を主張されている先生の著書の中には、福岡県の地名10か所程度がそっくり、奈良付近の地名と対応することもまで示されています。そっくり、奈良へと移動しているのです。本当?
別の本で読んだのですが、「西」(にし)とは、「古」(いにしえ)を表わすとの説明がありました。
奈良で都が定まる直前まで、天皇が亡くなると、遷都が行われ、狂いもなく、ぴったりと同一緯度上を東へと移動していたそうなのです。もちろん、近畿での話ですし、これは、神武天皇より後のことです。
自分たちの過去は「古」(いにしえ)=「西」という言葉で残しつつ、東へ東へと都を移していったのでしょうか?
沖縄の人に確かめていないですが、沖縄の言葉で「にし」は北を指す、という話も聞きました。
それは、「北から来た」ということを残しているのでしょうか?
不思議ですね。
いずれにしましても、最近、また近畿で発見された大規模な古代都市の遺跡により、すでに邪馬台国の時代に、近畿に大きな都市国家または大和王朝があったのではないか、という説が有力になりつつあります。そこでもまた、「天照大神」=「卑弥呼」が、通説になりつつあるように思われます。
「奈良」(なら)という地名についても、その古地名は日本語オリジナルではなく、韓国語だという話があります。韓国語では、「国」という意味です。「韓国」(ハンナラ)の「ナラ」です。
「クニ」は日本語で、「ナラ」は韓国語。
いよいよ、不思議ですね。
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12 月 15th, 2008 at 9:50 PM
英彦山には、小学校の頃から何度か登ったことがありますよ。懐かしいですね。そんなすごい山だとは。。。
ちょっとは、知っていましたが、そこまで詳しくは知りませんでした。ソバシマさまは、歴史もお好きなんですね。
大分県に耶馬渓というところがありますね。
これは邪馬台国とは関係はないのでしょうか?
そこにも何度か行ったことがあります。
英彦山ほどではないですが。。。