石川遼君の名前を冠した雑誌

「月刊 石川遼」

の第一号が発行されたそうです。

アマゾンのサイト

その中で紹介されていることが、朝のニュースで紹介されていました。

石川遼君のお父さん、お母さんの教育方針が書かれているようです。

「人に好かれるように」というコンセプトがお父様の教育方針、あるいは彼を育てた1つの方針のようです。

これは、簡単そうでむずかしいことですね。

・人のためにつくしなさい。

・人に迷惑のならないようにしなさい。

だと、ちょっと硬いですし、どうしても半分嘘を含んでいるように感じることもあるでしょう。

でも、「人に好かれるように」はストレートでわかりやすく、いやみは少なく、それでいて実現はむずかしい。

目指すコンセプトとして非常にいいものの例だと思います。

お母様の教育コンセプトの方が、少し硬いようですが・・・。

でも、石川遼君は、実に、さわやかで感じのいい青年です。

もちろん、個人の資質が1番でしょうし、教育だけでは説明できないでしょう。

石川遼君もガッツポーズをしますが、不快感は決して与えません。

また、相撲のように、本来禁止されているスポーツと比べられないところだと思います。

今回の朝青龍関のガッツポーズの件で、剣道などでも厳しい採点になったり、負けたりすることを知りました。

規則面でも、従来型日本の武道では「有言実行」あるいは「力の誇示」はダメだったのですね。

嫌みなく、ストレートで表現できることはとてもいいと思いませんか?

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【リリース記事】

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オバマ氏のシカゴでの勝利演説の冒頭部分の3点列挙法の3番目について解説します。

It’s the answer that led those who’ve been told for so long by so many to be cynical and fearful and doubtful about what we can achieve to put their hands on the arc of history and bend it once more toward the hope of a better day.

これらの答えのおかげで、あまりに長い間、あまりに多くの人々から、できることでありながら(それをせずに)、冷めた目で(シニカルに)見たり、不安感を持って、あるいは懐疑的にながめるようなものだった「歴史の弧(アーク)」をぐいっと曲げて、良い日の希望へと向けることができたのです。

少し、むずかしい表現です。

しかし、ここで、明確に「希望」を語っています。また、因果(原因と結果)を説明しています。

「長蛇の列を作った人々」(1番目)が答えであり、「さまざまな属性の『合衆国』の構成員たちの実行」(2番目)が答えであり、それらの答えの存在自体が、歴史を正しい方向へと正した(3番目)、とつないでいきます。

1、2、そして3へと因果を説明しながら、音(発声)では、

It’s the answer … を3連発しています。

そして、冷めた見方や不安感や疑念を打ち払ったのは合衆国国民だと断言しています。

この表現の存在のおかげで、後で「your victory」という言葉が出てきたときに、まったく違和感を生じません。そして、結論的な表現である「Yes, we can.」へとつながっていきます。

深い構成です。熟考して作り上げた「詩」です。

・・・

さて、「詩」そして「3番」とくれば歌の話を思い出しました。

歌を歌うときなど、気づかれたことはありますか?

1番、2番、そして3番まであるのが普通です。

その中で、ふつう、3番の歌詞が一番大切です。

極論をすると、3番の詩を印象的に伝えるために、1番と2番がある、と言ってもいいかも知れません。特に演歌は。

たとえば、古賀政男・美空ひばりの「悲しい酒」の3番。

詩の内容を思い出されますか?

あの、どうしようもないつらさ、悲しさを伝えるために、この詩が作られています。3番を伝えるために、イントロがあり、1番があり、2番があるのです。

・・・

3点列挙法を見事に駆使するバラク・フセイン・オバマ氏は今日20日、大統領に就任します。

就任の式典は日本時間の明日未明ですが、アメリカだけでなく世界中を引き付けるものがあります。

イントロだけでなく、すばらしい1番、2番、そして3番を演奏してほしいと思います。

振り返って、日本の事情はどうでしょうか?

「あなたとは違うんです」と言って辞めた前首相。

「言明できない」とか「いかがなものか」、あるいは「悪いのはそちらのほうなのを忘れないでほしい」と質問者へ返す現首相の答弁。

何が問題なのでしょうか。

人の「共感」を得て、人の「同意」を得て、「希望」を持って政治を行わなければならない、それによって、初めて成功する、という認識が欠如していないでしょうか。

まず、痛みが分かる(共感できる)必要があります。

これがエンパシー(共感)です。

そして希望です。

それらを共有しなければなりません。

オバマ氏は、リンカーンやキング牧師、ケネディーたちを引き合いに出すことで、心の中に存在する希望の振動を呼び起こしています。

批判にカチンときても、「あなたとは違うんです」とは決して言ってはいけないのです。

多くの人と仕事を行う場合、共感と希望を持っていることをしっかりと認識したうえで、課題に取り組まなければなりません。

まず、問題の所在をつかみます。取り組むべき課題をあげます。その課題をシェアします。課題や取り組む内容について情報を共有し、その上で仕事を分担します。さらに、時折、チェックをして評価をし、フィードバックをかけます。

オバマ氏は生きているアメリカ大統領を全員呼び出しました。そして、独立宣言を出したフィラデルフィアからワシントンに入りました。

「歴史的な事実」も共感・共有しうる財産として「再利用」しています。国民の共感を引き出す方策を知っているのです。

彼は政治家ですが、詩人であり、演出家でもあります。

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オバマ氏の演説の本が売れています。

A.なぜ、ここまで人を引きつけるのか、少なくともテクニックの面で知りたい人たちがいます。

B.一般の人に感動を与える、思想的なものは何なのか知りたい人たちがいます。

C.あるいは、人が感じている感動を自分も味わいたい人たちがいます。

以前に、「エンパシー(empathy: 共感)」にポイントを置いて、思想的、論理構成的なデンタツについてお伝えしました。これは、Bに関連するものです。

今回は、一般に伝えられている、いくつかのテクニックについてお伝えします。日本のマスコミでは、「オバマ氏の演説は上手」と伝え、また、「どこが上手なのか」知りたい人たちが多くいますので、その点について少し議論したいと思います。

そのうちの一つは、「3点列挙法」と呼ばれるものです。

頭の中に残っている余韻に共鳴させる方法です。

これはベートーベンの運命のテーマである「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と同じです。

強いインパクトをもったフレーズを繰り返すのです。

そして、それが真実のもの、現実のものである迫力を作りだします。

私は「オバマ氏は単にテクニックのレベルが高い」ということをここでお伝えしたいのではありません。この説明をとおして、オバマ氏は、テクニックを最大限活かすように、考え抜いていることがわかることをお伝えしたいのです。

営業のトークでも、政治家の演説でも、宣教師の説教でも、一番大切なものは、人の心にどれだけ響かせられるか、ということです。

すごい、ということを伝えるのに、「すごい」と最初から連呼する方法もあるでしょう。でも、すごいとは思っていない人にはあまり通用しません。響きません。

さて、シカゴでのオバマ氏の勝利演説の最初は、ネガティブとポジティブの混合した表現から入ります。

Hello, Chicago!

If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible; who still wonders if the dream of our Founders is alive in our time; who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.

シカゴの皆さん!

もし、(今ここに)まだアメリカがなんでもできる、ということをまだ疑っている人がいるならば・・・、また、私たちの建国者たちの夢が生き続けていることを疑っている人がいるならば・・・、そして私たちの民主主義について疑問を挟んでいる人がいるならば・・・今夜がその答えです。

最初から、このように3回も疑いについて繰り返しています(彼の疑いへの疑いです!)。

そして「my answer」ではなく「your answer」なのがポイントです。しばらく後でそれが分かります。

注:doubt(ダウト:うそだろうと思って疑う)、question(クエスチョン:本当かどうか信じられず疑う)

最初の部分を打ち砕くために、それから後の3点列挙法を使用します。

It’s the answer told by …

It’s the answer spoken by …

It’s the answer that led those who’ve been told for  …

「なぜならば」と畳み込むように「It’s the answer」を連発します。まず、最初の「It’s the answer」フレーズを見てみましょう。

It’s the answer told by lines that streched around schools and churches in numbers this nation has never seen; by people who waited three hours and four hours, many for the first time in their lives, because they believied that this time must be different; that their voices could be that difference.

学校、教会の周囲にどれなに長い列ができましたか?こんなことこれまであったでしょうか?ほとんどの人にとって、3時間も4時間も投票のために待ち続たことなど初めてだったのではないでしょうか。どうして、こんなことが起こったのでしょうか。今度は違う。今度は自分たちの声が届くと考えたからではないですか?そう、これが1つの答えなのです!

(順番を変えて意訳してみました。)

このようにアメリカの可能性について疑いを持っていることに対する否定を、オバマ氏ではなく、彼の可能性にかけ、熱狂的に支持する人たちの行動という事実を伝えることによって行います。

勝利演説でありながら、「私たちは勝った」とか「自分は勝った」とは言わず、間接的に投票者を称えることで、否定的な意見に対し強烈な攻撃を行います。

しかも、それを三連発するわけですか、ひとたまりもありません。

上のフレーズはその三連発のうちの一発です。

次のフレーズに入ってみましょう。

It’s the answer spken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled — Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states. We are, and always will be, the United States of America.

若者も老人も、金持ちも貧乏人も、民主党支持者も共和党支持者も、黒人も白人もヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、同性愛者も非同性愛者も障害者も健常者も。皆が、赤い州(共和党)、青い州(民主党)が混ざった個人の集まりというのではなく、「アメリカ人」として、世界へメッセージを伝えたのです。私たちは、現在、そして未来も「アメリカ合衆国」なのです。そう、これも1つの答えなのです!

時代的な広がり、多様性をすべて出し、すべて認め、すべての力を集める主張をすることで、エネルギーを集めてきたオバマ氏の思想を端的に表すフレーズだと思います。

力を集めるために、敵対するのではなく、二分法を提示するのではなく、「加える」のです。

日本では「チェンジ(変革)」ばかりに脚光があたり、「人々は変革を求めた」と伝えられていますが、オバマ氏の手法の特徴は、変化より、過去と現在と未来の統合であり、分離や分割や対立ではないのです。

英語で「chnage」と言うと、私には「着替える」という意味が一番目に上がってきます。

これは自動詞です。自ら行動し、自ら変化するものです。一般的には、他動詞であり、「他を変える」という意味に考えられがちですが、私は「変わろう!」と言っているように感じられます。

リンカーンやケネディーをなぜ持ち出すのでしょうか?

彼が、単に真似したいからではありません。

皆の心にある希望を振動(=共感、共鳴)させているのです。

人にアピールするときは、相手の心の響くところを響かせるのが一番です。

「そうだ」と思ってもらえるのが一番です。

ちょうど、柔道で、相手の力を使って技をかけるのに似ていると思います。

でも、もう一度申し上げます。

オバマ氏は考え抜いてテクニックを駆使して伝えているのです。

決して、ブッシュ大統領の演説のように「我々側か、それともテロリスト側か」のような単純で浅い思考ではないのです。

もちろん、「I」を極力排除する、謙譲の美も強く意識していると思わざるを得ません。

しかし、それでもアメリカ人に強烈にアピールするのです。

いえ、世界中に。

(3点列挙法の3番目については、次の機会とします)

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私が大学生だった頃ですから30年ほど前、英国生まれの詩人ジェームス・カーカップ(James Kirkup)氏が書いた「New Japan Now」という薄い英語の本を、たまたま書店で手にして読むことになりました。

ジェームス・カーカップ氏のホームページ:
http://jameskirkup.com/

英語を専攻しない私が、専門書や実用書でない英語の本を買うことはまれなのですが、なぜ手にするようになったか覚えていません。

でも、読み始めると、ぐいぐいと引き寄せられてしまいました。うーんとうなりました。どうして、日本人でないのにこんなことがわかるのか不思議でした。

彼が詩人だったことはもちろん知りません。また、そのようなことも書かれていなかったのですが、彼の英語の美しさにも引き寄せられ、読み続けさせられたのだと思います。

この本の前に「Japan Now」という書を彼が著わしているのですが、それから10年ほど経過して日本の状況が変わってきたので、新しい日本について書くことにした、とのことでした。

実は、本の半分以上が、ある意味、痛烈な日本批判でした。一方、高度経済成長する日本に対して、「お願いだから日本人は日本の良さを捨てないで!」と嘆いていました。

例えば、選挙宣伝カーの騒音や、電車が来るときに大音響で「電車が来ます!白線の内側に下がってお待ちください!」「ドアが閉まります!」とけたたましい音を流す日本について苦言を述べられています(私が知っている限りイギリスでは、電車のドアが閉まる時に一切アナウンスがない)。

日本人はこれまで、静寂や虫の音、風鈴の音を楽しみ、お茶をいただき、風流を楽しみ、身近な時間と空間を楽しんできたのに、どっぷりと騒音と商業主義につかっていることを悲しんでいました。

彼は日本人以上に古き良き日本を愛し、日本人の生活感覚のすばらしさを訴えていました。特に、がんこな日本の老人をほめていました。

そして贅沢でなくても、今、生きている日常の生活の中に、美意識や楽しみを持つ、まさに、日本人しかわからないような感性、文化の美しさ、すばらしさを驚嘆していました。

彼はそのことを「クオリティー・オブ・ライフ」(Quality of Life)と呼んでいました。これはいわば生活の楽しみであり、「生き方の品格」にすら通じるのではないか、と私は思います。

・・・

これは、欧米の文化とは極をなすものです。

欧米の化粧品の広告を見て、気づく方はいませんか?

化粧品でも、装飾品でも、家具でも何でもいいです。

「優越, Excellent, Super, Victory」がキーワードとなっているものが多いのです。

優越、あるいはナンバーワンが重要です。

たとえば、飛行機に乗って、目の前に高級カタログがあったとします。そこには、必ずや欧米式の「優越する」品々を光沢が飾り立てていませんか?

もちろん、「きれい!」と日本人は思います。特に女性はそうでしょう。

庶民にとっては、そんな時間の方が特別です。だから、高級そうな香水、バッグなどに目がいってしまいます。

すばらしいものは高いものです。他の人々が買えないものをもっていることが優越です。すばらしい品々とエクセレント、スーパー、そしてナンバーワン。

たとえば、階段を上りながら上から美しい女性が見下ろす「○ッ○○スーパー○ッ○」のテレビコマーシャルは、優越をキーワードとする典型的な欧米型の美の表現です。

このコマーシャルを全世界に流しています。アフリカでも、中国でも、インドでも、そして日本でも。

これが悪い、と言っているのではありません。

しかし、私は、どうしても、一神教的、絶対的、優越的見方、考え方、表現法を感じざるを得ません。

動物文化、あるいは牧畜文化、家畜の群れより優越するリーダー式に感じざるを得ないのです。

動物には、優越する唯一のリーダーで十分です。

これら絶対性・優位性が、ある意味、価値観あるいは文化衝突の根本原因となるものなのです。

日本人でも、優越するものに美しさを感じます。わかります。ほしいと思う人も多くいるでしょう。

でも、とりたてて特別でない、目の前のものにすら愛情を注ぎます。楽しみます。

(※欧米人も小物を楽しんだ入り、心のこもった小さなプレゼントやカードを送りますので、彼らにそのような感覚が分からない、と言っているのでは決してありません)

それをつかって、自分だけでなく、周囲とデンタツします。

絶対的に優越していなければならない必然性はほとんど必要ないのです。

これこそ、ジェームス・カーカップ氏が言った「クオリティー・オブ・ライフ」ではないでしょうか。

こけしや折り紙など典型的な日本らしさのものがありますが、私は、プリクラすら、現代の日本的な美であり遊びであると思います。

そして、漫画・アニメだけでなく、「カワイイ(Kawaii)」は、いまや、新しい価値観として世界へ発信されています(数年前の朝日新聞の元旦の大特集はこのKawaiiについてでした)。

セリ君が驚いた「痛いの痛いの飛んで行け!」も日本文化ではありますが、アフリカ人にもとてもよくわかる表現のようです。

金融という資本主義の屋台骨がけたたましく崩壊しつつある今、身近な美、楽しみを広げていく日本的なクオリティ・オブ・ライフが、今後世界にアピールし、広がっていく底力があるのではないか、と考えています。

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日本は、他のアジアの諸国とも文化をシェア(共有)しながら、独自の文化を形成しています。

日本人は一般的に、

【1】 タブーや扱いたくないことは上手に避けながら、
→ エネルギー損失は最小

【2】 感性・感覚を尊び(楽しみ)、
→ 若さを保ち、人生を謳歌できる

【3】 雑念を生じさせずに「ひたすら」はげむことを美徳とし、
→ 労働の美徳を保持しながら、無駄な思考・フィードバックを回避

【4】 疑わず、無防備で 性善説的な振る舞いをし、
→ 拳銃を下げた、警官の格好をした人を疑わない

【5】 ちゃんと漠然と多方面に感謝をしながら、
→ 「応援ありがとうございます」、のアスリートだけでなく
→ 先祖・周囲すべてに感謝

【6】 厄を払うことや祟りを回避することを強く願い、
→ 過去の日本ではこの重要性が非常に高かった

【7】 ご利益をささやかに求め(祈り)、またありがたく受け、
→ 温泉の効能だけでなく、神社仏閣すら「ご利益」で定義する
→ 米軍に守ってもらえるのも一種のご利益

【8】 不満について漠然と「政府が悪い」とガス抜きをしながら、
→ 革命で政府を壊すエネルギー、経済的な損失を生じない

【9】 杓子定規に法律を適用せずとも柔軟に対処することができる
→ 見事に法律と効率の間を縫って合理的な判断をする

【10】 ただし、問題があったときに、感覚的にざっくり捉え、あまり深く考えたり対処はしない
→ これが前の記事などで問題としているものです。
→ とことん責めること、改革「チェンジ」をしません。

という特徴があるように思います。
(これまでの私の分析的な観察を列挙しただけですから、まだまだあるでしょう)

これらの特性は個人の精神の安定性に役立っているものも多くありますが、社会の安定にも役立っているものが非常に多くあります。

【9】については、私が面白いと感じる事例が山のようにあります。また、【10】 については、これまで、かなり厳しく指摘してきています。壊さない、という保守性のメリットがある反面、改善できないというデメリットがあり、一番気になる特性です。

このように、日本人、日本文化は、対決や解決の分析や作法から程遠いにもかかわらず、実は、無益な争いを上手に回避する、争いを長引かせない技を持っている、とても愛すべき性質を保持していると思います。

私は、このように平和的な特性を持っている日本が大好きです。

外国人は日本人を「チャーミング」だと評しますが、他意がなく、魅力的です。言い過ぎると「イノセント(馬鹿正直のような、子供っぽさを含みます)」です。

やや茶化した表現になっていますが、実は、その生命力の強さと「美」感覚をとても尊敬しています。

私は、リーダーシップといった直接の形ではないにせよ、何らかの形で、このような特性が、必ずや世界の平和と安定に寄与するのではないか、と考えています。

どうしてかというと、世界制覇の野心が全く無く、タブーには触れず上手に、自分にとってご利益となるものは、しっかりと加えていく生き残り術を持ったまま、思いやりを発揮できるという、かなり高度なパワーがあるからです。

千年以上前、仏教を取り入れたときも、これまで保持してきたものをマイナスとはせず、仏教のご利益をプラスとしてきました。

日本の神社仏閣で、特徴、すなわちご利益がないものはほとんどないという事実も、非常に面白いと感じませんか?

日本文化は、本来足せないようなものでも、ちゃんと加え、みごとに融和させるという「生き残りの技術」があります。

牧畜文化は区分します。除きます。選別します。落とします。場合によってはタブーを衝突させます。

一神教文化同士は終わりの無い戦いを行うことがあります。

ダーウィンの思想は単にシンプルだから成立しているのではありません。きっと、「動物=生存競争」というものに根ざした文化があるのではないでしょうか。そのような思考パターンが厳然と存在しています。

私は、願わくば日本の「カワイイ」文化が世界の緊張を和らげ、戦闘地域の戦意を消失させることに役立たないかと祈っています。

「日本人女性は美しい」のようなCMを、イラクやイスラエルで流したいくらいです(もちろん半分冗談ですが、冗談が現実になるのもこの社会だと思います)。戦意喪失のマジックは日本にはたくさんあります。だって、竜宮城ですから!

もちろん、日本文化が完璧だと言っているのではありません。

本当の意味で日本人が合理性も身に付け、タブーにも上手に付き合えるようになれば、鬼に金棒です。怖いものなし!

だから、キーワードはハイブリッドなのです。

元来、チャーミングで、気配り、配慮ができ、他を尊ぶ人々です。世界の人々から好かれるのは当然です。

そのような中にあるからこそ、日本が戦争の負の遺産を清算できていないことを非常に残念に思います。

しっかりした独自の憲法であれ、国会決議であれ、政府見解であれ、自ら進んで出せないのです。作れないのです。変えられないのです。

本来大切な軍隊=自衛隊の掌握とコントロールについてしっかりした柱も作らない、作れないことを非常に残念に思います。

田母神氏の問題を、事実上の解任と「不適切」「残念」だけで放っておけることに、怖さを感じますが、それが日本なのです。

私には、無免許・無資格の軍人トップが(ミサイルや戦車などの)軍隊を運転しているようで怖くてハラハラしてしまいます。

また、何十万、何百万もの拳銃が町中にあっても怖く思わないことを怖く思うのです。

第二次世界大戦の大問題を、きっちりと清算せず(これは、亡くなった方には冥福を祈っていますが、300万人の犠牲者を出し、焼け野原の中で苦しんできた国民に対して明確に政府が謝罪を行っていないことを指しています。対外的には謝罪を行ってきています)、軍隊についての明確なビジョンを構築しないまま、少しずつ状況に合わせて大きくしてきたものについて、マスメディアすら、強い指摘はできません。なぜなら、きっちりした指針を持っていないからです。

だから腫れ物やタブーには触れないのです。

おそらくどの党も、米軍の日本からの撤退をきっちりと進める方策を練ったり、交渉したりすることもやる気はないでしょう。

票に結びつかないものです。そんなエネルギーを使いたくないのです。そもそも、アメリカの軍隊というご利益があるのですから・・・。

しかし、もうそろそろ、アメリカがこれまでのアメリカとして世界の中で位置づけられない時代がやってこようとしています。

北朝鮮の状況によりますが、「韓国から米軍が撤退する」という話が出てくるのではないか、と私は予測するのです。

そのときになって、日本中があわてるでしょう。どう進めていいか、あわてふためくでしょう。

日本が言い出す前に、(経済的・世界戦略的な理由から)「日本からの米軍の撤退」の話があったとき、「そんなこと考えていませんでした。話を聞いて驚きました」と首相や防衛大臣が発言するのでしょうか?

そんなことになったら私はとても情けなく思います。国を構築する基本すら、組み立てていないのです。

第二次世界大戦を清算せずに米国に依存したからです。

ノーベル平和賞をとった佐藤栄作首相の米国による核反撃の話は「けしからん」という意見が多くあることはわかります。でも、「もしも」の言質をとっている、というしっかりした「依存症」の方が、何も考えていないほったらかしより、「政治家」として職務を行っていると思います。

非核三原則のスローガンは、米国との裏取引により成立していたものです。ですから、単にノーベル賞を辞退すればよかっただけです。

このようなことは、平和なときは、誰も考えなくていいことです。軍事の心配も、兵役のことも。

私はつい、日本人が逃げたがる話題について話してしまいます。

それは「知っていながら、感じていながら逃げている、棚上げにしている」ことを知っていただきたいからです。意識からすら外す風潮が最近ないでしょうか?

さて、戦後、技術については、日本人はその特性を活かしてきましたが、残念ながら、科学には十分力を発揮できていませんでした。

しかし、昨今のノーベル物理学賞でもわかるように、民族としての劣勢はまったく無いといっていいでしょう。

ただし、粘り強さ、徹底した疑いと検証、強い目的意識、これらが文化的に不足している部分があることを私は強く感じています。改善のためにかけるエネルギーがどれほど小さく、まとまっていないか、を感じています。

日本人は他意がなく、チャーミングですが、それゆえ、論理的な追求や解決のための手立てをきっちり進めていく「合理性」が欠けている面があるのです。タブーに触れそうになったら、すぐさま外します(だからタブーです)。

何とか、その両面を持てるようにできないでしょうか?

美的な感覚、楽しみや笑い、ユーモアのセンスを持ち、合理的な分析や判断ができ、人を思いやり、しなやかで、愛されるハイブリッドを目指さないでしょうか?

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社会や問題ある状況を改善するためには、ちゃんと物事や状況を知り、その原因を考え、対策を考え、得られたことがらを共有し、協力して行動をしなければなりません。

たとえば、教員で性的な非行(いわゆる破廉恥行為)で処分を受けた人が年間180名(平成18年度文部科学省調べ)います。

個々の個別的なニュースは流れっぱなしなので、それを知ること、考えることも必要でしょう。

しかし、すぐに個別なことだ、と頭に置き去ってしまいます。

もし、本気でこの問題を解決したいと考えたとします。

何をしなければなりませんか?

どうすればいいですか?

簡単です。

知ること、考えること、行動することです。もちろん、その途中にデンタツが入ります。

どのような問題が発生していますか?

なぜこのような問題が起こったと考えますか?

どうしたら改善できると思いますか?

調べ、考え、行動すること、そしてその考えをまとめ、人に伝え、より客観化して現実性のある策へと変えていきます。

教員採用試験で、職員室の会合で、研究会でこのような話題が話されたことがありますか?

解決のために、必要性を認識し、改善しようとしましたか?

教壇に立っていた人間としてはずかしいです。

改善をしようとしないことがはずかしいです。

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日本全国で、何十万あるいは何百万丁もの拳銃が町中にあふれています。

もちろん、一般の警察官が携帯していることを指しています。

銃社会のアメリカだったら仕方ない面もあるでしょう。

でも英国の警察官は丸腰です。マラウイの警察官も拳銃は携帯しません。

日本の警察官が拳銃を携帯しなければならない事情は、何かあるのでしょうか?

おそらく歴史的な事情があるのだと考えられます。

でも、一般市民、国民がそれについて、問わないことと、全然抵抗感がないことの方が私には不思議です。

ここに2つ日本の特徴があります。

(1. 保守性) 事故や問題が起こっても、旧来のしきたりについては問いただしたり、議論しない

(2. 性善説) 拳銃を携帯する警察官が悪いことをしたり、間違ったりすることは仮定しない

武器を携帯するということは、重大なことです。いつも、気をつけてなければなりません。

町中にいる警察官全員がすべて万全なのでしょうか。かりに、万全でなくても、「これまでそうだったから」ということで、議論すらしないのが日本人の大多数です。マスコミも、余程のことがなければ問題点として指摘しません。

東京駅北口の交番で、警察官が自分の拳銃で自殺をしました。そのとき発射した玉は本人のみ殺傷し、通行人には被害は与えませんでした。また、つい最近、若者とやりあった末、警察官が拳銃を奪われることがありました。

アメリカの銃規制についての話はニュースや番組になりますが、日本の警官の銃規制については、意識すらないようです。

私がマラウイから帰ってきた後、日本のアパートに住んでいて、地域住民の調査か何かで警察官が部屋へやってきました。

コンコン、とノックをして「~署のものです」。

(私)「はい、どうぞ」

入ってきた警察官は、もちろん、腰に拳銃をしていました。ぶっそうなところ(特にタンザニアなどは治安がかなり悪い)から帰ってきた後だったので、一人しかいない部屋に、拳銃をしたままやってくる神経に唖然としました。

もちろん「自分の用事で他人の家や部屋に行くのに、銃を下げてくるとはどういうことか」などとは言いませんでした。でも、本当はそれが「世界の常識」だと思うのです。つまり、一般家庭を訪問するのに、銃を腰に下げる必要はないはずです。

でも、ここは日本です。一般家庭に訪問するのに、拳銃を腰に差したままやってくるのが普通なのです。

私がなぜ、日本を竜宮城だと言うのか、の1つの訳はこのような事実に基づいているのです(まだ「どうして竜宮城?」と言われるかも知れませんが)。

タンザニアで協力隊活動をしていた友人から聞いた話です。

その人はアパートに住んでいて、警備員(警察官などの公務員ではなく、警備会社の人だと思います)が一人、アパートの周囲を、ライフル銃を持って常時監視していました。

治安の悪い首都・ダルエスサラームでは、強盗なども多く、物音がすれば、自己防衛のために銃を発射していいのです。

もちろん、余裕があれば、「誰だ」とか尋ねることもあるでしょう。しかし、せっぱつまった状態では、撃たれる可能性すらあるため、先に撃つのです。

彼が滞在していた1年間の間に、何と二人も射殺されたそうです。誰が射殺されたのか、射殺された人たちが本当に盗人だったのか、どうかはわかりません。

あるいは調べてすらないかも知れません。ゴソゴソしていただけで撃たれるのです。そして、そのことについてのクレームはすることもできません。

怖いことに、その家に住んでいる人が、酒に酔ってフラフラと帰ってきて、自宅の警備員から射殺される、という事態すらありえるのです。

次の話も同じくタンザニアの話です。

近くに住んでいたマラウイの日本人隊員の友人がタンザニアを旅行していたときの話です。

タンザニア人の兵隊の一人がこっそりやってきて、自分の持つ自動小銃を見せ、(2万円程度で)「買ってくれないか」と言ったそうです。

「うん、そうだな。いくらほしくても、持って帰れないから、いらない」と言ったそうですが、腹を空かせた人が兵器を持っていることがどんなに怖いことか想像できますか?

「自分は金がない、でも、この日本人は持っているだろう」と思って近づいてきたのです。もし、買ってくれたらそのお金で逃亡する予定だったのでしょう。もし捕まれば、自分の兵器を売って逃げようとすることは、軍法会議で有罪となり、死刑あるいは重罪となることでしょう。

それをあえて行う人たちがいたのです。そして、このような状態が、ある意味、世界の大勢なのかも知れないのです。

話しかけられた日本人、すなわち私の友人も、撃たれるかも知れないと思いつつ、命がけで買うことを断ったわけなのです。

私自身もタンザニアを旅行したので、大勢のタンザニア人の兵士たちをみて、つくづく、腹を空かせた人に兵器を持たせてはならない、と思いました。上官ですら、撃たれる可能性があります。もちろん、大統領であってもです。

「日本人の警察官は途上国の人たちとは違う」と主張する人がいるでしょう。日本の警察官は腹を空かせていない、と。

自殺、事故、うっかり・・・。いろいろな場面があります。そして大問題を起こす危険性があります。

それでも全国の警察官に常に拳銃を携帯させるべきでしょうか?

・・・

「ピンポーン」とベルの音。

あなたは拳銃を腰に下げた警察官の格好をした人を部屋へ通しますか?

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「過ぎたるは及ばざるがごとし」

は論語の中で中庸について述べられた有名な表現です。

この表現が生まれたのは、弟子の子貢から

「師(弟子の1人、子張)と商(同じく子夏)のどちらが賢なのでしょうか。」

と尋ねられたときに、孔子が

「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」

と答えたあと、さらに子貢から

「では、師の方がまさっているのでしょうか」

と尋ねられ

「行き過ぎるのは行き足りないのと同じだ」
(過ぎたるは及ばざるがごとし)

と答えたことに起源があります。

ここまでの話は、よく知られています。

しかし、師(子張)と商(子夏)とが、どのように行き過ぎたのか、行き足りないのかについての話は、あまり聞きません。

論語を読んでいて、以下の節でこの二人の主張を知り、また、その二人を「過ぎたるは及ばざるがごとし」と評した孔子の発言とともに、とても考えさせられましたので、ここにご紹介したいと思います。

これは、20編からなる論語の第19編「子張第十九」に書かれています。また、「過ぎたるは及ばざるがごとし」は第11編「先進第十一」に記述がありますので、離れたところに二人の意見の違いが書かれています。

師(子張)が、商(子夏)の門下の人に、人との交流について、商からどういう教えを受けているかについて質問したときのことです。

(子張)「子夏は何といったのか」

(子夏の門人)「ためになる人と交わり、ためにならない人とは交わるな、と言われました」

(子張)「それは私の学んだことと違っている。君子は賢者を尊ぶとともに衆人を包容し、善人を賞賛するとともに無能の人をあわれむ、と私は聞いている。自分がもし大賢であるなら、誰と交わろうと平気だし、自分がもし賢くなければ、こちらが相手を嫌う前に相手がこちらを嫌うだろう」

という対話がありました。

確かに、商(子夏)は人との交わりを限定的にしていて、反対に、師(子張)は広く考えています。

広い師(子張)の方がいいのではないか、と考えがちですが、孔子は、

「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」

と述べているのです。

その詳細についての記述はありませんが、私には

「どんなに理想論を展開しようと、現実問題として対処できなければ、意味をなさない」

と言われているように感じます。

孔子の主張は、このように、単に理論家として概念や行動を規定しているのではなく、現実にどうすれば改善できるか、ということに立脚していることが伝わってきます。

もちろん、冷徹な現実論者という側面だけでなく、孔子の感情は、特に「仁」や「詩」、「楽」などについて述べている箇所を読むと人間的な暖かさや楽しみを愛する心が伝わってきます(そのことに関連するお話はまた、別の機会にお知らせすることとしたいと思います)。

ところで、師(子張)の考えのどこが行き過ぎているのでしょうか?

孔子はどうであれば中庸だと考えるのでしょうか?

現存する文献の量が少ないため、十分理解できないところがありますが、次の一節から、その考え方の一部がうかがえるのではないかと思います。

これは、「君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」の話の次の節にあります。

(子貢)「その土地の皆にほめられるような人でございましたら立派な人といえましょうか」

(孔子)「必ずしもそうとはいえまい」

(子貢)「では、土地の皆に憎まれるような人がかえって立派な人でございましょうか」

(孔子)「そうとはいえまい。土地の善人にほめられ、悪人に憎まれるような人が、一番立派な人なのだ」

この節の解釈については、異論もいろいろとあるようです。

しかし、「唯一絶対」的な考え方、あるいは「盲従」に対する警鐘を与えているのではないかと私は考えています。中庸とともに、非常に味わい深い話ではないでしょうか。

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論語に以下の表現があります。

「知之者不如好之者 好之者不如楽之者」
(単に)知る者より、好む者の方がいい。
(しかし)好む者より、楽しむ者の方がいい。

※「不如」は文字通り訳せば「~のようにない/とは違う」

知る、好む、楽しむ対象は、「真理」(英語ではthe truth)というのが一般的な解釈のようです。つまり、

真理を知る者より、真理を好む者の方がいい。
真理を好む者より、真理を楽しむ者の方がいい。

このような解釈もあれば、また、

知識があることを見せびらかすより、好きな思いを持っている方がいい。
好きな思いを持っているだけより、そのことを楽しんでいる方がいい。

と、柔らかな解釈できてしまいます。のびやかなフレーズではないでしょうか。

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