過ぎたるは及ばざるがごとし、の意味
2009 年 1 月 6 日
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
は論語の中で中庸について述べられた有名な表現です。
この表現が生まれたのは、弟子の子貢から
「師(弟子の1人、子張)と商(同じく子夏)のどちらが賢なのでしょうか。」
と尋ねられたときに、孔子が
「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」
と答えたあと、さらに子貢から
「では、師の方がまさっているのでしょうか」
と尋ねられ
「行き過ぎるのは行き足りないのと同じだ」
(過ぎたるは及ばざるがごとし)
と答えたことに起源があります。
ここまでの話は、よく知られています。
しかし、師(子張)と商(子夏)とが、どのように行き過ぎたのか、行き足りないのかについての話は、あまり聞きません。
論語を読んでいて、以下の節でこの二人の主張を知り、また、その二人を「過ぎたるは及ばざるがごとし」と評した孔子の発言とともに、とても考えさせられましたので、ここにご紹介したいと思います。
これは、20編からなる論語の第19編「子張第十九」に書かれています。また、「過ぎたるは及ばざるがごとし」は第11編「先進第十一」に記述がありますので、離れたところに二人の意見の違いが書かれています。
師(子張)が、商(子夏)の門下の人に、人との交流について、商からどういう教えを受けているかについて質問したときのことです。
(子張)「子夏は何といったのか」
(子夏の門人)「ためになる人と交わり、ためにならない人とは交わるな、と言われました」
(子張)「それは私の学んだことと違っている。君子は賢者を尊ぶとともに衆人を包容し、善人を賞賛するとともに無能の人をあわれむ、と私は聞いている。自分がもし大賢であるなら、誰と交わろうと平気だし、自分がもし賢くなければ、こちらが相手を嫌う前に相手がこちらを嫌うだろう」
という対話がありました。
確かに、商(子夏)は人との交わりを限定的にしていて、反対に、師(子張)は広く考えています。
広い師(子張)の方がいいのではないか、と考えがちですが、孔子は、
「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」
と述べているのです。
その詳細についての記述はありませんが、私には
「どんなに理想論を展開しようと、現実問題として対処できなければ、意味をなさない」
と言われているように感じます。
孔子の主張は、このように、単に理論家として概念や行動を規定しているのではなく、現実にどうすれば改善できるか、ということに立脚していることが伝わってきます。
もちろん、冷徹な現実論者という側面だけでなく、孔子の感情は、特に「仁」や「詩」、「楽」などについて述べている箇所を読むと人間的な暖かさや楽しみを愛する心が伝わってきます(そのことに関連するお話はまた、別の機会にお知らせすることとしたいと思います)。
ところで、師(子張)の考えのどこが行き過ぎているのでしょうか?
孔子はどうであれば中庸だと考えるのでしょうか?
現存する文献の量が少ないため、十分理解できないところがありますが、次の一節から、その考え方の一部がうかがえるのではないかと思います。
これは、「君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」の話の次の節にあります。
(子貢)「その土地の皆にほめられるような人でございましたら立派な人といえましょうか」
(孔子)「必ずしもそうとはいえまい」
(子貢)「では、土地の皆に憎まれるような人がかえって立派な人でございましょうか」
(孔子)「そうとはいえまい。土地の善人にほめられ、悪人に憎まれるような人が、一番立派な人なのだ」
この節の解釈については、異論もいろいろとあるようです。
しかし、「唯一絶対」的な考え方、あるいは「盲従」に対する警鐘を与えているのではないかと私は考えています。中庸とともに、非常に味わい深い話ではないでしょうか。
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1 月 6th, 2009 at 12:06 PM
以前の記事の「中庸」のところで出てきたとき、
「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉は、
簡単に思えましたが、今日は難しいのですね。
ですが、「君子和して同ぜず。小人同じて和せず。」
という言葉は、深いように思います!
1 月 6th, 2009 at 8:36 PM
勉強不足でよくわからないのですが、
ソバシマさまは、孔子の
「師は行き過ぎている。商は行き足りない。」
という言葉を、なぜ、
「どんなに理想論を展開しようと、現実問題として対処できなければ、意味をなさない」
と言われているようにお感じになるのでしょうか?
1 月 6th, 2009 at 11:45 PM
論語の他の部分についてあまり説明をせずにいるので、きっとわかりにくくなっているのかもしれません。
論語のそのほかの箇所で、君子たるもの何を意識していなければならないか、などについてよく書かれています。そのため、論語は政治の書だとされています。
決して、理想郷を述べたものではなく、殺人があり、だましがあり、反乱があり、の何でもありの時代のことです。もちろん、ある意味、現代もさほど変わっていないかもしれません。このような時代にどう物事を考え、社会を作ってけばいいのか、という問題に対する解決の道筋を示しているのが孔子の思想であり、その生の言葉が記されているのが論語です。
仁だ徳だと心に大切に持っておきたいものの話はもちろんしていますが、共感できる概念も持ち込んではいますが、物事についての見方と特にその対処法などについて言及するときには、発言や行為の影響について、細かに配慮している箇所を非常に多く感じます。つまり、非常に現実的な考察がなされています。
たとえば、平和の時には自由闊達に意見交換してよいが、乱れているときには(正しい意見であっても)自重しなければなんない、などの発言からもわかるように、物事についての考えや意見伝達、行動などの絶対性というものを否定しているように感じられるのです。絶対性を持ち込むことにより、解決を遠ざけていることを伝えていると感じます。
もちろん、理論の面で、あるいはこれまでの西欧流儀では絶対性はあるのかも知れません。しかし、少なくとも社会的な動きの中においては、絶対性を保持することが災いを生むことを指摘しているように思います。
私たちは、たとえば、「性善説ですか、それとも性悪説ですか」のような問いをしがちですが、そのような極論をすることを戒めているように思います。
そうではないのです。現実には、悪いものも、いいものも混在一体となっているのです。どうすればいい状態にでき、保持していけるか、ということばかり悩み続けています。なぜ、「孝」を大切だと主張しているのか。それは「孝」を大切にしない人が多くいたからです。でも、「孝」が大切だ、という説明をわかる人はかなり多くいます。
ご質問に戻ります。
私は孔子は師の意見を(性善説的な)極論と見ていると解釈しました。その立場ですべて解こうとすると失敗する、と。
研究するときには極論をし、あるいは絶対性などを考えたりします。特に西欧式の場合・・・。でも、そのような仮定をもつことが、結局、問題を解けないようにしていることが現実世界ではあるわけです。
イスラエルとパレスチナ・アラブとの一神教文化同士の戦争のように。
絶対性を信ずるもの同士は、それをはずさない限り永遠に解決できません。
できたら、彼らに、そのことを教えたいのですが、このように憎しみを親から子へと伝えることをストップすることは難しいと感じませんか?
論語は、非常に理路整然としている中で「中庸」という混ざり物的な概念があるため、私たちは学問なのか、学問でないのか、科学なのか、科学でないのかわからなくなってしまいます。
しかし、これが一番大切な、ある意味東洋思想の根本のようなものだと思います。
「天」という言葉はたくさん存在しますが、神秘性を排除します。問われても言及しません。欲についても問題点を指摘していますが、それを持つことを罪だと戒めることは決してしません。
弟子たちが何度も「利益」について尋ねますが、仁や徳を使った話になってしまっています。
日本の歴史を学んで、日本の良さも多く知りましたが、残念ながら、明治になるまで、神社であれ仏教であれ、政権も民衆も「利益」を得ることと「厄」を払ったり「祟り」を避けることに非常なる労力をかけてきたことを知りました。
その中で儒教は、中庸という扱いにくいものがあるものの、宗教やしきたり、占いとは異なり、社会の平和と安定のための思想であり、科学は進んだ現在でも、学べることが非常に多くあると再確認しています。
何度も申し上げますが、中庸は理解しにくいもののです。しかし、それはおそらく、私たちの頭がかなり西欧化しているから、欧米の論理的な思考、あるいは科学的な方法に慣れすぎているからではないか、と思うのです。
混ざったものはピュアではもちろんありません。足して2で割るようなものはきれいではありません。でも、ひょっとして、中庸の方が美しいと感じられることができるのではないか、とも仮定してみているのです。
このむずかしさは、ニュートン、アインシュタイン、量子力学へと続く流れに非常に似ています。
ある意味、ニュートンがもっとも美しい西欧の合理主義です。しかし、美しく見えるものだけでは世界は説明できなかったり、社会の平和は維持できないようになっているのが現実であるように感じます。
1 月 7th, 2009 at 12:39 AM
ありがとうございました。理解できていないのかもしれませんが、少し近づけたようには思います。
人との交わりで範囲を限定しない師は極論を言っていて、現実的には、それは難しくそれでは物事は解決しない。。。ということを孔子が言っていると解釈されておられるということですね。