ご利益指向、厄・祟り回避文化の日本
2009 年 1 月 12 日
日本は、他のアジアの諸国とも文化をシェア(共有)しながら、独自の文化を形成しています。
日本人は一般的に、
【1】 タブーや扱いたくないことは上手に避けながら、
→ エネルギー損失は最小
【2】 感性・感覚を尊び(楽しみ)、
→ 若さを保ち、人生を謳歌できる
【3】 雑念を生じさせずに「ひたすら」はげむことを美徳とし、
→ 労働の美徳を保持しながら、無駄な思考・フィードバックを回避
【4】 疑わず、無防備で 性善説的な振る舞いをし、
→ 拳銃を下げた、警官の格好をした人を疑わない
【5】 ちゃんと漠然と多方面に感謝をしながら、
→ 「応援ありがとうございます」、のアスリートだけでなく
→ 先祖・周囲すべてに感謝
【6】 厄を払うことや祟りを回避することを強く願い、
→ 過去の日本ではこの重要性が非常に高かった
【7】 ご利益をささやかに求め(祈り)、またありがたく受け、
→ 温泉の効能だけでなく、神社仏閣すら「ご利益」で定義する
→ 米軍に守ってもらえるのも一種のご利益
【8】 不満について漠然と「政府が悪い」とガス抜きをしながら、
→ 革命で政府を壊すエネルギー、経済的な損失を生じない
【9】 杓子定規に法律を適用せずとも柔軟に対処することができる
→ 見事に法律と効率の間を縫って合理的な判断をする
【10】 ただし、問題があったときに、感覚的にざっくり捉え、あまり深く考えたり対処はしない
→ これが前の記事などで問題としているものです。
→ とことん責めること、改革「チェンジ」をしません。
という特徴があるように思います。
(これまでの私の分析的な観察を列挙しただけですから、まだまだあるでしょう)
これらの特性は個人の精神の安定性に役立っているものも多くありますが、社会の安定にも役立っているものが非常に多くあります。
【9】については、私が面白いと感じる事例が山のようにあります。また、【10】 については、これまで、かなり厳しく指摘してきています。壊さない、という保守性のメリットがある反面、改善できないというデメリットがあり、一番気になる特性です。
このように、日本人、日本文化は、対決や解決の分析や作法から程遠いにもかかわらず、実は、無益な争いを上手に回避する、争いを長引かせない技を持っている、とても愛すべき性質を保持していると思います。
私は、このように平和的な特性を持っている日本が大好きです。
外国人は日本人を「チャーミング」だと評しますが、他意がなく、魅力的です。言い過ぎると「イノセント(馬鹿正直のような、子供っぽさを含みます)」です。
やや茶化した表現になっていますが、実は、その生命力の強さと「美」感覚をとても尊敬しています。
私は、リーダーシップといった直接の形ではないにせよ、何らかの形で、このような特性が、必ずや世界の平和と安定に寄与するのではないか、と考えています。
どうしてかというと、世界制覇の野心が全く無く、タブーには触れず上手に、自分にとってご利益となるものは、しっかりと加えていく生き残り術を持ったまま、思いやりを発揮できるという、かなり高度なパワーがあるからです。
千年以上前、仏教を取り入れたときも、これまで保持してきたものをマイナスとはせず、仏教のご利益をプラスとしてきました。
日本の神社仏閣で、特徴、すなわちご利益がないものはほとんどないという事実も、非常に面白いと感じませんか?
日本文化は、本来足せないようなものでも、ちゃんと加え、みごとに融和させるという「生き残りの技術」があります。
牧畜文化は区分します。除きます。選別します。落とします。場合によってはタブーを衝突させます。
一神教文化同士は終わりの無い戦いを行うことがあります。
ダーウィンの思想は単にシンプルだから成立しているのではありません。きっと、「動物=生存競争」というものに根ざした文化があるのではないでしょうか。そのような思考パターンが厳然と存在しています。
私は、願わくば日本の「カワイイ」文化が世界の緊張を和らげ、戦闘地域の戦意を消失させることに役立たないかと祈っています。
「日本人女性は美しい」のようなCMを、イラクやイスラエルで流したいくらいです(もちろん半分冗談ですが、冗談が現実になるのもこの社会だと思います)。戦意喪失のマジックは日本にはたくさんあります。だって、竜宮城ですから!
もちろん、日本文化が完璧だと言っているのではありません。
本当の意味で日本人が合理性も身に付け、タブーにも上手に付き合えるようになれば、鬼に金棒です。怖いものなし!
だから、キーワードはハイブリッドなのです。
元来、チャーミングで、気配り、配慮ができ、他を尊ぶ人々です。世界の人々から好かれるのは当然です。
そのような中にあるからこそ、日本が戦争の負の遺産を清算できていないことを非常に残念に思います。
しっかりした独自の憲法であれ、国会決議であれ、政府見解であれ、自ら進んで出せないのです。作れないのです。変えられないのです。
本来大切な軍隊=自衛隊の掌握とコントロールについてしっかりした柱も作らない、作れないことを非常に残念に思います。
田母神氏の問題を、事実上の解任と「不適切」「残念」だけで放っておけることに、怖さを感じますが、それが日本なのです。
私には、無免許・無資格の軍人トップが(ミサイルや戦車などの)軍隊を運転しているようで怖くてハラハラしてしまいます。
また、何十万、何百万もの拳銃が町中にあっても怖く思わないことを怖く思うのです。
第二次世界大戦の大問題を、きっちりと清算せず(これは、亡くなった方には冥福を祈っていますが、300万人の犠牲者を出し、焼け野原の中で苦しんできた国民に対して明確に政府が謝罪を行っていないことを指しています。対外的には謝罪を行ってきています)、軍隊についての明確なビジョンを構築しないまま、少しずつ状況に合わせて大きくしてきたものについて、マスメディアすら、強い指摘はできません。なぜなら、きっちりした指針を持っていないからです。
だから腫れ物やタブーには触れないのです。
おそらくどの党も、米軍の日本からの撤退をきっちりと進める方策を練ったり、交渉したりすることもやる気はないでしょう。
票に結びつかないものです。そんなエネルギーを使いたくないのです。そもそも、アメリカの軍隊というご利益があるのですから・・・。
しかし、もうそろそろ、アメリカがこれまでのアメリカとして世界の中で位置づけられない時代がやってこようとしています。
北朝鮮の状況によりますが、「韓国から米軍が撤退する」という話が出てくるのではないか、と私は予測するのです。
そのときになって、日本中があわてるでしょう。どう進めていいか、あわてふためくでしょう。
日本が言い出す前に、(経済的・世界戦略的な理由から)「日本からの米軍の撤退」の話があったとき、「そんなこと考えていませんでした。話を聞いて驚きました」と首相や防衛大臣が発言するのでしょうか?
そんなことになったら私はとても情けなく思います。国を構築する基本すら、組み立てていないのです。
第二次世界大戦を清算せずに米国に依存したからです。
ノーベル平和賞をとった佐藤栄作首相の米国による核反撃の話は「けしからん」という意見が多くあることはわかります。でも、「もしも」の言質をとっている、というしっかりした「依存症」の方が、何も考えていないほったらかしより、「政治家」として職務を行っていると思います。
非核三原則のスローガンは、米国との裏取引により成立していたものです。ですから、単にノーベル賞を辞退すればよかっただけです。
このようなことは、平和なときは、誰も考えなくていいことです。軍事の心配も、兵役のことも。
私はつい、日本人が逃げたがる話題について話してしまいます。
それは「知っていながら、感じていながら逃げている、棚上げにしている」ことを知っていただきたいからです。意識からすら外す風潮が最近ないでしょうか?
さて、戦後、技術については、日本人はその特性を活かしてきましたが、残念ながら、科学には十分力を発揮できていませんでした。
しかし、昨今のノーベル物理学賞でもわかるように、民族としての劣勢はまったく無いといっていいでしょう。
ただし、粘り強さ、徹底した疑いと検証、強い目的意識、これらが文化的に不足している部分があることを私は強く感じています。改善のためにかけるエネルギーがどれほど小さく、まとまっていないか、を感じています。
日本人は他意がなく、チャーミングですが、それゆえ、論理的な追求や解決のための手立てをきっちり進めていく「合理性」が欠けている面があるのです。タブーに触れそうになったら、すぐさま外します(だからタブーです)。
何とか、その両面を持てるようにできないでしょうか?
美的な感覚、楽しみや笑い、ユーモアのセンスを持ち、合理的な分析や判断ができ、人を思いやり、しなやかで、愛されるハイブリッドを目指さないでしょうか?
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