越冬、そして春を迎えた花たち
2009 年 3 月 31 日
東京もようやく温かくなってきました。
桜は開花して数日たちますが、なかなか満開になりそうにありません。
さて、去年の暮れにブログでご紹介した新宿中央公園の花壇の花たちはちゃんと越冬し、うれしそうに春を迎えています。
私に食べ物をおねだりしていた野良猫も、ずいぶん大きくなっていました。


私たち人間も、氷河期のような経済を早く越冬したいものです。
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「完璧なまでに自由」の強さ
2009 年 3 月 30 日
筑波の科学万博で展示されたトマトの話をご存じでしょうか?
水耕栽培で、たった1株のトマトから1万2000個の果実を実らせた話です。
どのようにしてそんなすごいことができたのでしょうか?
それは、徹底してトマトの立場になり、何が成長、そして果実を実らせることを阻害しているかを探し出して、それを排除することで得られた成功なのです。
「しっかり土に根を張って」と私たちがいつも言うように、自然界では「太陽」と並び「土」こそが一番大切なもののように言われます。土は植物を育てる必須の要素だと思われています。
しかし、決してそうではないそうなのです。
実は、多くのバクテリアを含む土こそが、植物の成長を制約する一番の要因であることが分かったそうです。
植物たちは日々、土の中のバクテリアと戦い、疲れ果てているそうなのです。
だから、水耕栽培にし、たゆまず栄養溶液が流れる中でトマトをスクスク育てたら、たった1株から1万2000個の果実を実らせることに成功したのです。
この話をして下さったのは、私が勤めていた研究所群(複数の研究所の集まり)の中の1つの会社の社長でした。
「私の仕事は、皆さん(研究員)のじゃまをしないこと、のびのびと成果を出せる環境を整えることです」
と社長は言い切られました。
このように、命令や制約などを全く排した、いわば「完璧なまでに自由」の中であれば、とてつもない成長が可能だそうです。
社長の言葉を聞いて、うれしく思いましたが、もちろん、それをプレッシャーに感じる方もいるでしょう。
「完璧なまでに自由」とは、実は難しいものです。
(実は、苫米地英人氏らが財団を作り、進めている運動の思想は、この「完璧なまでに自由」の考えです)
もちろん、成長することを待てなかったり、一定量の成果を約束させたいがため、通常、私たちの社会では、(最低限保証や罰則などの)制約をかけますし、少なくとも精神的なストレスをかけていきます。
よく、「自由と義務は表裏だ」などと言います。
ところが、「完璧なまでに自由」な世界では、決して義務を課さないのです。それでは自由にはなりません。「自由との引き換え」といったケチな話では決してありません。
もちろん、結果をありのままに受け入れることは必要なことでありますが、「義務」を与えられているわけではありません!
普通、「そんなことできるのだろうか?」と思われるでしょう。
「最低限の成果の保証はないと」と言われるでしょう。
自分が会社の社長をしていても、自分に対してゴールを定め、最低限の想定をし、それをいつも考慮しながら事業展開するのが普通ではないでしょうか。
テレビや新聞など、マスコミ報道を見ていると、どのように感じられますか?
今回のWBCと北京五輪。同じ日本の野球に対するものです。
結果が違うから? ですか。
そんなに結果が大切ですか?
人には結果を求め、自分の結果にストレスをいだく社会を皆で営々と作っていると思いませんか?
大人しいはずの日本人。中国人や韓国人も同様ではありますが、すごく順位を大切にします。気にします。
英語教材を販売しようとマーケットを調べてみるとどれほど、「TOIC」「英検」・・・などを銘打ったものが多いのに驚かされます(TOICの得点など)。
ランキングが大好きです。勝つか負けるかをすごく気にします。(それはいいとしても)それをプレッシャーにします。
・・・いつも不思議なのはインド人です。どうもオリンピックも金メダルもまったく興味がない様子。すごく私はこの国民性が気になります・・・
さて、昨日の浅田真央ちゃんの試合の結果。
私は若い女の子に対してあまりにも酷なプレッシャーを与えていると思います。
私たちはマスコミを武器にして、アスリートたちに称賛か批難を与えます。天国か地獄を与えます。
浅田真央ちゃんが3位以内に入れない演技は大々的に「失敗」とされます。ブログを炎上させることを非難するメディア、一般紙も、社会から、よってたかって「どうして」「なぜ」と一斉にプレッシャーをかけます。
名誉毀損は罪になりますが、集団暴行に近い、このようにストレスをかけることはなんら問題ないことだと思われますか?
社会からだけでなく、本人からも相当なストレスをかけていることでしょう。
このような状態が一番生き物を伸び伸びと成長させない要因となります。
ストレスとは、アレルギーのように、自分自身が体内に向けて放つ毒素です。
体も、精神も疲れ、若さを次第に失うことになるでしょう。
そうでなくとも、年とともに、ウキウキするような気持ちやチャンスは少なくなり、逆に、いやなことなどが増えてくるものです。
決して、自分に対して追い詰めるようなことはやってはならないでしょう。
もちろん、他人に対してもマナーとして失敗したアスリートたちにプレッシャーをかけたりしないようにしたいものです。
伸びる芽を皆でむしり取っているようなものですから。
・・・私も若いころは、このストレスは「肥やし」だと思っていましたが、最近、考えが変わってきました。経験は必要だし役に立ちますが、何度もある必要はなく、そのストレスは自分自身を弱らせ、老化させ、酸化させる要因だと思うようになりました・・・
完全な自由など難しいことはわかっています。
でも、だからこそ、考えてみるべき、問うてみるべきことではないでしょうか。
最低限、もう少し社会のマナーは改善したいと思うのですが、いかがでしょうか?
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ドクター苫米地のセミナーに出席しました
2009 年 3 月 29 日

「英語は逆から学べ!」「『1日10分』で脳が生まれ変わる」などの啓発系ビジネス書籍を売りまくり今注目を集める脳機能学者・計算言語学者のドクター苫米地こと苫米地英人博士、ルー・タイスさんらのセミナーが本日都内で開催されました。
私が提唱している「ききまね英語」も、ドクター苫米地の考えと共通するところが非常に多いことや、以前の記事でも書きましたが、実は、入れ違いではありますが、同じ研究所(株式会社ATR自動翻訳電話研究所)にいたこともあり、ぜひ、彼のセオリーも直接聞き、会ってお話したいと今日のセミナーに飛び込むことにしました。
(恐れ入りますが、このセミナーの内容は非常に壮大なので、ここでの説明は省かせていただきます)
セミナー終了後、お会いしてお話できました(写真左が苫米地英人氏、右が私・側嶋康博)。私たちは生まれた年も同じ、共通の職場に勤務しただけでなく、実は共通の友人もいたこともわかり、とてもうれしかったです。
そこで、同時通訳までスラスラこなす彼に、釈迦に説法は承知の上で、「ききまね英語」の無料お試しをプレゼントしました。
簡単な説明をして、お渡しすると、第一声「あ、いいね」と。
また、追ってコメントをいただく予定ですが、取り急ぎ、このブログで状況をご報告いたしました。
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言葉の構文と意味
2009 年 3 月 27 日
(1) 私は明日彼と会う約束をした。
という文と
(2) 私は昨日彼と会う約束をした。
という文は言葉の並びは全く同じ。違いは「明日」という語が2番目の文では「昨日」になっていることです。
私たち日本人には、(1)では「会うのは明日の予定」であり、(2)では「約束をしたのは昨日」だということが間髪を入れずわかります。
どうして、そのような解釈がすぐにできるのでしょうか。
おそらく、(1)では「明日」と「した」とでは意味的な整合性が取れないので、この解釈は除外しているのでしょう。でも、(2)では「昨日」と「した」とは構文的にも意味的にも整合性が取れるので、「約束をしたのは昨日」という解釈をするのだと考えられます。
語句の並びが同じでも、構文(構造)が異なっている例です。
ところで、日本語と英語はある意味、正反対の言語です。
人類がアフリカで誕生したとして、西のはずれのヒトの言葉(英語)と東のはずれのヒトの言葉(日本語)です。
日本語は原則、重要な言葉が文末に置かれます。
英語は主語の次に来る語が一番大切な語である動詞です。
俳句や和歌など、コンパクトな表現にギュっと圧縮可能な不思議な言語の日本語。
それに対して、主語と動詞を言ってしまったら、単語の説明や節をぞくぞくと付加していける、いわば永遠の世界へ広げられる言語の英語。
極をなす両言語同士で翻訳できることの方が不思議なのではないでしょうか。
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ききまね英語Blogが分離独立しました
2009 年 3 月 25 日
このブログ「熟考伝達」から、「ききまね英語」関連は基本的に分離することにしました。
「ききまね英語Blog」: http://blog.kikimane.com
そのブログのオープニング用に23記事用意しました(一部このブログ記事との重複があります)。このブログのサイドバーに、RSSを使って、ききまね英語Blogの最新記事のタイトルとリンクを表示しています。ご興味のある方は、ぜひ、ご訪問ください。
ききまね英語・無料お試しダウンロード開始
2009 年 3 月 19 日
【リリース記事】
株式会社ベータラボは、「ききまね英語」(商標出願中)という英語学習教材を開発し、1スキット(10分)の無料お試し版のダウンロードを開始しました。その目的と特徴は以下のとおりです。
《目的》
赤ちゃんの言語習得に最も近い自然な方法でありながら短期集中訓練で「話せる英語」の基礎を習得すること
《特徴》
1.パソコンを使ったスライドショー形式の(絵本・紙芝居のような)楽しい視聴覚教材
2.音声言語習得の障壁だった「日本語」も「英文字」も不使用とすることで、より着実に「話すための英語脳」を育てる
3.1スキットわずか10分に凝縮した集中学習により、続けやすくなっている
4.自然な言語習得法である「聞き流し英語」と比較して取り組みやすくしている(対話式、段階的な語彙・速度のアップ、繰り返し練習)
《ききまね英語・リリース記事PDF版》
betalabo_release2009-03-18.pdf
《商品の説明専門サイト》
《無料お試し版の紹介》
https://xn--y5qs97lf9e.com/prod/kikimane_sample/
《ベータラボのメルマガでの紹介内容》
このお知らせができることを、とてもうれしく思います。
全国どこよりも早く、ベータラボメルマガ会員様へのご案内です。
それは「ききまね英語」(商標出願中)です。
今年の春の「話題作」です!
【最新の脳機能科学の成果に基づく言語習得法です】
これまでの苦労は何だったのか、と思われるかも知れません。
日本語なし、英文字なし、「視聴覚刺激」へ反応する”話せる英語”習得法です。
・赤ちゃんの言語習得方法と同じ自然な学び方です
・きれいな画像と英語音声との対話する短いスキット(Windows 1回10分)
・予習要らず、辞書いらず、10分パソコンに集中するだけ!
【だれにも役立つ方法】
初めて英語を学ぶ人も、もう一度基礎からやり直したい人もOKです。
お子様からお年寄りまで、お忙しいお勤めの方でも。
【聞き流し英語とどこが違うのか】
・対話者になるので主体的に話の中に入っていきます。
・自分が話す「間」がある
・段階的にステップアップできる
・リピート、言い換え、ロールプレイなどの練習で実力強化できる
つまり学びやすい、学習者にやさしい方法なのです。
もちろん、「ききまね」に自然な英語の「聞き流し」をプラスすれば最強かもしれません。
他の教材とどう組み合わせても何ら問題はありません。
【すぐに無料ダウンロードとお試しできます】
語りつくせません。でも、使えばすぐにわかります!
イントロ1分、スキット10分だけ。
Windowsスライドショーです。
・・・
(以上本文のみ)
Absolute(絶対的)とUniversal(普遍的)
2009 年 3 月 14 日
1つ前の記事で「平均律と純正調」の話をしたので、もうひとつ、関連する話を思い出しました。
これは、コンピュータの世界の話です。
コンピュータは第二次世界大戦後に作られ発展してきたものですが、ハードウェアだけでなく、ソフトウェア、とくにOSと呼ばれ、莫大な開発コストがかかる基本ソフトウェアを開発しながら発展してきました。
1970年代から80年代にかけて、アメリカを中心に資本が投下され、開発競争がさかんになってきました。
そのころから、多くの端末からの要求をセンターで処理する、中央集中型のコンピュータの利用法が、重要なやり方だと思われていました。
もちろん、現在もその流れは半分正しいのですが、半分は、分散的な処理によって、ホストのトラブルのリスクを回避するような方向で発展しています。
詳しい話はここではできないので、少しスキップします。
その当時、完全無欠、膨大で絶大な基本ソフトウェアを作ろうとしていましたが、結果は失敗しました。
それに対して、ひとつひとつ小さいものを組み合わせて、大きい仕事ができるような仕組みを考え出し、アメリカの大学(教育機関)を中心に利用が広がり、それが後に大成功を収めました。
それがUNIXと呼ばれる基本ソフトです。
現在もインターネットのホストコンピュータのほとんどで使われているOSです。
何がどう違うのかを一言でいえば、京セラ・稲盛氏の「アメーバ-経営的」といったらわかりやすいかも知れません。
分けても分けても終わりがない・・・とまでは言いませんが、本当に小さな小さなコマンド(命令)の集まりを組み合わせて壮大なものを作り上げているのです。
膨大なコストがかかるようなときは、このような最初の基本設計、スケッチ、あるいはフレームワークがとても大切です。
何でもできる(マルチ)に対抗して単一(ユニ)という意味からUNIXという名前が付けられたそうです。
さて、Financial Timesの記事に、リーマンショック以降の出来事を、「金融メルトダウン」と表現されていました。
今こそ、「絶対」とか「強力」「完全」などに引き付けられることなく、「シンプル」「普遍」「汎用」な価値観を大切にしていくべきでないかと思いました。
恐竜のように、大きな変動が起こると、適応できないものが滅びるのが世の常ですから。
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平均律と純正調
2009 年 3 月 13 日
バッハの「平均律ピアノ曲集」というものがあります。
その言葉でしか一般に知られたり使われることがない「平均律」とは、(「ハ調」から「ヘ調」へなどの)移調ができ、あるいは異なった楽器をどう組み合わせても合奏ができるように、音程を調整した、ユニバーサルな「音階」のことです。
日本には「ロツレチリ・・・」の陰・陽音階がありますが、西洋の音楽では、実は「平均律」とは異なり、「純正調」と呼ばれる音階があります。
この「純正調」は、完全な和音を生み出す音階ですから、一番美しく聞こえます。
たとえば、教会の聖歌隊がアカペラ(無伴奏)で歌うようなときは、楽器がないので平均律で歌う必要はありません。
ですから、完全な和音を作ればいい(純正調で合唱すればいい)わけです。
逆の言い方をすると、平均律の場合は、和音の響きが「ほんの少しだけ不完全である」ということになります(ちょっとだけハモっていない)。
自慢になってしまうかもしれませんが、私は合唱団の指揮者をしていたので、この音の違いもわかりますし、純正調の「ド・ミ・ソ」と平均律の「ド・ミ・ソ」の違いを歌い分けることもできます(純正調のミは音が少し高いです)。
たいていの人には、この微妙な違いはわかりにくいところですし、無視できる程度とも言えますが、この「平均律」を作り、導入したヨハン・セバスチャン・バッハは、今後の音楽界にとって決定的な発明を行ったと言えるでしょう。
これは、科学上の発見や発明ではありませんが、私は、たとえば「ニュートンの万有引力の法則」の発見などに匹敵する偉大な出来事だったと思います。
科学の発見や発明などの背景には、非常に美しい理論や原理が描かれるので、私たちはそれらに魅了されますが、ここでは、「純正調は完璧で平均律は不完全」という、一面的な見方(極論)をすべきでないと思います。
ところで、以前、ここの記事でも書いたと思うのですが、ニュートンが万有引力を発見したころは、イギリスでもペストが大流行の時代でした。
学校(ケンブリッジ大学)も閉鎖され、自宅待機だったようですが、暇をもてあまし、ぼんやり庭を眺めていて、りんごの木からリンゴが落ちるのを見て発見できた、とされています。
おそらく、これは実話ではなく、ニュートン流のジョーク(「ひまだったからですよ」というメッセージ)だと思っています。
いずれにしても、「真理」と感じさせる理論の美しさから、私たち科学を学ぶものは、万有引力のように引き付けられ、感動を受けます。
アインシュタインにしても、徹底して思考実験を行い、真理に近づきました。
突き詰めれば突き詰めるだけ、本質があぶりだされ、複雑に扱われていたものが、単純化されていきます。たとえば1つの方程式がこれまでわかっていた2つの方程式を表わし得たりするのです(実際、アインシュタインの2つの方程式がマックスウェルの4つの方程式を表します)。
一般に、科学の分野では、価値の高いもの、理論だとか原理などは、よりピュアなものである場合が多く、シンプルになります。
クォーク理論の論文はわずか2ページで書かれています。もちろん、論文ですから、本論以外の部分も含まれていて、たった2ページなわけです。社会科学系の研究者からすると信じられないことだと思います。
湯川秀樹博士の中間子理論にしても、私が計算しても、わずか4行程度の表現で、原子核内の世界を説明します。
このようなもの、たとえば理論物理に触れていると、雑然とした日常や世界とは異なって、見事に統合された世界や原理があるのではないか、と考えさせられ、美術的な感性に刺激を受けてしまいます。
さて、お話を戻したいと思います。
科学的な大発見などは、このようにピュア、そしてシンプルであるという特質があるのが普通ですが、それとはある意味対極にあるようなもの、つまり対称性の破れや不完全性、あるいは妥協などについて扱うものもあり、これもまた、とても大切ではないかと最近思うようになりました(社会の中での「中庸」もまた、同じです)。
「平均律」は完全に現実的な妥協です。しかし、非常に美しい妥協です。
この平均律のおかげで、さまざまなアンサンブルやオーケストラなどの器楽音楽が発達しました。
ジャズやロック、ポップもすべて「平均律」の恩恵を受けているとも言えます。
当然、「平均律」が最終形である、という保証はありません。
たとえばコンピュータを使った演奏の場合、楽器の制約がないので、楽器のための音階制約すらはずせるからです。
「非平均律」の方向に進むかどうかは不明ですが、このバッハの平均律の威力は、コンピュータによる演奏が出現するまで、何百年かは絶大だったといえますし、大きな影響を与えてくれました。
このように、私たちに役立つもの(ご利益?)を与えてくれるものこそが、たたえるべき偉大な発見、発明、そして業績だと言えるでしょう。
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グローバルマナーとローカルマナー
2009 年 3 月 11 日
これだけ早いテンポで国際化や情報化が進むと、ローカルな価値観の保持がなかなか困難になってきています。グローバルな価値観が強い勢いで広がっているからです。
一般的にはこのような状況下、「ローカルを大切にしよう」という意見が言われることが多いと思いますが、逆に、グローバルを早く取り入れないとトラブルを生じかねない、という懸念もあると思います。
高校での英語授業を英語で行うようになるという話は、小学校への英語授業の導入以上に、私にはとても重く感じられます。
上辺だけ英語になるのではなく、文化的な影響もあるからです。
2~3人で談笑していたときにどなたかがその部屋に入って来られたします。
グローバルなマナーだと、(入って来られた方へ敬意を表すべき場合は)みな、話をストップして立ち上がり、握手をしてあいさつする、といったマナーは日本人にも受け入れられつつあるマナーではないでしょうか?
思いめぐらせてみると、テーブルや車のシートの着席などなど、きりがないくらい、マナーの問題があります。
マナーは、敬意や謝意、思いやりなどが凝縮したものです。
言葉づかいすらマナーではないかとも思いますし、儒教的には、それは「礼」でしょう(服装ももちろん「礼」です)。
儒教だから、欧米マナーだから、あるいは日本マナーだから、という個別の文化に属したものではなく、もともと、もっとグローバルに、「人が人に気遣いをし、そのことを言外に伝える」という効果を持ってマナーは実行されるものだと思います。
日本の学校(小・中・高校)では、たとえば教師が教室へ入ったとき、どのようにするのが一般的でしょうか?
私が子供の時分は、クラスの誰かが号令をかけるまで、静かにするように気をつけることはあっても、自主的に起立することはなかったと思います。
どうでしょうか。
日本では、誰かが「起立」と言い、そして「礼」といって指示を受けるまで、待機するのがマナーであるようです。
しかし、グロバールマナーでは、その逆です。
敬意を払うべき人がいらっしゃったら、人から言われるのではなく、自ら起立して敬意を示します。
言い変えると、自主的に起立しない(=待っている)日本式は、グローバルでは非礼に当たるのです。
オバマ大統領の演説を見ていてかっこよく見えるのは、権威ぶっていないところからくると思います。
完全にフレンドリーなのに、堂々と意見を伝えるところが欧米式、グローバルな(民主主義的?)スタイルです。
これもマナーだと言っていいでしょう。
いまや、このような西欧合理主義・民主主義的、グローバルな価値観では、「同等」「対等」を示すことはマナーとなりつつあります。
アメリカ人、あるいはイギリス人でもそうですが、親子であっても「You」と「I」。父親の名前を呼び捨てるのがかれらのマナーです。それは上下関係を作らないからです。
もちろん、「Mama」とか「Daddy」などと呼んだりしますが、そう呼ぶ段階はまだ「子供」だと本人も親も認めているわけで、お父さんをたとえば「John」と呼べるようになったとき、まだ6歳でも、その子自身大人になったような自覚を持つことになります。
日本の「お父さん」「お母さん」は廃止して名前を呼び捨てよう、と申しているのではありませんが、これほどの違いが存在するのです。
英語の授業を英語でする、これはとてもいいことですが、実は非常に深い意味を持っていると思います。
グローバルマナーも入ってくるからです。
これまでの高校の英語の先生は、英語について教える先生でよかったのですが、この移行により、グローバルマナーも伝えられないことには、あるいはちゃんと意識して扱えないことには、(単にこれまでの日本語でしていた授業を英語に翻訳しただけの)ちんぷんかんの英語授業になってしまいそうで心配です。
心配ばかりしていても仕方ないので、教育指導要領が出たそうなのでダウンロードしてざっと目を通してみました。
うーん。抽象論しか書いていません。ポイントがほとんどつかめません。
教育する方々への要領(ガイドライン)ですから、もっと明確にあるものかと思っていたいのですが・・・。
他にも補助的なものがあるかも知れないので気をつけておこうと思います。
いずれにしてももちろん、基本は思いやりです。
コミュニケーションも、文化理解も。
グローバルに思いやりが伝えられるかどうかがとても重要になるわけです。
その意味でも、私たちが学校、とくに義務教育で学んでいるものは、ほとんど「社会科」であるとも言えるのではないかと考えています。
英語は社会科です。
道徳も社会科です。
算数も・・・社会科です(?)。
教育とは、人が社会的な存在として生きていくために必要な資源や技術を養成するわけですから、当然と言えば当然ですが。
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北朝鮮のミサイルへ迎撃すべきかどうか
2009 年 3 月 10 日
物騒な話ですが、話題になっている北朝鮮のミサイル発射についてのことです。
ニュースで報道されているとおり、北朝鮮は、核放棄にいったん合意していながら、その履行については引き延ばしをしながら、今回報道があるように、ミサイルの発射を準備しているようです。
ミサイル発射については、以前にもあったのでさほど大きなニュースとしてとらえられていませんが、今回は、日本がそのミサイルを迎撃することを検討していることから、話がエスカレートしてきています。
北朝鮮は、もし、日本が発射したミサイルを迎撃したことが判明したら、すぐに報復を行うとのコメントを出しています。
遠方へ遠征して、攻撃をするようなものでない、このような防衛行動については、これまでの政府見解でも憲法違反ではないとの判断があるため、日本による「迎撃」を「憲法違反だ」とする考えは少ないだろうと考えられます。
問題は、このような重大な問題についてすら、きちんと対応ができない日本の仕組みについて懸念されることです。
みなさんは、どんなご意見でしょうか?
そもそも、武力の行使は憲法違反なので、どんな国から何が飛んでこようと、何もすべきでないのでしょうか?
反対に、防衛は当然のことであり、ミサイルに対する迎撃発射を行うべきであり、核弾頭付きであれ核弾頭がないミサイルであれ、発射することあるいは攻撃することの無意味さを伝えるべきなのでしょうか?
日本が迎撃するようなそぶりを見せたからこのような反応をおびき寄せたのであり、見て見ぬふりをすべきなのでしょうか?
私の意見は、防衛という非常に大事な事項について、きちんと定義し、管理できていないことが最大の問題だと思っています。
以前の航空幕僚長の発言についての対処も、対処できないまま過ぎていくことに虚しさを感じます。
北朝鮮の考えや行動は、明らかに国家として病んだ状態のように私たちには見えます。
しかしそれは、戦闘状態であるからなのです。
日本が戦闘状態であったときとどれほど違うでしょうか?
日本が平和であることを感謝しつつ、平和であっても、このような重大問題を解決するための段取りをひとつも進められない政治状況を非常に残念に思います。
これは、私の個人的な考えかも知れませんが、男性の何割かの人は同様の思いを持っているのではないかと思ってお伝えします。
たとえば選挙。
だれに投票するか、を考えたとき、自分が交通事故か何かで不慮の事故で死ぬような場合、誰に家族たちを任せたらいいか、と考えて私は投票するようにしています。
誰だったら任せられるだろう、としっかり考えてから投票します。
なかなか、すばらしい方だと実感できることは少なくても、実は、そのような人かも知れない、と考えることすら非常に少なくなってしまっているのは、見抜くだけの自分の力量不足もあるのではないか、と考えます。
この北朝鮮のミサイル問題についても、各政党や、政治家たちの考えを知るためのチャンスであるので、意見を知りたいと思います。
もちろん、争いをせず、融和策を徹底して進める力が最も望まれるのではありますけれども。
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ディスニーランドでのお話
2009 年 3 月 8 日
今日、ご紹介するお話は、何度か聞いたお話です。たまたままた、お聞きしたので、記事としてご紹介することにしました。
このお話は、病弱の娘様を亡くしたご夫婦が、亡くなって一周忌の日に、連れていくいことができなかったディスニーランドに、供養のために夫婦で訪れた時のお話です。
・・・
ガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知りました。二人は、亡くなった娘さんにも楽しませてあげたいと思ってそのレストランへ行ったのですが、8歳以下の子供しか頼めない規則だったようです。
あきらめかけたとき、お店の人(ディスニーランドのキャスト)にオーダーできるかどうか尋ねてみたそうです。すると、
「三名様、こちらへどうぞ」
とご案内いただき、4人掛けのテーブルになんと子供用に高い椅子まで持ってきてくれ、
「本日はよく来てくださいました。どうぞご家族で楽しいでいってください」
と、まるで亡くなった娘さんがその場にいるかのようなもてなしをしてくれたそうです。
奥様も、ご主人さまも涙があふれる感動をいただいたそうです。
・・・
このディスニーランドの「お子様ランチ」お話は、いろいろな方から教えていただきました。
内容を知っていても、また涙が出てきてしまうのは、どうしてでしょうか?
接客の心がけの観点で伝えられることもあります。
また、「共感」の大切さを知るお話でもあると思います。
かけがいのない、大切な命を失ったご夫婦の思いももちろん伝わりますが、そのお気持ちを一人の従業員がその場で理解し、対応している様を想像することに、心が動かされてしまわないでしょうか。
私たち人類は、人の痛みも理解できます。
人の痛みが別の人に伝わることにも、感動してしまいます。
これは、きっと私たちの本性であり、この本性を大切にしたいものだと思います。
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人が人を選ぶこと
2009 年 3 月 1 日
人が人を選ぶこと。
選挙、結婚、就職、昇進、入試・・・。
私たちの社会の構成や私たち個人個人の人生を決定的にするシーンで、人が人を選んでいます。これがとりわけ重大な意味を持つ場面がとても多いです。
ときどき、「間違った」と思って解消したり、変更したりすることもありますが、なかなかやり直しができないことが多いのも事実です。
たとえば入試。
某私立高校の入試問題に、とても短時間で解けるような問題ではない、「え?」と思うような奇問がありました。大量に東大合格者を出している東京の私立高校です。
評価点をいかにばらつかせるか、という「評価の都合」と、合理的かつ効率的に点数を与える、という「採点の都合」とで問題が作られるからです。
きっと、過去に類似の問題が出されてあって、その問題の正当率が高い人たちの入試合格の割合が高かったのかも知れません。そのような難問、問題が再度形を変えて出されることがよくあります。
高校は、高校の評価点が高まるように(たとえば東大合格者数が最大になるように)、高校の入試問題を作成します。そして選抜します。結果的に、選抜者(高校)の評価を高くしてもらうために、合格者を決定します。
このようにして、1つの選抜のやり方やその内容が、高校の入試、中学の入試・・・などへと伝搬して伝えられます。
果たして、日本で必要な人材は、そのような問題を解ける人たちなのでしょうか?
さて、たとえば総理大臣。
1年程度でバトンタッチ。
何度でも、勝てそうにない総理・総裁であれば交代させればいいという論理が通用する理由は、現在の選び方(システム)によって定まっているからそのような繰り返しとなります。
もし、1度だけなら総辞職できるけれども、2度目は必ず解散しなければならない、と仕組みが変わったならば、選ばれ方が変わり、トップの人の要件すら変わり、選抜方法も変わらざるを得ないでしょう。
このようなシステム(仕組み)の欠点は、欠点が現れるまで見えません。
でも、欠点が見えても変更しようとしなければ、そのやり方で維持されていきます。
そして、変えませんし、変えるためにエネルギーを使うことをほとんどの人がしないのが日本の特質ではないでしょうか?。
「・・・では戦えない」という言葉も、本来は、政党の立場に立った発言であり、本来国民に向けて言ってはならない、ひんしゅくの発言でしょうが、それを日本国民は許す寛容さを持ち合わせています。
「これは選ぶ仕組みの問題」と騒ぐ人もいません。
真剣に、「選抜という仕組み自体に問題がある、だから・・・のように変えよう」という議論をしません。戦後できあがった、このようなにわか作りの政府・政権の作り方も、リーダーの選び方もまったく改善がなされないまま継続されます。
私たちは、人の問題や政党の問題ではなく、選ぶシステムの問題だとなぜ気づかないのでしょうか? あるいは気づいていて指摘しないのでしょうか? あるいは思っていること、指摘していることについて、力を合わせて変更しようとしないのでしょうか? (とくに、メディアは半分指摘しますが、世論の関心を引くことだけがテーマであり、良くしていくことに興味がないのではないか、と思われることも多くあります)
アメリカは、オバマ大統領を20099年に選ぶまで、2004年から数年がかりで時間をかけ、労力をかけてきました。
重大だから時間をかけています。
重要だからしっかり労力、エネルギーを費やします。
「選挙をしろ、選挙をしろ」の圧力がかかってきていますが、どう人が人を選ぶのか、そのことについて、真剣に考え、真剣に対策を立てているでしょうか? 世論形成、合意のプロセス作りについて、真剣に考えているのでしょうか?
にわかな選挙をし、にわかな体制をつくり、また同じことを繰り返す。
どうして、仕組みにタッチしないのでしょうか?
そのことを言い出したら大変だから、でしょう。そして、エネルギーを使いたくないから。
大切なものほど、しっかりと考慮し、しっかりと選び、しっかりと守っていく仕組みを作りたいと思いませんか? そして、そのことに対してエネルギーを使いたいと思いませんか?
そうしないと、「銭失い」であり「時間失い」になるだけだと私は思うのですが・・・。
いずれにしても、人を選ぶ問題は、非常に大切で奥が深い問題だと思います。
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