人が人を選ぶこと

2009 年 3 月 1 日

人が人を選ぶこと。

選挙、結婚、就職、昇進、入試・・・。

私たちの社会の構成や私たち個人個人の人生を決定的にするシーンで、人が人を選んでいます。これがとりわけ重大な意味を持つ場面がとても多いです。

ときどき、「間違った」と思って解消したり、変更したりすることもありますが、なかなかやり直しができないことが多いのも事実です。

たとえば入試。

某私立高校の入試問題に、とても短時間で解けるような問題ではない、「え?」と思うような奇問がありました。大量に東大合格者を出している東京の私立高校です。

評価点をいかにばらつかせるか、という「評価の都合」と、合理的かつ効率的に点数を与える、という「採点の都合」とで問題が作られるからです。

きっと、過去に類似の問題が出されてあって、その問題の正当率が高い人たちの入試合格の割合が高かったのかも知れません。そのような難問、問題が再度形を変えて出されることがよくあります。

高校は、高校の評価点が高まるように(たとえば東大合格者数が最大になるように)、高校の入試問題を作成します。そして選抜します。結果的に、選抜者(高校)の評価を高くしてもらうために、合格者を決定します。

このようにして、1つの選抜のやり方やその内容が、高校の入試、中学の入試・・・などへと伝搬して伝えられます。

果たして、日本で必要な人材は、そのような問題を解ける人たちなのでしょうか?

さて、たとえば総理大臣。

1年程度でバトンタッチ。

何度でも、勝てそうにない総理・総裁であれば交代させればいいという論理が通用する理由は、現在の選び方(システム)によって定まっているからそのような繰り返しとなります。

もし、1度だけなら総辞職できるけれども、2度目は必ず解散しなければならない、と仕組みが変わったならば、選ばれ方が変わり、トップの人の要件すら変わり、選抜方法も変わらざるを得ないでしょう。

このようなシステム(仕組み)の欠点は、欠点が現れるまで見えません。

でも、欠点が見えても変更しようとしなければ、そのやり方で維持されていきます。

そして、変えませんし、変えるためにエネルギーを使うことをほとんどの人がしないのが日本の特質ではないでしょうか?。

「・・・では戦えない」という言葉も、本来は、政党の立場に立った発言であり、本来国民に向けて言ってはならない、ひんしゅくの発言でしょうが、それを日本国民は許す寛容さを持ち合わせています。

「これは選ぶ仕組みの問題」と騒ぐ人もいません。

真剣に、「選抜という仕組み自体に問題がある、だから・・・のように変えよう」という議論をしません。戦後できあがった、このようなにわか作りの政府・政権の作り方も、リーダーの選び方もまったく改善がなされないまま継続されます。

私たちは、人の問題や政党の問題ではなく、選ぶシステムの問題だとなぜ気づかないのでしょうか? あるいは気づいていて指摘しないのでしょうか? あるいは思っていること、指摘していることについて、力を合わせて変更しようとしないのでしょうか? (とくに、メディアは半分指摘しますが、世論の関心を引くことだけがテーマであり、良くしていくことに興味がないのではないか、と思われることも多くあります)

アメリカは、オバマ大統領を20099年に選ぶまで、2004年から数年がかりで時間をかけ、労力をかけてきました。

重大だから時間をかけています。

重要だからしっかり労力、エネルギーを費やします。

「選挙をしろ、選挙をしろ」の圧力がかかってきていますが、どう人が人を選ぶのか、そのことについて、真剣に考え、真剣に対策を立てているでしょうか? 世論形成、合意のプロセス作りについて、真剣に考えているのでしょうか?

にわかな選挙をし、にわかな体制をつくり、また同じことを繰り返す。

どうして、仕組みにタッチしないのでしょうか?

そのことを言い出したら大変だから、でしょう。そして、エネルギーを使いたくないから。

大切なものほど、しっかりと考慮し、しっかりと選び、しっかりと守っていく仕組みを作りたいと思いませんか? そして、そのことに対してエネルギーを使いたいと思いませんか?

そうしないと、「銭失い」であり「時間失い」になるだけだと私は思うのですが・・・。

いずれにしても、人を選ぶ問題は、非常に大切で奥が深い問題だと思います。

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