グローバルマナーとローカルマナー
2009 年 3 月 11 日
これだけ早いテンポで国際化や情報化が進むと、ローカルな価値観の保持がなかなか困難になってきています。グローバルな価値観が強い勢いで広がっているからです。
一般的にはこのような状況下、「ローカルを大切にしよう」という意見が言われることが多いと思いますが、逆に、グローバルを早く取り入れないとトラブルを生じかねない、という懸念もあると思います。
高校での英語授業を英語で行うようになるという話は、小学校への英語授業の導入以上に、私にはとても重く感じられます。
上辺だけ英語になるのではなく、文化的な影響もあるからです。
2~3人で談笑していたときにどなたかがその部屋に入って来られたします。
グローバルなマナーだと、(入って来られた方へ敬意を表すべき場合は)みな、話をストップして立ち上がり、握手をしてあいさつする、といったマナーは日本人にも受け入れられつつあるマナーではないでしょうか?
思いめぐらせてみると、テーブルや車のシートの着席などなど、きりがないくらい、マナーの問題があります。
マナーは、敬意や謝意、思いやりなどが凝縮したものです。
言葉づかいすらマナーではないかとも思いますし、儒教的には、それは「礼」でしょう(服装ももちろん「礼」です)。
儒教だから、欧米マナーだから、あるいは日本マナーだから、という個別の文化に属したものではなく、もともと、もっとグローバルに、「人が人に気遣いをし、そのことを言外に伝える」という効果を持ってマナーは実行されるものだと思います。
日本の学校(小・中・高校)では、たとえば教師が教室へ入ったとき、どのようにするのが一般的でしょうか?
私が子供の時分は、クラスの誰かが号令をかけるまで、静かにするように気をつけることはあっても、自主的に起立することはなかったと思います。
どうでしょうか。
日本では、誰かが「起立」と言い、そして「礼」といって指示を受けるまで、待機するのがマナーであるようです。
しかし、グロバールマナーでは、その逆です。
敬意を払うべき人がいらっしゃったら、人から言われるのではなく、自ら起立して敬意を示します。
言い変えると、自主的に起立しない(=待っている)日本式は、グローバルでは非礼に当たるのです。
オバマ大統領の演説を見ていてかっこよく見えるのは、権威ぶっていないところからくると思います。
完全にフレンドリーなのに、堂々と意見を伝えるところが欧米式、グローバルな(民主主義的?)スタイルです。
これもマナーだと言っていいでしょう。
いまや、このような西欧合理主義・民主主義的、グローバルな価値観では、「同等」「対等」を示すことはマナーとなりつつあります。
アメリカ人、あるいはイギリス人でもそうですが、親子であっても「You」と「I」。父親の名前を呼び捨てるのがかれらのマナーです。それは上下関係を作らないからです。
もちろん、「Mama」とか「Daddy」などと呼んだりしますが、そう呼ぶ段階はまだ「子供」だと本人も親も認めているわけで、お父さんをたとえば「John」と呼べるようになったとき、まだ6歳でも、その子自身大人になったような自覚を持つことになります。
日本の「お父さん」「お母さん」は廃止して名前を呼び捨てよう、と申しているのではありませんが、これほどの違いが存在するのです。
英語の授業を英語でする、これはとてもいいことですが、実は非常に深い意味を持っていると思います。
グローバルマナーも入ってくるからです。
これまでの高校の英語の先生は、英語について教える先生でよかったのですが、この移行により、グローバルマナーも伝えられないことには、あるいはちゃんと意識して扱えないことには、(単にこれまでの日本語でしていた授業を英語に翻訳しただけの)ちんぷんかんの英語授業になってしまいそうで心配です。
心配ばかりしていても仕方ないので、教育指導要領が出たそうなのでダウンロードしてざっと目を通してみました。
うーん。抽象論しか書いていません。ポイントがほとんどつかめません。
教育する方々への要領(ガイドライン)ですから、もっと明確にあるものかと思っていたいのですが・・・。
他にも補助的なものがあるかも知れないので気をつけておこうと思います。
いずれにしてももちろん、基本は思いやりです。
コミュニケーションも、文化理解も。
グローバルに思いやりが伝えられるかどうかがとても重要になるわけです。
その意味でも、私たちが学校、とくに義務教育で学んでいるものは、ほとんど「社会科」であるとも言えるのではないかと考えています。
英語は社会科です。
道徳も社会科です。
算数も・・・社会科です(?)。
教育とは、人が社会的な存在として生きていくために必要な資源や技術を養成するわけですから、当然と言えば当然ですが。
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3 月 11th, 2009 at 2:06 PM
マナーって本当に難しいですよね。
ローカルなこの日本の中であっても地域によって習慣の違いなどによってマナー違反になっていることって
多いのでしょうね。
「この土地でこうしたらそれはこういう意味
なんだ。。。」
ということがありそうです。
学習指導要領は、各学校や教科の指導書とセットになっていると思います。指導書の方が具体的に書かれていると思いますが、それでもなお、抽象的なので、その解釈を各教育委員会在籍の指導主事が研修会などで指導したり、各教科の教育研究会が、解説本を出版すると同時に新しい授業の考えなどの自分達の解釈を全国大会などで公開したり。。。
だから、都道府県や市町村によって微妙に解釈が変わったりするのでしょうね。
いずれにしても、学習指導要領がかわると新しい考え方や授業への取り組みを強いられるので、現場は大変ですね。それでも、それが子どもの将来や日本の将来にとってよく変わるということが信じられると教師もがんばれるけれどそうでないときには、むなしくなるでしょう。。。
英語で授業が行われる。。。語学は文化的な背景があるものですから、日本もいろいろと変わっていくのでしょうね。。。二つの反する考え方がぶつかるときには、やはり何がマナーなのかということは、大きく考えさせられる問題ですね。