Yes/Noの文化的背景
2009 年 4 月 7 日
「Noと言える日本」という本が、ずいぶん前に話題になりました。
普段あまり意識していない「日本」「日本人」の特性のようなものを伝えられたような気がしました。
もちろん、「No」と答えにくい国民性に焦点が当たっていたのですが、私はそれは当然の思いやりだと思っています。
自分の個人的な意見であれ、相手が伝えてきたり求めてきているものに対して「No」とは言いにくいものだし、言っては悪いと考えるのは当然のことだと私は思います。
なぜかと言うと、「No」という答えを言わなくていいように、言葉を選び相手に同意を得るような問いかけやお願いをするのが私たち日本人の文化だからです。
同様な文化的な状況は世界各国を調べたわけではないのですが、多くの国であると思っています。
私が二年間過ごしたアフリカ、マラウイでも、そのあたりは日本と全く同じでした。
普通、相手が「No」と言わなくていいように尋ねるのがマナーです。
だから、わからなければYesといっておけば間違いありません。
マラウイ北部の言語(チトゥンブーカ)では、Yes は「エー」。No は「イヤイー」と言います。
響きが日本語に似ていて、気持ちまで伝わる感じがすると思います。
少し脱線して、チトゥンブーカの言葉をご紹介します。
水はミシ(ひょっとしてマジだったかも知れません)。
トウガラシはピリピリ。
たくさんはチョメーネ。
ちょっとはパチョーコ。
ちょっとずつはパチョコパチョーコ。
語感が日本語に似ていたのは本当に不思議でした。
トウガラシはいっぱいかけないで、というのに
ピリピリ・チョメーネ・イヤイー
と言えばいいのです。
コカコーラありますか、を
コカコーラ・アリコ?
のようにしゃべっていたのを聞いて、日本語しゃべったと思ってドキっとしたのを覚えています。もちろん、現地語です。
私はほとんど英語を使った生活だったのですが、たとえば、タンザニアへ行った協力隊隊員たちは、(英語以上に)スワヒリ語をペラペラ話せるようになっていました。
脱線を戻しまして、「Yes」と「No」の件。
問題は、Noと言える精神的な強さを持っているかどうかなのではなく、 話している言語の文化的背景がどうか、をちゃんと考えていればいいのではないかと思うのです。
No と言っても問題ない文化的な背景がある言語の場合、平気で No と言えばいいのです。
でも、そうではない場合、相手の意図を考慮しなければコミュニケーションをうまく取れないことになってしまいます。
「日本人よ、No と言えるようになろう!」
というのは文化や文脈を無視したスローガンです。
「No と言って良いか悪いかどうか、言語や文化、状況で判断しよう!」
が本来の考え方ではないでしょうか。
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4 月 9th, 2009 at 8:45 PM
言語とか文化とかはさておき、
児童心理学を専攻された先生が昔話しておられたことをこの記事で思い出しました。
どういうことかといいますと
人間(子ども?)は、No と答えなければならない事が続くたずね方をする相手を好きになりにくい。。。というようなお話だったと思います。
したがって、相手にすかれたいと思えば、Yes と答えればよい質問を続けるとよいのです。。。ということでした。
本当にそうだ。。とそのときに思いました。
Yesという答えでよい質問だと相手を受け入れやすいものだと思います。