3400万円のワッペン作り直しと15兆円補正
2009 年 4 月 11 日
都下水道局の制服につけるワッペンをデザインの規定に不適合であるために作り直し、無駄に3400万円かかった、というニュースが伝えられています。
一様に「無駄な支出」の批判の声があがっていて、石原都知事も「けしからん」と発言されています。
いずれにしても、今回の件については、デザインの規定の方が優先され、税金3400万円が余分に支出されたわけです。
いろいろな対処法が考えられたと思います。
1.作り直さずにデザイン規定に反したワッペンを使う
2.ワッペンを入れない制服を使う
3.弁償させて作り直す(新たな支出を補う)
4.弁償させずに作り直す(余分な支出をする)
といった方法がありえたのでしょうが、「ワッペンは付けたい。無駄な支出でもおとがめがない」から4が採用された、というわけです。
3400万円の無駄支出があっても、責任者二人への訓告という注意程度で済むわけです。
使い込みだったら牢屋行きでしょうが、間違いだから注意で済みました。
でも、納税者にとってみれは、不注意でも、過失でも、意図的な犯罪でも、負担は同額です。
おそらく、このような無駄な支出は氷山の一角でしょうし、無駄な建造物や組織など、無駄遣いの疑いのあるものはいくつもあるのではないかと思ってしまいます。
実は、制服の胸に着ける、とても立派とはいえないワッペンに、単価・何千円ものコストをかけることも問題なのですが、そのことには今回は焦点が当たっていません。
非常に気になるのは「無駄な支出」をさせない、あるいは監視する、あるいは罰する、あるいは償わさせる規則がない、ということです(無論、会計検査院といった仕組みも、不正防止などの面である程度機能しています)。
どうしてでしょうか?
まず、無駄かどうかの評価がむずかしいことがあげられるでしょう。
つぎに、無駄だとわかっても、それを決裁者や担当者に弁償させることは、金額的にも困難だと考えるからです。
そのようにすると、誰も政治家や役人になりたがらないからでしょう。
しかし、政策や予算執行をいくら失敗しても、いいのでしょうか。
世論は残念ながら、その場限りの突風のようなもので、過ぎれば穏やかになる、あるいは忘れてくれます。
世論は残念ながら、感情的な「けしからん」中心であり、「いい仕組みにせよ」という具体的な改善要求は突きつけません。ですから、「無駄遣い予算執行への罰金規定を定めよ」などとは言わないのです。
社会保険庁の問題でも、ボーナスが出なかった程度しかパニッシュメントはありません。
そもそも、日本国憲法ですら、「健全な財政を行うこと」を国権の責務である、と規定していないのです。
私は常々、国権(司法・立法・行政)に対して唯一優越する存在である憲法が、国権の責務を明確に規定していないことが、法治国家日本の最大の問題だと考えています。
確かに平和主義をうたった、いい憲法ですが、変えてはならない、絶対のものでしょうか?
でも、そのような発言をすることは、タブーなのです。
発言すること自体で「改憲論者=軍国主義者」とみなす方が多くいらっしゃいますが、私は平和主義者ですし、きっちりと国の枠組みを定めるべきだと考えているのです。
この憲法では、国民の権利を認めつつ国民の義務を明確に規定する一方、国権の機能(サービス)の大枠は定義しながら国権の責務の規定と基本的な目標設定を、何ら行っていないのです。
もし、私が憲法のドラフトをスケッチするとしたら、以下のようになると思います(天皇についての規定は除く)。
(明確化)【前文】 歴史的な位置づけ(国民、諸外国への明確な侘びと反省を含む)と今後の方向性の明示
(新)【目的】 国家・国民の発展を維持する
(新)【国権の責務と機能(安全)】 国民の生命財産を守る=外交・防衛・防災・環境のガイドライン
(新)【国権の責務と機能(財務)】 適切に予算立て、予算の執行、結果の評価を行い、健全な財政の維持をすること
(明確化)【国権の責務と機能(その他のサービス)】 平等かつ有益なサービスを提供する
【司法の責務と機能】
【立法の責務と機能】
【行政の責務と機能】
たとえば、福祉は、国民の生命・生活を守るために国家の機能であり、実は責務でもあるわけです。
環境対策をすることは、単に世論や世界的な要請ではなく、国権の責務として扱う対象であるわけです。防衛も防災も国民の生命財産と守るという観点から同一のレベルの話です(防災・消防も防衛も同等に扱っている国々はかなり多いです)。
このような機能を適切に提供することが、国権の責務であり、無駄な支出、あるいは無駄な支出により適切な支出ができていないとしたら、それは国権としてあるまじきことだと思いますが、いかがでしょうか?
ですから、「詳細は法律で定める」と記述するにしても、憲法のレベルで、しっかりと上記のような機能と責務ならびに守られない場合に対処するためのガイドラインを示すべきだと思います。
それがないから、無駄支出はなくならないし、改善するための法律も定められないのです。
ですから、「赤字がどれほど増えていっても赤字を改善する方策が立てられないことは重大な問題であり、これは憲法違反である」と言えるような憲法、法体系を定めるべきだと私は思います。
変えないことも一つの方法でしょう。
でも、問題を見つけること、解決のための方策を熟慮検討すること、伝達して問題意識を共有すること、協力して改善努力をすることは、労力がかかりますがとても大切なことではないでしょうか?
残念ながら、思考停止、あるいは思考をさける風潮が広く存在しますし、それは社会的なタブーとも無縁ではないでしょう。
さてさて、大赤字をさらに増やす15兆円の補正予算。いったい、誰が責任を持つのでしょうか?
誰も責任を持たないこと、何からも規定されないこと、そして「考えよう、改善しよう」という改善要求世論が出てこない現状を、私は残念に思います。
ひょっとして「これは国権の、完全なまでの自由」だったら驚きですよね。
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