規則と中庸(2)
2009 年 4 月 17 日
日本人または日本の優れたところの一つとして、「議論はほとんどしなくとも(明文化しなくても)、秩序立てた行動を行うこと」があげられると思います。
「優れた」とすると、一部の方からお叱りをいただきそうなのですが、あえてこのように申し上げたいと思います。
駅の階段が真ん中に仕切りがあって、仮に下から見上げて左が上り、右が下り、のように決めてあったとします。 人が多くないときは、ほとんど守られていないような駅でも、いったんラッシュの時間帯になるとかなりの割合で守られるようになるのです。
ラッシュ時間帯を利用するのはいい人たちで、それ以外は悪い人、というわけでもありません。 守るべき時と守らなくていい時とをわきまえている、ということです。
さらに人の数が増えてきて、到着した電車からどっと人が降りてきて、そのため、階段の下りの人の数が大幅に増えた場合どうなるのでしょうか。
そう、1列程度はみ出てくるのです。その微妙な調整といったら「すばらしい!」「計算しつくされたようだ」とまでほめたくなります。 このはみ出しのおかげで、階段が人をさばく人数が増えるのです。つまり、効率アップを人間システムが実施しているわけです。
もちろん、マナーの悪いところもあるでしょうが、それは、一般に、往来量が少ないところが多いのではないでしょうか。
もちろん、このような議論もある程度ざっくりとしたものであって、決して日本人が非常にマナーがいい、と言えるものでもなく、単に環境適応している、と言ってたほうがいいかも知れません。
ちょうど、「エジプトはナイルの賜物」といったように、日本のこのようなマナーは、「ラッシュアワーの賜物」である可能性も大なのです。
規則を徹底して書きつくさなくても、人間が運用するときに、判断することはこのようにできます。
駅での人の移動は、道路交通法の適用は受けないかも知れませんが、たとえば、公道の場合、同じような問題が起こることがあります。公道では、 赤信号で渡ることは明らかに道路交通法違反です。でも、明らかに左右を見てもまったく車がなく、わたる距離が狭く、渡れるような場合に信号無視することもあるでしょう(無視しないとある流れがオーバーフローしそうなときは特に問題です)。
でも、これも程度問題で、自分の都合でスイスイ信号無視をされたら、運転する人には迷惑このうえないものですが、このあたりの微妙な調整力が求められるのではないか、と考えます。
ただ、むずかしいのは、それを子供に見られたときの説明です。 「どうして、あのおじさん、赤で渡っているの?」 と聞かれて 「あの人は悪い人です。ひかれるかもしれないから、絶対真似したらだめですよ」 と言うこともあるのではないでしょうか?
(大阪弁で)「場合によりけりや、だいじょうぶそうやったら渡ってええんや。でも気をつけや」 という場合もあるかも知れません。
「気をつけや」 と言い渡せない子供に、このように言うのはちょっと問題なのです。 きっと、警察が聞かれたら「絶対だめです」と答えることでしょう。
でも、私たちの世界はこの程度の幅を持って運営されているのが実際のところで、ややファジーなところがあるのが実情でしょう。
いつも私が通る、新宿の細い道。 わずか4~5メートルあります。
ほとんど、そこを横切る車はなくて、左右を確認しながら赤でも渡る人が大多数です。 でも、実際には、よく見ていないと、10分の1くらいの確率で、渡る車がやってきます。 ですから、実際には注意していないとあぶない場所です。
そしてそこは、実は新宿警察署の斜め前ということもあり、警察が見ていることもあるのです。
そのときは、ほとんどの人はちゃんと止まっています。 これもまたすごい。日本人の適応力の高さを感じるシーンです。
↓リンクをクリックしてください。1票が投じられます。↓
人気ブログランキングへ
Leave a Reply
You must be logged in to post a comment.