ネイティブ無視の和製英語
2009 年 6 月 26 日
ちまたには英語表現が氾濫しています。
ネイティブ信仰とは正反対に、ネイティブの英語感覚を全く無視する和製英語もたくさんあります。
標識や案内文などで、必要に迫られて英語化しているものもありますが、商品名やキャッチコピーなどの場合、日本語だけの表現より意味合いを深めたいため、または新しい感覚(雰囲気)を入れたいので英語にすることもあるでしょう。
残念ながら日本人が日本人的感覚で作った英語の場合、英語として変だったり、不自然だったり、意味を勘違いすることがあります。
言葉というものは生き物なので、新しい言葉は最初は「変」でも、次第に市民権を得ていくこともありますので、いちがいに、和製英語だからダメというつもりもありません。でも、どういうふうに「変」に思われるのかを知らないことも多いのではないか、と思いますので、いくつか最近感じたものをあげてみたいと思います。
三菱自動車の「Drive@Earth」。
宮崎あおいさんが「ドライブ・アット・アース」と「日本語式」に発音するコマーシャルを作り、全面展開している「英語」のキャッチコピーです。
このコマーシャルを見ただけでは何を伝えたいのか、さっぱりわかりませんでしたが、三菱自動車のホームページに解説があってそれを読んでようやく理解できました(かけがいのない地球から離れず、地球ドメインで走り続ける、というような取り組み姿勢を表しているようです。その意味では「at」は正解だと思います・・・)。
無冠詞で「earth」というと、地球ではなく「土」や「地面」という意味になります。
ですから、地球と言いたいのであれば、この標語を読むときには「the earth」としたほうがいいでしょう。
ただし、その場合でも、前置詞は「at」ではなく「on」になるのが自然だと考えます。
つまり「(to) drive on the earth」という表現がもっとも自然で一般的な英語だと思います。
しかし、三菱自動車の意図としては、メールアドレスの「@」にかけて、「earth というドメインで走る」という表現にしたかったようです。
でも、「drive at earth」というと「地を走る」という意味にはなっても「地球を走る」という意味には遠いと思います。
このように日本人でも意味がすぐにわからない、英語ネイティブにもわかりにくい標語を作り、膨大な費用をかけて広告していくというのには疑問符ですが、(言葉には多少の不自然さも斬新さを生むこともあるので)ある意味、頭が下がります。
この程度のキャッチコピーと実際の言葉とのギャップは許容範囲ではあると思われますので、単にチンプンカンの和製英語とは言い切れませんし、「地球ドメイン」という取り組み姿勢いをPRしたい、という気持ちがあるので、否定できませんが、残念ながらシンプルな表現でありながら、日本人にも、ネイティブにもわかりずらいコピーなのではないでしょうか。
次は、パナソニックの「ビエラ」。
実は私自身このビエラ携帯を使っているのですが、小雪さんがテレビのコマーシャルに出てきて、
「ヒューマン・ビエラ」「きれい!」
というものです(でした)。
何が変なのか、ほとんどの日本人は気にされないと思います。
「ヒューマン」
という言葉を聞いたとき、私自身ドキッとしました。
「知能を持った『人』である『ビエラ』」と、つまり「ヒューマノイドのビエラ」と言ったように感じてしまいます。「これ、ヒト?」という驚きです。
パナソニックはきっと「人にやさしい」「人が使うことを十分考えた」という意図で「ヒューマン」という英語を使っていることだと思いますが、おそらく英語にはそのような語義はなく「人の」という意味になってしまいます。
どうして日本人は「ヒューマン」という言葉がそのような意味合いを付加してしまうのか不明ですが、「ニューマニズム」という言葉の存在もあるのではないか、と思います。
昔、某化粧品メーカーが
「For Beautiful Human Life」
という(ネイティブに読ませる)コピーを大々的に広め、ネイティブの間では不可思議、ナンセンスな広告とされたものも思い出されますが、ここでも「Human」という言葉が出てきています。この中の「Human Life」とう表現がナンセンス(意味不明)なのです。「For Beautiful Life」で十分なのになぜ「Human Life」にしたのかが英語ネイティブには意味不明なのです。
パナソニックはビエラの宣伝で最初は「ヒューマン」を出し、一時ひっこめましたが、その後、また「ヒューマン」を出してみたりしています。
こんどはカタカナで「ヒューマン」ですから、「英語ではない」という主張もあるでしょう。日本人にはある程度意味を伝えますが、ネイティブには思わぬ意味を伝える(誤解させる)可能性がある表現です。
このような和製英語に対する日本人の感性を利用した広告は、非常に変ですのでやめたほうがいいと思いますが、ひょっとして和製英語起源の「human」の語義が英語辞典に追加されることがあるかも知れません。
このようなキャッチコピーについては、正しさより語感が重要なので、和製英語であっても仕方ない、あるいは意味があることがありますが、キャッチコピーでない、たとえば案内文などの場合は、和製英語ではまずいと思います。
電車に乗っていると、掲示している英文で不自然だったり誤っている表現のオンパレードです(乗る機会は少ないのですが、都営地下鉄の英語表現は割と良いように思います)。なぜこのようなことになるか、と言うと、ネイティブまたは英語が堪能な人のチェックをスキップしているからでしょう。
去年の記事にもありますが、約1年ほど前、JR東日本の電車の電子パネルへの掲示に「現在時刻」の英訳として「Now Time」と出ていて、その誤りに気付いて訂正をお願いしましたが、なんと直るのに8カ月もかかりました。
(Current Time, Present Time, Time Now はOKですが、Now Time はダメです)
このように、ネイティブ信仰をしながら、ネイティブ無視もするのが日本の特徴ではないでしょうか。
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ネイティブ信仰について
2009 年 6 月 1 日
ベータラボは「ききまね英語」という英語教材を作っています。
専門のホームページやブログもあるので、詳細はそちらを見ていただきたいのですが、熟考伝達でも伝えたいと思ったことを述べてみたいと思います。
自然でなめらかに話すようになりたい、と考えた場合、どうされますか?
「英語漬けにしたほうがいい」というのは、誰もがすぐに気づく解決法です。
私も、青年海外協力隊に参加してアフリカ・マラウイ共和国へ赴任する前の3カ月ほどは、「日本語禁止」の英語授業を受けていましたし、これはとても効果的だと思いました。
先生が離れたすきに、同期の仲間同士日本語で小声で話していると先生に気づかれ「Pardon?」と言われて、制止を受けました。風呂場でも、背中を流しながら隣の仲間と英語で話していました。
英語で話さなければならない、という状況こそが、英語で話すようになる一番の近道であることは、確かに体験できました。
学校英語では、最近ヒアリングテストと称して聴覚テストのような音声だけ聴いて答えるようなテストを実施していますが、基本的にはペーパーテストで習熟度を測りながら、英語設問(クイズ)に定められた時間に答える力を養成しています。
大学の入試問題をみても、書面で尋ねた設問をいかに早く正確に選択できるか、だけが評価の対象となっています。
私は、非常に大きな労力、時間、コストをかけてきていながら、コミュニケーション能力を高めるようになっていないこと、それを計測することをほとんど放棄した入試となっていることを非常に残念に思います。
文部科学省の学習指導要領のトップにある「外国の文化に親しみ、コミュニケーション能力を高める」という目標を達するための対策がなされず、ほとんど計測も、評価もせずに戦後英語教育を進めてきているのではないか、と残念に思っています。
ほとんどの方が「その通り」と思っても、「では、どうしたらいいか?」については、以下のような方策くらいが思いつくものだったのではないでしょうか?
A.海外渡航して(ネイティブによる)英語漬けをする
B.(ネイティブによる)授業で自然な英語を学ぶ
C.(ネイティブが話す)自然な英語を大量に聞き流す
これらはすべて「英語漬け」と「ネイティブ」が必須のものとなっています。すべて有効な方法ですし、とりわけAはすばらしい効果があることは確かです。
しかし、日本人から自然な英語を学べないのでしょうか?
日本は明治維新後、多くのことを諸外国、とりわけ欧州から学びました。政府はミッションを送り、数か月、数年滞在させ、学ばせ、帰国してからも、多くの情報伝達を行いました。
同じように、かなり自然に話せるようになりさえすれば、ネイティブからでなくても伝えられるもの、学べるものがあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
(このネイティブ信仰は日本の防衛状況と似たものがありますが、その話に入ると深く、複雑になるのでここではやめます)
海外に行ったことがない、非常に優秀な翻訳者を私は知っています。翻訳に関しては、文字がメインですので、渡航経験はある意味、まったく不要でしょう。
ネイティブであろうとなかろうと当然、自然でなめらかな英語を話せるようになるには、日々、自然に話し続けることが大切です。
しかし、教育現場では、残念ながら、英語の先生ご自身が、(文法的・語法的な)誤りを冒すことを恐れて、あるいは自然さより正確さを求めるあまり、英語をあまり話さなかったり、テストに出ないものは排除したりしてきていたとしたら、とても残念です。
そのような状況が続いたため、ネイティブ信仰が確立されてきたとも言えるのではないでしょうか?
テレビを見ればわかるように、数十年前では考えられない状況になってきています。
日本へ来て、ぺらぺら日本語を話す外国人がどれほど増えてきたのでしょうか。もちろん、テレビに出ている人たちだけではありません。
同じように、英語を学び、どれだけぺらぺら英語を話す日本人が増えてきたのでしょうか?
さて、2013年に英語での高校英語授業が開始です。
私自身、これは文部科学省の英断だと思っています。
いやがおうにも教室で話さなければならないわけですから、自然に話せるようになるステップとなる可能性大です。
この、とても大切なステップへと進まなければなりませんが、どうするかはほとんど現場任せになってるのだと思います。
さてさて、そのときも「さあ、ネイティブの発音を聞きましょう」などと、ネイティブ信仰は保持されたままなのでしょうか?
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