広告という実験

2009 年 4 月 2 日

広告とはメッセージを市場に届けることで変化や反応を得るものです。

テレビや新聞、Web、あるいはメールといったものは、広告の媒体として発信者と市場との中間に位置します。

単純化すると、ある一つの広告でどれだけアクセスがあったとか、会員申込や資料請求があったか、あるいはどれだけ売り上げたか、という計測できる数値と、元手の費用、届けられた市場の大きさとの比較で「広告」の評価を行います。

ここでむずかしいのが、市場の反応を計測するのと、媒体の力を計測するのと、広告物(メッセージ)の内容を計測するのと同時に行われることです。

つまり、いっしょくたになってしまうので、注意が必要です。

同じメディアであっても、届けられる時間帯によって反応が違うこともありますし、同じ商品についての広告でも、広告内容で反応が全くと言ってよいほど変わってきます。

市場の層も、性別や年齢だけでなく、趣味・嗜好により大きく性質が変わってきますので、多少のグループ分けをしながら(これをセグメント化といいます)、あるグループに対していい反応が出ることを想定して、広告を流し、その結果を評価します。

さて、20世紀の初頭に行ったラザフォードの実験というものがあります。

これは、薄い金箔に放射線の一種であるアルファ線を照射して、その結果を分析する、というものでした。

アルファ線とは陽子が2個、中性子が2個のプラスに電荷を帯びた粒子であるので、同じくプラスの電気を持つ原子核とは反発します。

さて、この実験の結果はどうだったのでしょうか。

ほとんどのアルファ線はそのまま通過しました。

しかし、一部は散乱し、まれに、正反対に打ち返えされるものも出てきました。

この散乱結果から、実は原子核のサイズを計測することができたのです。

ミクロの世界は見ることができないほど小さいのですが、反応されうる物(粒子や光線)を投げつけ、その反応を調べることで、見えないものがどうなっているか確かめることができたのです。

ミクロだけでなく、マクロも同じように実験で調べることができます。

広告はまさに、マクロに対して投げる光線のようなものです。

ほとんど無反応かも知れませんが、ごく一部帰ってきた反応の中に、市場の強いニーズや期待などが混ざっていることがあるのです。

私たちは20世紀の科学者と同様、しっかりとこのリアクション(反応や変化)をキャッチし、見えないものに代わって教えてくれるものを得なければならないでしょう。

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パワーポイントを使ったプレゼンは、ビジネス分野でも、また、学界でも最もポピュラーなデンタツの方法です。

アメリカでは、大学・大学院の講義もパワーポイントを使うのが一般化しているようです。

この方式のいいところは、解説という音声に、スライドという準動画を備えたものである点です。

動画のほうが、まさっているのではないか、と思われがちなので、この記事を作成してみました。

確かに動画は魅力的です。総合芸術である映画はまさに動画(もちろん音声付)です。

しかし、ちゃんとした動画を作るためには、かなりの労力、コスト、そして人的なリソースを要します。

言い方を変えると、ちゃんと労力、コスト、人的リソースをかけないといい品質のものはできない、という特徴をもったメディアである、ということです。

いま、まさに私が書いているブログのようなメディアはそれとは反対に、労力、コスト、人的リソースをかけなくてそこそこのものを生産することができます。IT時代のすぐれものだと言えます。

利用していながら、ほとんど意識されていないかたも多いと思いますが、ブログの特徴は、次のようなものです。

1.CMSであること

コンテンツ・マネージメント・システムといって、記事内容さえ登録すれば、自動的にHTMLを生成する、というシステムです。汎用のCMSもぞくぞくと出てきていますが、なかなか一般にははやりません。それは、深くなればなるだけ、機能が増え、直感的に操作することが難しくなるからです。

その点、ブログは、非常に簡単なCMSであり、更新、変更、コメント、そしてトラックバックなどをかけることが可能です。

言い変えると、コラボレーションが可能なメディアである、ということです。

2.RSS配信できる

変更内容をXMLという書式でサーバサイドに置いておくだけで、フィードと呼ばれる更新データを保持し、それを外部の登録した人・パソコンから更新内容のチェックを受ける、という仕組みで最新情報を知りたい人に届けることができます。

3.PINGで通知できる

PINGサーバと呼ばれる、ブログなどの変更情報を保持するところに対して、ブログを更新したときに、「更新しました」という通知を行います。RSS(フィード)の登録は、一般の人が行うものですが、PINGは専門のサーバです。特にランキングサイトのようなところが、このPINGを受けることで、更新されたことをタイムリーに把握するようになっています。

このように、ブログは非常に優れたメディアではありますが、最高のデンタツ力をもっているか、というと多少の難点があります。

書物と同じく、読む側の読む意思と力が必要だからです。

更新したこと、更新内容を通知することはできるものの、読む側、見る側が楽に情報をゲットするまでには至りません。

そこで期待されるのが、動画やスライドプレゼンまたはスライドショーの役割です。

いずれも、扱うデータ量が大きいため、なかなか普及していないのが現状です。

これまで、写真などの画像データすら、遠慮がちにWebに掲載したものでした。しかし、動画やスライドショーになると、10倍あるいは100倍程度のデータ量になってしまいます。

これは、自然に動いているように見せるため、テレビと同じ多くの画像(=フレーム)を表示するためです。11秒間に数十枚の絵を見せているのです。

YouTubeの流行りのように、動画の地位は次第に高くなってくるでしょう。

しかし、先ほど述べたように、動画の制作には多大なコストがかかるため、市場にながれる動画は何らかのコピーでない限り、おそらく、さほど質の高くないものになるのは、ある意味いたしかたない面もあります。

そこで、注目されるのがスライドショー(スライドプレゼン)方式です。

企業内で、企業間で、研究室内で、学術発表の場で、行われるスライドプレゼンは、実は、紙芝居と同じです。絵本の読み聞かせと同じです。

これは、根源的に人を引き付ける力があると思います。

もちろん、上手にスライドプレゼンできる人、できない人の差はありますが、内容さえ魅力的で、読み人の気持ちが入っていれば、魅力あるプレゼンが可能です。

そして、ないよりも、個人または少人数で作成することができるのです。

自動プレゼン(=スライドショー)であっても、絵を作る、ナレーションを入れる、必要により音楽などのBGMを入れる、といったことは、実はたった一人でもできます。

動画は無理です。

画像だけをとってみても、映写する人、照明を適切にする人、1カメだけであれば迫力に欠けます。複数台のカメラにすると、カメラマンだけでなくスイッチャー、映像ディレクターが必要になります。音を収録する人、ミキシングする人、編集する人・・・。

どうしても、コスト、手間、人的リソースを要してしまうのです。

しかも、しっかりしたディレクターや演出家がいないことには、すばらしい作品を作り上げることなどほぼ不可能です。

IT、インターネットの時代とは、コストや労力を押さえながら、いいものが流通する時代だと思います。

その点で、スライドプレゼンの時代が来るのではないか、と私は考えているのです。

駆け出しのミュージシャンたちにとって、プロモーションビデオは高嶺の花です。

しかし、録音といくつかの写真を合わせればプロモーションスライドは簡単に作れるのです。

会社の紹介、商品の紹介、求人、地域の紹介、タレント(人材)の紹介、などなど、コストを極力抑えながら、アピール力あるプレゼンができるのがスライドショーです。さらに、学習教材でも、スライドショーが威力を発揮することになります。

膨大なコストをかけて動画を作成することができない人々、会社が増えながらも、宣伝・広告・PRのニーズは高いままなのです。

私は現在、「ききまね英語」のスライドショーを作成しているのですが、この教材に限らず、私の作成した無料・有料のレポートはすべてスライドプレゼン方式のレポートとなっていることにお気づきになられたことだと思います。

そうです。すべて絵本化しているわけです。

これが、読む側、見る側が一番楽で、情報提供する側としてもコスト最小、効果最大に提供できるメディアだと思っているのです。

近い将来、スライドプレゼンのスキルを競って人々が集うようなサイトを作りたいと考えています。

そのサイトができるまでは、いくつも、ある程度の品質のスライドショーを作っていきたいと考えています。

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放送業界の不振

2008 年 12 月 30 日

放送業界(民放各局)は、その収入源が広告にあるため、景気の影響を受けやすいという特徴があります。現在の不景気の状況で、目に見えない、あるいは明確な成果を与えていることが疑わしいCMへの支出が、急激に抑えられてきています。

最近出された地上波民放各局の中間決算は惨憺たるものでした。

日テレは半期ベースで37年ぶりに赤字転落し、テレビ東京も初めて赤字の中間決算となりました。視聴率最大のフジテレビは、制作費を60億円圧縮し、通販で黒字を維持したものの前年同期より46%も減益となっています。また、一番傷が浅いとされるTBSでも32%減益という状況ですが、これも放送外収益(赤坂サカス)に下支えされたものです。

このような状況を知ると、「テレビ局の倒産もある」という意見も、あながち嘘ではないかも知れない、と思わざるを得ません。

短期的な経済の影響だけでなく、若者のメディア離れが進んでいることも報告されています。

あるいはまた、民放各局も、タレントを集めただけという、内容の浅い番組制作に集中してきたため、質の低下を起こしてきていることも指摘されています。

つまり、参加するタレントの数を増やして視聴率を増加させようとする、「思考も制作も欠落した、タレント依存の短絡的な方法」が破綻してきている、という意見です。

「最近、テレビ局で出るお弁当の中身が悪くなった」

と番組で発言しているタレントがいました。身近な話題に、注目を集めようとしているのかも知れませんが、周囲の一般社会はそれどころではないのです。

スポンサーのトップであるトヨタ自動車の奥田碩相談役が、首相官邸の懇談会の席上、厚労省批判に偏る放送内容についての不満から「マスコミに対して報復でもしてやろうかと。 スポンサー引くとか」との発言も流れてきます。

これまで順風満帆だったテレビ業界の人たちが、初めて「不況」を実感しはじめているのではないでしょうか。

テレビ業界は、金融業界と並んで、サラリーマンの収入が群を抜いて高い業界です。

両者に共通するのは、生産をしたり、流通などの実業の企業から収益を得てきたことです。

これまで、実際の価値以上に価値が与えられていたところからは、お金が急速に流出していく可能性があります。すぐに対処しなければなりません!

「大丈夫」と高をくくっているところから浸水は始まるでしょう。

困難な事態になってきているときにすべきことは、何でしょうか?

(1)的確に状況を把握する
(2)原因を洗い出す
(3)対策を講じる
(4)1~3を伝達し、認識を共有することで協力体制を作り上げる

当たり前のことを、きっちりをやっていく以外にないでしょう。また、隠し立てせず、ちゃんと横の連絡を行うことだと思います。

社会的な単位(官庁、業界、会社、地域)のそれぞれが、きっちりと

「状況は・・・です。原因は・・・と考えられる。対策として・・・を行いたい」

と調査・熟考・検討を行い、的確に伝達することで、事態の状況認識を共有し、協力をしていくことだけが、唯一、最大の方法ではないでしょうか。

これは、災害が起こったときと同じですね!

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なかなか書き出せなかったコンベンションの仕事の話題です。単に内容的に重いから、というのが理由です。

会議(政府系会議、学術会議)やセミナー・展示会など、業界ではコンベンションと呼んでいますが、そのようなコンベンションを企画・準備・運営する仕事があります。

プロデューサー、ディレクター、プランナー、あるいはコーディネーターと呼ばれる職種です。

仕事の内容、段取り、手配、そして管理の中身(仕事内容の管理、予算の管理、リスクの管理)から考えると、マスコミ、あるいは広告代理店の仕事にも似ています。

まず、参加してもらう人たちに会・イベントの意義や価値を伝え、参加してもらいます。単に広報・広告だけでなく、もちろん、人づての営業や、委員など立場を作ることで、動員などの役割を分担します。当日の運営は、ある意味、業務です。

私は、プロデューサー、事務局あるいは学術分野のディレクター、プランナーなどの仕事を数年間行いました。たくさんの企画書も書きました。

研究以外で、ビジネスらしいビジネスをやっていたのは、実はこの分野です。

その影響か、段取りを4つのステップで考えるくせがあります。つまり、以下の4つのフェーズです。

1)企画・・・プランニング(コンセプトとイベントの中身)
2)広報・・・Web、チラシ、関連団体など経由でのデンタツ
3)営業・・・参加者の動員と展示などコマーシャルアイテムの販売
4)業務・・・準備からの事務局業務と当日運営の業務

また、イベントの種類は、会議が中心ですが、以下の3通りの場合が多かったです。

A)政府系の会議・・・主催は日本の省庁が大多数(国連の会議でも省庁が担当)
B)学術系の会議・・・主催は学会または担当大学か病院などの施設
C)企業系の会議・・・主催は私企業(IT系、医薬系が多い)

Aでは、紛争や和平などの関わる事案もあります。大臣や政府高官が出席することもあり、またテロの標的になりやすい場合もあるので、警察や機動隊と連携することもあります。

Bの学術会議でも、皇室のご臨席をいただくこともあるので、運営のマニュアルの作成・検討は丁寧に行わなければなりません。

一番規模が大きいものでは、世界から数千人規模の参加者を受け入れ、皇太子殿下妃殿下のご臨席をいただき、記念切手を発行し、自民党本部で衆参議員20名くらい向けに進捗報告と対策の会議を開く、ということもありました。

この会議クラスになると予算も大きいので、会議の会計資料だけでダンボール何箱にもなり、終了後、公認会計士の検査を通すのも大変なものでした。

大きな学術会議になると、IOCのオリンピックやFIFAのワールドカップと同じく、国際組織委員会の力が強く、開催する日本の委員会と国際組織ならびにそのトップの会長らとの連携が、事務方である私たち運営事務局の大切な仕事です。円滑に準備を進めるため、ヨーロッパやアメリカでの打ち合わせ、準備作業などが何度も発生しました。

この学術会議は2002年だったので数名のトップ会議は電話会議(ヨーロッパ2か所と東京あるいは地方が加わることも)で行いましたが、後の世界銀行の会議の準備などは、テレビ電話を使って、(ヨーロッパ、ワシントン、東京などで)会議の準備のための会議を頻繁に開きました。

進捗報告、問題点の共有など、会議の目的と内容は日本人同士であれ、国際メンバーであれ違いはありません。

先ほど述べました数千人の会議を開催するためには、20ほどの委員会(財務、スポンサー、宿泊、学術プログラム、等々)が組織されました。それぞれが予算を持ち、準備をすすめるのですが、なんと、会議当日は、同時に35ものセッションが開かれるほどの大イベントです。

たしかに大きなイベントは大変ですが、ちいさなイベントでも、進め方や注意点などは、本質的には違いはありません。

会の進行をしっかりと管理する統括ディレクターの力量に成功のカギがあります。

ステージだけでなく、映像や音声、同時通訳、受付・・・と数限りない機能を分担するチームがいて、皆が協調的に仕事を進めます。

このような仕事をしてきた経験があるため、たとえば、テレビの放映中に大きな事件があったりして、番組の進行がうまくいかなくなったり、時間変更が起こったりする場面を見ると、私はディレクターや番組制作スタッフの側の気持ちになってしまい、どうしても見ていてドキドキ、ハラハラしてしまいます。

私たちはとかく、映像に出ている役者(俳優や女優)や司会者に目が行きますが、映像を撮っているカメラマン、音をとっている音響さん、カメラを切り替える人、その人に指示する映像ディレクター、美術面の効果に責任を持った人といった専門スタッフ、そしてパートパートのディレクターや全体を統括するディレクターたちがたくさんいて、有機的に動いていること、作品が作られていることを忘れがちです。

異なる仕事の人たちがバラバラにいながら協調することは、とても難しい仕事です。ですから、横に連絡をしながらやっていきます。あまり、横の連絡が多すぎたり、プロの専門の仕事に素人の横やりが入るのは問題ですが、プロ根性を刺激するメッセージは時にとても役立つこともあります。

主なスタッフはトランシーバを耳につけ、いろんな指示や状況報告が飛び交うのを聞いています。

コンベンションが始まる直前に緊張がピークに達します。

ある国連の会議の例です(厚労省と農水省が担当のWHOとFAOの合同部会でした)。

「ボンジュール、マダーム、ボンジュール、ムッシュー。ジュマペール・・・」

なんと、日本人の議長がフランス語で開会のメッセージを言い始めました。

「えー??? フランス語だ! どうしよう!」

でも、予定外の出来事に同時通訳がたじろいだのは1秒足らず。

すぐに、会はうまく進行していきました。

・・・

思い出すのも、心臓に悪い気がします。

このような場面の話を読んでいただいて、申し訳ないです。

でも、人は、実にいろいろな仕事を行いますね。

協調したり、リーダーシップを発揮したり。

うまく進めるために、コンセプトや企画書を作ったり、スケジュールや予算を立てたり、分担をしたり、仕事リストをチェックしたり・・・。

でも、一番大切なのは、全スタッフ(ポジションの人たち)が元気で、持てる力をすべて出せることだと思います。疲れてくると実力は全部出せません。

そして、しっかりと目標を見定めること。

責任をもつポジションを的確に定め、それぞれを尊重しながら、問題を発見した人が他へ横の連絡や要求をしたりします。

そこでは、情報だけでなく、評価(「すごい」「すばらしい」など)や感謝、気持ちを伝達したりしながら、仕事を分担して進めていきます。

そして、成果は皆で分け合います。

ちょうどハンターがハンティングをするように、農耕民がみなで収穫を楽しむように。

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インターネットはどのように使われますか?

はじめてのホームページを訪れるきっかけは、GoogleやYahoo!などの検索エンジンで探すことが大多数かも知れませんが、割と多く利用されているのが、下にクリックがある「人気ブログランキング」のようなランキングサイトです。

たとえば、昔から歌の番組などは、ヒットランキングで番組作りをしたりします。

デコメ絵文字などは、ランキングが高いものはいいものだろう、と人が集まります。

したがって、人が投稿し、そのランキングが付けられるような場合、自動的に大量にアクセスを集めるサイトが作れることになります。

YouTubeなどもそのような例です。

日本ではあまり知られていないのですが、「digg.com」というサイトがあります。

これは、ホームページのランキングサイトです。

アメリカのサイトなど、「digg.com」へ投票してもらうボタン「Digg it!」を付けていて、それを見て、いいなと思った人がクリック投票することで、このdigg.comのページが自動的に変わっていきます。

つまり、投票者がサイトを作っていくわけです。

もちろん、ブログのランキングサイトも同じ仕組みです。

下のクリックをすると、1票だけINという投票が投じられます。

逆に、ランキングサイトからこちらへやってくるとOUTという票が投じられます。

そして、INの数の多さで順位を決める、という仕組みになっています。

ランキングサイトという概念は非常にシンプルですが、マスの動向に大きく影響を与えるものですし、まだまだ、いろいろなランキングが出てくるのではないでしょうか。

ブログでもランキングサイトが山のようにあります。もし、ブログを開く場合、どのランキングサイトがいいのでしょうか?

一番簡単なのは、アクセスの高いランキングサイトを探す方法でしょう。

ミシュランにしても、ランキングです。ギネスにしてもランキングです。オリンピックもランキングです。

ランキングには非常に強い、人をひきつける力がありますね!

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中庸について

2008 年 11 月 27 日

孔子が「論語」で述べている重要な考えが「中庸」です。これは、儒教の柱とされる「仁義礼智信」と並ぶ概念ではないでしょうか。

実は、この「中庸」が、分かったようでちゃんと分かっていないことが多いと思います。

カウントしたわけではありませんが、「論語」の中で「中庸」について述べている箇所が非常にたくさんあります。その中で3つほどご紹介します。

まず1つ目です。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。「やりすぎと不足のどっちが良いか」と聞かれたときの孔子の回答です。そこで、両者とも中庸でないという点でダメだとの評価を得ています。きっとそうでしょう。すんなりわかる例です。

次の2番目のものは、はじめはよく分からなかったものです。

「良いことを思いついたとき、すぐにすべきかどうか」と尋ねられたとき、孔子は、人によって異なる答えをします。

Aさんには「あなたには父兄がいらっしゃるのに、尋ねずに行動すべきでない」と答え、Bさんには「すぐにやりなさい」と答えます。

「え? 不統一じゃないか!」と思いませんか?

実は、これが中庸だったのです!

思考が浅くすぐに行動に移すAさんには父兄に相談することを、また思慮が深く、いつも他を気遣っているBさんには迷わず行動することを勧めているのです。

私たちはとかく絶対的な答えを求めますが、短絡的な行動となっていることがあるようなのです。判断、行動する前に、一歩立ち止まって、状況や立場、関係、などをちゃんと考える、判断する、その上で行動すべきなのでしょう。ですから「中庸」は実は難しいのです。

現代社会は高度に工業生産や情報伝達が進んだ時代です。ここで、ちゃんと状況や立場、関係などを考えて判断し、行動することから逃げていないでしょうか?

たしかに、ズバ、ズバと言う人の言葉が(短期的には)強く感じます。最近は有言実行の風潮があります。しかし、発言が配慮を欠如していたり、妥当でないと後でわかったときは、言葉の価値が地に落ちてしまいます。

さて、3番目の例です。

これも、それを読んだとき、すぐには意味、意義がぴんと来なかったものです。

世の中が安定している時には、正しい意見は大きい声を出して伝えてよいが、世の中が混乱している時には、正しい意見であれ自嘲しなければならない、というものです(意訳しています)。

これも、ある意味、「中庸」の概念に基づくものだと考えていいと思います。よってたかって混乱を大きくしてはならないという意図だと思われます。

さて、意見を述べる場面だけでなく、コマーシャルの表現を伝える場面でも、この「中庸」はとても重要です。しかしながら、私たちはつい「効果」を重視して、このことを忘れがちです。

しかし、対立するもの、対比するものとの比較や、状況や場面についての判断はとても大切ですし、「中庸」を心がけることによって「品格」が作りだされていくことを私たちは実は体験的に知っていないでしょうか。

発言する前に頭の中で「中庸」と言ってみる
行動する前に頭の中で「中庸」と言ってみる
表現をリリースする前に「中庸」と言ってみる

このようにして、最低限の品格は確保したいものです。

現代の社会状況(犯罪など)にしても、経済、政治の閉塞状況の原因にも「中庸」の欠如があるように私は感じています。

短絡的な思考、短絡的な行動、成果や効果という1尺度だけに基づく宣伝や経済活動は、短期的に効果はあっても、実は長期的にはマイナス資産をため込むことになっているのではないでしょうか。そしてそれが突然破裂する!

男性(ばかりではありません)が短絡的に暴力に走ったり、
女性(ばかりではありません)が運命や占いに走るのは、

思考や判断することから逃げていることです。

ぜひ「中庸!」と心に言える余裕を持ちたいものです。

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Webデザイナーとしてとても有名な方をご紹介します。

ダグラス・バウマン(Douglas Bowman)という方です。

彼のホームページは、上品で、力強くて、とても繊細です。

ダグラス・バウマンのサイト「stopdesign.com」

このホームページをとても気に入っているので、変更されないか心配しています。

もちろん、変更される場合には、さらに面白く斬新なページになるでしょうけど・・・。

このサイト内の閲覧ページごとに、背景のデザインも変わりますよ。

私はその中でも、彼自身についての紹介ページ:

ダグラス・バウマンの自己紹介ページ

の色合いが大好きです(かっこいい青年です)。

彼は、単にきれいなデザインのサイトを作ることだけでなく、新しいWeb(xhtmlとcssという記述方法)を率先して実践したことで有名です。

ゆっくり彼のサイトをご覧ください。

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論語は社会のFAQです

2008 年 11 月 25 日

この三連休の間、解説書ではありますが「論語」についての本を読み始めました。

「うーん」と言ってしまうような話がたくさんで、とても興味深いです。「本当に二千数百年前の話だろうか?」と思ってしまうほど新鮮な言葉に驚かされます。感銘を受けた話のいくつかをご紹介してみたいと思います。

孔子が死後の世界のことを尋ねられたとき、「現存社会ですらよく分かっていないのに」と、論ずることすら避けます。彼は死後の世界、神秘主義などを極力排除します。あくまで現実世界で社会が秩序を保ち、発展していくために人が人とどう接すればいいのかを「仁」「礼」「徳」といった言葉で具体的に説明します。

孔子が「聖人」と言われたときにも、「とてもとても」とその意見を受け入れません。どうしてかと言うと、「聖人」や「君子」「大臣(非常にすぐれた臣下)」などの定義を行っているのは彼自身であり、自分はそれに当たらないと明確に述べているのです。

「友の遠方より来る、また楽しからずや」と、感覚的感情的にわかりにやすく伝えていることや、「40歳=不惑」「50歳=天命を知る」などの話も、「40歳はどうあるべきだ」と教条的に教える話ではなく、「私自身はこうだった」と感想を述べているさまを読むにつけ、自身の立ち位置を明確に知り、自身の行為による効果を明確に測りながらデンタツしていることを、私はすばらしく思います。

自らを「神」だ「王」だ「皇帝」だと権力を集中させ、権威を高めてきた人や、死後の世界や神秘性などを伝えて「(知らない、分からないことを)信じること」こそが大切な行為だと求める宗教者とは全く立場が異なっています。

とかく、人間は自身が不完全なため、完全なもの、あるいは未知なる強力な力を求めがちです。たとえば、孔子も完全な人だと考えたり崇めたりしがちですが、そのこと自体、彼から否定されるでしょう。彼の関心はそのようなことではなく、どうしたら平和に明るく暮らしていけるか、人と人はどのような関係を保てばいいのかについて、まさに草の根の伝道をしながら、為政者の求めがあればそれに応えていくという態度を貫いていますし、いい家庭を作ることもいい国家を作ることと同じだと言い切っています(人と人との関係だからです)。

論語は、主に弟子たちの疑問に対する回答の書です。FAQ(Frequently Asked Questions=よくある質問)といってもいいのですが、弟子たちもズケズケと質問し、見事に回答している様子がとても興味深く、とても楽しく読める書籍です。決して古臭いものでも、権威主義のものでもありません。不安定な時代だからこそ、読んでみてはいかがでしょうか。

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デザインの話です。

チラシとかホームページなどを作っていて、あれも伝えたい、これも伝えたいなどと欲張っていくと、ごちゃごちゃしてきてしまいます。そんなときは、ばっさり!

極力、無くてもいいものは切り捨てます。また、色も統合していき、色数を少なくします。すると、高級な雰囲気が漂うのが不思議なものです。

もちろん、真っ白、真っ黒だと何も伝えられないので、いくつかの色や形は使わざるを得ないですし、効果的に表現することになります。

たとえば、来月早々にもリリース予定のマニュアルの表紙です(先走ってすこしお見せします)。

写真の選び方・使い方『超入門』の表紙1

写真の選び方・使い方『超入門』の表紙1

写真の選び方・使い方『超入門』の表紙2

写真の選び方・使い方『超入門』の表紙2

表紙1と表紙2とは、色数が違うだけです。まずは、上の部分が黒いか赤いかの違いがあります。もちろん、この赤い色を使わないようにすると、色数が1つ減ったことになります。色数が減ったものの方が実は高級な雰囲気になるのです。実はもう1つだけ、色を変えているところをお気づきでしょうか?

表紙1の表題は「betalabo」と同じ色にしているのです。そうです。表紙2の表題の色は少し明るい黄色です。したがって表紙1は表紙2と比べて色数は2つ少なくなっているのです。

もっと高級感を出すには?

そう、もっと写真を少なくして空間を大きくします。

ただし、高級感を出すことだけが目的ではないので、賑やかな雰囲気を出さなければならないこともありますし、サイトなど賑わっている雰囲気を出すために、あえて色数を増やすこともあります(子供っぽくするには色彩を鮮やかにし、形を増やすのも手法の1つです)。

色の調整は料理でいえば、味の調整です。パソコンでデザインするときは、料理と違って、塩加減が強すぎても味を整えられるのでとても便利ですね。

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キリンビバレッジのコーヒー「Fire」のキャッチコピーを見ました。

嘘がつけない。だから、嘘はつかない。

なかなかいいと思います(今日、二種類の缶コーヒーを新発売の様子)。「が」と「は」の対比的な使い方にも、うならされます。

日本語の「が」と「は」の使い分けは、外国人には非常にむずかしいらしいです。ちょうど日本人が冠詞・無冠詞の扱いがむずかしいのと同じくらいだとも言われています。

最初の「嘘がつけない」は、性格的に、あるいは根っからの特性として嘘をつくことができない、ということを述べています。また、「だから」に続く「嘘はつかない」では、単に事象陳述あるいはまた個人的な意思として「嘘をつくことはしない」ことを述べています。そっくりなこの二つの文、発話タイプの力の種類も、異なっていると言っていいでしょう。

ちなみに、文法的な説明を行いますと、「が」は格助詞と呼ばれ、表層的にはいっしょにくっつく名詞と共に述部にかかり、深層的には述部の意味をより明確にします。つまり、誰が(主格)とか、何を(対象格)とか、いつ(時格)、といった情報伝達のフレームを構成します。

それに対して、「は」は格助詞ではなく、副助詞あるいは係助詞とも言われているもので、「も」とも同じ仲間です。これは見えていない格助詞の上にのかっているものです。つまり、

「嘘はつかない」=「嘘をつかない」+(私の場合)「は」

のような構造をしていて、「は」が「を」の上に乗っかって、見えていないと考えることができます。西九州の言葉では、「は」の代わりに「をば」と言ったりするのは、そのためです。「嘘はつかない」の「は」は、この場合「をば」と等価です。

「私は行かない」

という文を読んだとき、言外に「人はいくかもしれないけれども」という意味合いを感じたりします。「行こうと思えば行けるけれども、行かないことにした」のように響きます。

「私が行かない」

という文は単体では使わないでしょう。この短文は、文法的には正しくても、語法的には誤っている場面が多いと言えます。でも、最初に日本語を学ぶとこのような文を作ってしまいそうですね。もちろん、

「私が行かないと困る人がいるので」

というように条件節の中に入れると、何ら変なことはありません。このように、たった1音節の助詞が、微妙な状況や意志を伝達するわけですね。

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「駅前放置自転車クリーンキャンペーン」のポスターを見ました。

置きっぱなしになっている駅前の自転車を一掃する、行政や公共機関などがいっしょになって行っているキャンペーンです。

消費者(主婦、子ども)、店主などがならんで、プンカン怒っています。やや小さいのですが期間が書かれています。おそらく、強制撤去をする期間でしょう。

公共の福祉の観点で問題のある、駅前に置きっぱなしにしている自転車は撤去します。通勤・通学などで自転車をそのようにしている方は、以下の期間に撤去しますので、早めに自主的に引き上げてください

という内容をデンタツすることが趣旨だと思われます。

まずタイトル。「クリーンキャンペーン」というカタカナを使うことでやや雰囲気を和らげています。その反面、伝えたいことが弱くなっていることも事実です。もちろん、主催者の名称もそのような名前です。皆に受け入れてもらいたい活動だから、弱くしているのでしょう。しかも、怒っている町の人を並べることで、この活動の正当性を間接的に主張しています。

次に期間ですが、小さい。ある意味、「*から*までに撤去してください!」という部分が最も伝えたい内容ではないでしょうか? ストレートすぎるかもしれませんが、「駅前放置自転車 *月*日~*日撤去(一掃)します」のような言葉のほうがずばり内容を伝えられます。放置自転車のことを表わしていることが明示されているのであれば、大きく「駅前放置自転車」と表示しなくてもいいでしょう。

「駅前クリーン」にご協力ください

というようなコピーを使うこともできるでしょう。このようにポジティブに書くこともできますし、プンカンしている人を描く、あるいは山のような自転車の写真を入れるように、ネガティブで表現することもできます(以前、「不機嫌を伝える」のは「よくないデンタツ」という話をしました)。

基本的には、ポジティブの方が印象がいいですが、目的(つまり、撤去をよびかけることが一番なのか、撤去することの正当性をアピールすることが一番なのか)により、表現方法は変わります。少なくとも、日付はもう少し大きくした方が、ポスターの効果は高くなるのではないでしょうか。

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ベータラボの中心課題はデンタツです。また、デンタツは礼というお話をしました。

趣味でホームページを作られている方も、仕事でネットビジネスをされている方も、情報伝達をいかに効果的に行い、オーディエンスにインパクトを与えるか、ということはとても重要です。

映画やドラマなどで、視聴覚をすべて駆使して時代や背景を描写し、主人公の気持ちや主人公が出会う出来事を伝えていく方法は、リアルに情報伝達できるものです。しかし、長い時間じっとしてストーリーを聞いていただける、見ていただけるようなものをつくるのは大きなコスト、手間を要しますので現実的でない場面が多くあるでしょう。

一般の人からはあまりなじみがないものですが、ジャーナル(科学雑誌)などに掲載される論文のようなものが、最も丁寧に記述された「デンタツ」ではないか、と思っています。

論文は、通常、以下のような構成で書かれています。

  1. 背景
  2. 目的
  3. 方法
  4. (実験や調査内容)
  5. 結論
  6. 考察
  7. 将来の課題または仕事

まず、背景(経緯)などを記述し、研究する目的の位置づけをはっきりさせます。絵で言えばまさに「背景」です。その絵が存在する意義に直結します。次に、何をしようとしたのか、つまり意図を明確に「目的」で提示します。さらに、その目的を得るために採用した「方法」です。これは、戦略や戦術にも通じます。4または5はいっしょの場合がありますが、何がどれだけ行われ、どういった「結論」が得られたかを記述します。振り返って、当初の目的の中で何が達成でき、既知あるいは未知だった何らかの問題・課題などが得られた場合の論述である「考察」を行います。できれば、7の将来の課題または仕事「Future Work」を入れることで、残された課題や研究の方向性を示します。

細かい説明はここでは行いません。ここでは、2点だけお伝えしたいと思います。

まず、意味あるデンタツにおいては、背景と目的の記述が必須だということです。それにより、情報の意義が伝えられます。つぎに、この一連のデンタツセットにより、どういう状況で何が問題だったと認識したものについて、誰がどういう方法で何を行い、何を得たか、何を得なかったか、今後どうしたらいいか、という情報群をまとめて伝えることになります。もちろん、論理の飛躍がないか、調査したものの量や質に信頼性があるか、何に活かせるかなどが点検されていくことになります。

たとえば、商品の宣伝「こんな・・・がほしかった」という短いコピーで、端的に以下のような内容を伝えることができます。

  • (背景)これまで・・・がなかった。そのため私たちは不便だった
  • (目的)明示されていないが上記不便を解決する
  • (結論)提供できます
  • (考察)便利、うれしいなどの成果あり

短い言葉に、これだけのデンタツ内容、あるいはデンタツ力があります。さらに、ビジュアルなどを合わせて強力なインパクトを作り出していきます。上記の論文の構成をチェックリストのように持っておくのは、とても便利です。

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KYを嫌う日本人なのに

2008 年 10 月 15 日

「空気が読めない(KY)」を日本人は嫌います。場にそぐわないものを不快と感じます。日本人の美意識として、場に馴染んでいることがいいわけです。

場面が異なれば問題ないことも、ある場面での発言や行動が大問題になることがあります。セクハラがいい例でしょう。相応しいか相応しくないか、大の大人が判断できるかどうかが、社会生活を送る上で最も大切なことだと私は思います。

さて、今日、中央線の電車で通勤途中に見た広告。徳間書店のアサヒ芸能の吊革広告。あんなコピーをぶら下げていることを何十万人の乗客は文句を言いません。JR東日本も商売なので、また、違反がおそらくなかったのでOKにしています。がしかし、とても、とても、オフィスにおけないようなものをぶら下げているのです。これがKYでなくて何でしょうか? 内容が問題だと言っているのではありません。広告をする場所と広告内容が不適切なのです。

お願いです、週刊誌を販売される会社の方! 会社の玄関におけないようなコピーを何十万人が利用する通勤列車に車内吊り広告にしないでください。JR東日本の方、お願いです。規定ではなく、常識で「これはちょっと」と返せないのでしょうか。これまでやってきた広告なので、今回もまったく問題なしだったのでしょうか?

検閲すべし、と言っているのではありません。場にふさわしい広告をしましょう! 世界の笑い物です。

以前のブログで、アメリカではとうの昔にアルコール飲料の広告は禁止されていることを書いた気がします。これは、アルコール中毒者への配慮だと聞きました。もちろん、個人の判断で飲酒する、しないはあるわけですが、公的な場で、なんでも垂れ流しする日本は、たしかに自由ではありますが、不適切だったり、不快だったりすることを知らなければならないと思います。

広告を測る尺度として、「快」「不快」は重要な要素です。

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デンタツの基本要件

2008 年 10 月 13 日

質がよく、力が強いデンタツのための基本要件とは何でしょうか?

真実でないことを告げたり(不実)、不安や不快な感情を与えるものは、決していいデンタツではないでしょう。もちろん、法律に違反するようなことはダメです。しかし、できるだけ効果の大きいデンタツをしようとすると、聞く人、読む人の「感性」「知性」などの「本性」にも響くものが望まれます。飲食物の宣伝は「飲みたくなる、食べたくなる」食欲刺激型の宣伝がかなり横行していますが、不快感を与えてはなりません。その上で、以下の効果を得られることが、実際に注意する事項だと思います。

1.覚えてもらう(社名、商品名、手法名・・・)
2.何らかのアクションに導く
3.効果、作用を持続させる、あるいは伝搬してもらう

どんなに、覚えてもらえることになっても、不快感を与えることはご法度です。いつだったか、名前だけ合唱連呼して、何のことだかわからないだろう、とばかり、社名を強調するコマーシャルがありましたが、あのようなものは不快感を与える以外に何もありません。お笑いの世界でも、相方や出演者への度を超した攻撃などは、確かに失笑を集めても不快感を与える手法は、デンタツとして決して質の高いものではありません。インパクトは必要ですが、質が高い「デンタツ」を目指したいものです。

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子供のころは、道徳や礼儀あるいは儒教の考えた方など、古めかしくて、窮屈だと思っていました。でも、最近は考え方が変わってきました。

儒教では「仁義礼智信」という5つの言葉について、大切に扱っているわけですが、ビジネスにも、適用できる素晴らしい思想であるように考えています。「礼」は人と人との接点のこと、本来思いやりをもって接するべきものではないでしょうか。したがって、営業であれ、情報伝達であれ、「礼」を持って接することが、意義深いのだと考えます。もちろん、因果、理屈、分析などの、知的な活動である「智」も備えて事象をとらえたりすることは、有効です。さらに、そのように「礼」と「智」で行為をなし、人と接することで「信」を得るのではないでしょうか。

もちろん、「仁」と「義」は非常に大切です。しかしこの2つは、自明の理のように感じられます。「仁」とは、子供を抱いている時の母親から子供へと送られる気持ちであり、子供から親へ送られる気持ちであるそうです。「義」は、宇宙全体の法則のように思われます(きっと人と人との法則でもあるのでしょう)。

儒教は、宗教ではなく社会人間学のようなものなので(一部では孔子をあがめたりしているようですが)、人と人が接するときの道理やあるべき姿を扱っているものです。ビジネスに適用できるように感じられるのも、当然と言えば当然かもしれません。

いずれにしても、「デンタツ」においては「礼」を意識したいものです。「礼」を他のものより重く扱った朱子学の立場をとるつもりは毛頭ありませんが、「礼」を失わない営業、情報伝達、人間関係を築くべきだし、推し進めていけば、必ずや「信」、すなわち売上や信頼を得ることになるのだと思います。もちろん、ひとつひとつの判断に「智」を実践しながら・・・。

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Lカゼイシロタ株400億個が入った「ヤクルト400」という特定保健用食品のキャッチコピーは「生きたまま腸に届く」だったのに、今日の電車内広告では「腸トレ!」(腸のトレーニング)となっていました。

私にはガーンというショック! もちろん、大多数の方はどっちでもいいかも知れませんが、ベターなコピーになりました。ベストではないのですが、なぜそう思うのかについて今日はお話ししたいと思います。

さまざまな細菌が人間の体の中に住み着いていることと、乳酸菌などの発酵食品を多く取る人たちの寿命が長いことは、両方とも知られています。いろいろと調べていくと、体内、特に腸内に多く生息する菌類の中で、乳酸菌(実際は数多くの種類と数多くの菌数がある)はいわゆる善玉とされ、下痢などを引き起こす悪玉と区別されています。

どうすれば健康、特に腸の健康を維持できるか、を考えると、短絡的に「善玉菌である乳酸菌をとればいい、しかし、胃酸などで殺されないように生きたままとどけて、腸内で住み着かせればいい」と思いがちです。「生きたまま腸に届く」というキャッチコピーも、この文脈から作られたものだと、誰の目にもそう見えます。

おそらく、このようなキャッチコピーは誤解を定着させるものであるとヤクルトも知っていたと思われます。だから、「腸トレ」のようなキャッチコピーにしたのでしょう。そうです、生きていようと生きていまいと、ある種の菌を含む飲み物などを摂取したときに、腸内細菌のバランスをよくしたり、整腸作用をもたらすことは、学界の常識となってきていたのです。

カルピスと異なり(カルピスは死んだ菌でも効果があることを信じてきたのですが)、ヤクルトは長いこと「生きた菌を体内に取り込む」ことに固執してきていました。「生きたまま腸に届く」ということが真実であってもなくても、この表現は、「生きた菌を腸にとどけ、そこで住み着かせ、体調を良くする」ことを暗示する表現となってしまっていると思いませんか?

ヤクルト中央研究所で研究されてきた方から話を伺ったことがあるのですが、(ヨーグルトなどの乳酸菌を)プロバイオティクスとして体に取り込むと、人体の免疫系である、マクロファージやNK細胞などが活性化され、悪玉菌などに対しても優位の状態に変化することがわかってきているのだそうです。つまり、直接乳酸菌を住み着かせるのではなく、死骸を含め、乳酸菌などが体の免疫系へ刺激をして、間接的に腸の状態や体調を良くする方向に働くらしいのです。

したがって、「腸トレ」も本来的には正しくはありませんが、伝達内容としては「生きて・・・」よりはましに思えます。ヤクルトも、きっと「免疫トレ」とか「免疫力アップ」としたいところでしょうが、これはこれで、薬事法の関係で「待った!」がかかることになるので、使えないのです。

薬事法はやっかいなものです。真実であっても、薬以外のものに薬効をうたうことはご法度だからです。したがって、このように歪曲した表現が世に出てしまうことになるのです。私の個人的な意見としては、薬品以外の食品等の表現は、特定商取引法の「不実の告知」で取り締まればいいことであり、「乳酸菌をとって免疫力をアップ!」といった正しい表現を許してもらえるようになれば、歪んだ表現はなくなるのに、と思います。

皆さん、新聞や雑誌に載っている健康食品の広告文はかなり歪んでいると思いませんか?

Webやチラシといったグラフィックのデザインにとても役立つのがイメージ写真。Yahoo!やGoogleの画像検索で見つけてきた写真をそのまま自分のWebに張ったりしてはいけません!ちゃんと、著作権フリーのサイトで使用料を支払ってから使うようにしましょう。ところで、このようなサイトは多くありますが、使用料がとても安くて驚きです。最近よく利用するのが、fotolia.comというサイトのものです。ブログなど、Webに張り付ける程度だと100円、200円といった値段で、また印刷物用であっても500円程度でダウンロードできることがほとんどなので、とても重宝しています。

jp.fotolia.com

日本語にも対応していますが、英語(アルファベット)で連想される言葉で検索してみることをお勧めします。たとえば、果物で検索することもできますが、appleで検索して、なかなかいい写真があったら、その写真の類似のものを探してみてみます。すぐに購入しなくても、ライトボックスという箱に入れておいて、ある程度集まった段階で、そこからカートに入れて購入する、というように作業をすすめることができます。

「効率が10倍アップする新・○○○○術」とか「年収10倍アップ○○法」だとか、ノウハウ本のタイトルには、非常に刺激的なタイトルがついています。ご存じ、シリーズ本を合わせて150万部ほど売っている方のタイトルです。もし、10倍ではなく100倍だったらまずい表現でしょうか? それとも、中心の言葉が「術」や「法」であるから、問題にならないのであれば、「年収1万倍アップ法」でもいいのかも知れません。でも、そのような表現だと、逆にぴんと来なくなってしまうので、いいコピーになはならないのでしょう。それとも10倍に信憑性があるのでしょうか?

そもそも、このように、ノウハウ(手法)を提供する書籍等であれば、効果を表示したものであっても、景表法上問題なしだとすると、健康食品や化粧品のような薬事法にしばられている種類の商品には申し訳ない気がします。

これでもか、これでもか、と表現は過激になっていきます。昔、洗濯洗剤の広告に「真っ白」という表現が使われ、子供の心ながら「最高の洗剤ができたのだろう」と思ったものでした。がしかし、ひっきりなしに、新たな完璧を表わす言葉を広告マンたちは発明し続けるのです。

薬事法など法律には矛盾点があります。薬品でないものを、あたかも薬効があるかのように表現することは薬事法違反となるので、たとえば、ハチミツをなめるとぜんそくが収まるようなことでも、日本では、そのような表現を用いてハチミツを販売しようとすると「薬事法違反」とみなされる可能性が高いのです。薬効とか健康維持や改善といった、人々の願いにヒットする表現はご法度なのです。そもそも、薬品に指定されていない物には、「暗黙に薬効がない」という立場で取り締まってきた方法に問題はないでしょうか。また、成功とか、改善だとか、これも人間の願いに直結するものを得られるようなキャッチコピーはどんな表現であってもOKなのか、調べてみたいと思います。

社名一本化をアナウンスしたパナソニックが、最近Panasonic Beautyというブランドを前面に押し出し、仲間由紀恵を起用して化粧品?と思わせるCMに驚いた人も多いのではないでしょうか。雰囲気から、資生堂?カネボウ?と思わせたCMの作り方がこれまでの化粧品そのもの。

ホームページを探してみると

http://national.jp/beauty/

では、ナショナルトップ(カテゴリ名もドメインもまだナショナルが生きている)の次に「商品一覧」、そして「美容」というジャンル
までつくっています。

美容ではあっても、化粧品ではありません。ヘアケア(ドライヤー)、フェイスケア、ボディ・フットケア、オーラルケア(歯ブラシ)など、これまで、家電に位置付けられてきたものを、「美容」のカテゴリとして、「美容」の品々を売る、という販売PR策が見えます。これもひとつのブランド戦略です。高い広告料を払って宣伝をするわけですから、インパクトを広く、強く与えるという方法はなるほどと思わせます。

ナノケアは、かなり売上を伸ばしているようでもあり、今後の動きに注目したいと思います。

そういえば、中島みゆきと松田聖子のCMの「アスタリフト」(これはナノテク技術を使った明らかな化粧品。富士フイルム)もかなり売れている様子。技術が高く品物がよくて、いい宣伝をすれば爆発的に売れる可能性はあります。雰囲気(イメージ)だけの化粧品宣伝はあまり意味がないものになってしまうかも知れませんね。

センスと表現力の違い

2008 年 9 月 15 日

表現力が乏しかったり、何かを上手に操れないときに、「センスが無いから」といった言い方で説明することがあります。センス(sense)とは、日本語に直訳すると感覚あるいは感性といった意味になりますが、大方の場合、センスが欠如するような重大な問題があることはほとんどないのが実情だと思います。歌がうまく歌えなかったり、絵がうまく書けなかったり、英語が話せなかったり・・・と、がっくりと自信がないさまを表現するときに、センスがない、などと言ってしまいますが、本当にセンスがなければ、このように表現することはないでしょう。つまり、うまく表現できていないことをはずかしく、つらく感じているからこのように言ってしまうわけです。逆に言うと、センスがあるのです!センスがあるのに、うまく表現できないからもどかしく、残念で、恥ずかしく感じるのです。

文学でも芸術でも、そのほかの分野でも、伝達の技術を高めることは非常に重要です。ベータラボの中心課題は、伝達の質と量の向上です。これを略して「デンタツ」と呼ぶことにします。デザインやキャッチコピー、あるいはテキストの言葉といった表現、その文脈的(時間的・空間的・状況的)なパワーが、メッセージとして市場に強く伝達されるものだと考えています。今後、デンタツの本質を探り、お伝えしていきたいと思っています。

創作-ボトムアップ

2008 年 9 月 5 日

作戦を立てることは、ゴールを想像して、トップ(=ゴール)に到達するまでの道のりや方法、分担などに分解していく行為だ、というお話をしました。つまり、計画するとか、作戦を立てる、というのは、分析的な(分ける)作業なんですね。上手に要素に分けられれば、作戦はうまく立てられます。
このこととは逆に、創作あるいは表現といった行為は、いろいろな要素や要件を満たしながら、1つのものに作り上げていく行為ですから、ボトムアップの作業と考えることもできます。
さて、トップダウンの作業とボトムアップの作業は、どちらが簡単でしょうか?
もちろん、行うべき仕事の種類にもよるため、いちがいには決められないかもしれませんが、作り出す方がむずかしいと考えられている方が多いのではないでしょうか。
オリジナルなもの、感動を生むものを作ろうとすると、感性と忍耐の両方が必要になってきます。芸術家が作品を作るのも、スポーツマン(最近はアスリートと呼ばれているようですが)が技能を高め、高い成果を出すことにも似ています。
有能な人あるいは成功する人が述べていることに、「ゴールイメージ」を描くことがあげられます。作品を創作するときにも、仕上がりの雰囲気や要件を常に考えながら進めることが重要になってきます。
日本人の価値観の中に、「ひたすら」とか「何も考えず」といった心構えをほめる風潮がありました。しかし、最近、特にこの10年くらいは、有言実行だったり、ゴールイメージを想像しながら進めていく方法も認められつつあるように思われます。達成した時の喜びや感動をはっきりと伝えることも許されてきています。昔のテレビ放送などを見ると、ぐっとこらえている姿の方が多く感じるのは私だけしょうか。
創作的作業はボトムアップだと申しましたが、実はトップを見ながらのボトムアップ作業なのです。創造したゴールを頭に描きながらさまざまな要素(計画時に分解してきたもの)をくっつけながら、最終イメージを作り上げる作業なのです。
いい作品をつくる、すばらしい成果を出す、内容の濃い仕事をする・・・。人に求められる行為は、すべてこのようなアクションが求められているのではないでしょうか。

デザインと料理

2008 年 9 月 4 日

デザインはある意味、料理と同じです。素材を用意して、順番に足したり加工したりして、最終的においしい作品を仕上げていきます。でも、どうして、デザインはむずかしいのでしょうか? 「よし、これを足そう」と思って足しても、予想したものにならないことがよくありませんか? ごちゃごちゃしてしまったり、雰囲気が変わってしまったりと。何が問題だったのでしょうか?

デザインとは、設計プラス制作だと考えていいと思います。たいていの場合、ちゃんと設計せずに制作を始めてしまうため、うまくいかなくなってしまうことが多くあります。設計図なしに、建物や乗り物を生産するとしたら驚きですね。

料理は、作業手順も、材料も頭に入っているからうまくいくのです。しかもたいてい、一度は経験した内容です。いわば、経験と暗黙の設計図が頭の中にあるから大体うまくいくのです。

デザインにあたっては、ゴールを想像しながら、設計を行ってください。設計図には次のようなものが書かれてあると考えることができます。

  1. 仕上がり予想図
  2. 部品(=材料)一覧
  3. やるべき仕事とその段取り(順番)

もちろん、これをすべて書き下す必要がある、と言っているのではありません。写真を入れるとか、文字のサイズを変えるとか、色をつけるとか、何らかのアクションをするときに、自分の設計図に指示がある方向に進めているか、をちょっと考えてみる、という意味です。

料理を作っている最中に、うまくいっているのか、どうチェックをするかと言えば、そう、味見ですよね。煮え具合(進行状況)や味のバランスなどをみて、加工や処理についての補正を行います。

デザインでも、途中で、配置を変えたり、色を変えたり、変更することもよくありますよね。この作業も、実は味見と同じ働きがあるわけですが、デザインがなぜむずかしいかと言えば、都度都度の判断の一貫性を維持することが「味見」よりむずかしいからなのです。

iPhone-3日で100万台販売

2008 年 7 月 18 日

AppleのiPhone 3Gが国内で発売され、徹夜で行列を作った人たちを含め、3日で100万台も販売されたそうだ(世界での販売数)。所得が伸びず、物価上昇に困っている人が多数を占めているのに、どうしてこんなに売れるのだろうか。すっきりしたデザイン、ボタンを排し指先のタッチだけで操作できる操作性。といっても、これまで日本の携帯は多機能・多用途のものが多く売れてきていて、アメリカでの販売のように、市場から熱烈に歓迎されることはないと思われてきたのに、やはりマーケットにも強い一撃を与えたのではないだろうか。

iPhone 3G販売のインプレス記事

携帯は朝から晩まで(目覚ましに使っている人も多いので「深夜」も)ずっと肌身離さずいっしょにいる、非常に特別なツールだ。電話、メール、ゲーム、情報収集など、用途が多く、五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)の次の第六感(?)といってもいいくらい大切な存在として今後も位置付けられていくだろう。

おそらく、ずっと身近にいるアイテムなので、デザインの良さ(かわいさ)、相性の良さ、などが最も重要な判断基準となったのだろう。性能が高い、高機能、高速、といった属性より、「かわいい」とか「すてき」というものの方が、人間を引きつけるのではないだろうか。iPhoneの爆発的な販売は、このようなことを考えさせられた事象だった。

テイスト決め

2008 年 7 月 16 日

サイトの雰囲気をゴージャスにするのか、シックにするのか、明るく楽しくするのか、真面目にするのか、どのようなテイスト(またはタッチ)にするのかは、ビジュアル選びと共にとても重要です。サイトのコンテンツを見ていただくためにも、どのような人に対してどのような意図で作られたのかをストレートに伝 えられるようなテイストをまず決めることにしましょう。

よくプレゼンテーションで一番大切なものは何かという問いに、視覚表現が最も影響が大きい、つまり、整った服装で 笑顔で明るく発表を行った場合の好感度は非常に高く、内容よりも強く聴衆に印象を与えているという調査結果が伝えられています。