3400万円のワッペン作り直しと15兆円補正
2009 年 4 月 11 日
都下水道局の制服につけるワッペンをデザインの規定に不適合であるために作り直し、無駄に3400万円かかった、というニュースが伝えられています。
一様に「無駄な支出」の批判の声があがっていて、石原都知事も「けしからん」と発言されています。
いずれにしても、今回の件については、デザインの規定の方が優先され、税金3400万円が余分に支出されたわけです。
いろいろな対処法が考えられたと思います。
1.作り直さずにデザイン規定に反したワッペンを使う
2.ワッペンを入れない制服を使う
3.弁償させて作り直す(新たな支出を補う)
4.弁償させずに作り直す(余分な支出をする)
といった方法がありえたのでしょうが、「ワッペンは付けたい。無駄な支出でもおとがめがない」から4が採用された、というわけです。
3400万円の無駄支出があっても、責任者二人への訓告という注意程度で済むわけです。
使い込みだったら牢屋行きでしょうが、間違いだから注意で済みました。
でも、納税者にとってみれは、不注意でも、過失でも、意図的な犯罪でも、負担は同額です。
おそらく、このような無駄な支出は氷山の一角でしょうし、無駄な建造物や組織など、無駄遣いの疑いのあるものはいくつもあるのではないかと思ってしまいます。
実は、制服の胸に着ける、とても立派とはいえないワッペンに、単価・何千円ものコストをかけることも問題なのですが、そのことには今回は焦点が当たっていません。
非常に気になるのは「無駄な支出」をさせない、あるいは監視する、あるいは罰する、あるいは償わさせる規則がない、ということです(無論、会計検査院といった仕組みも、不正防止などの面である程度機能しています)。
どうしてでしょうか?
まず、無駄かどうかの評価がむずかしいことがあげられるでしょう。
つぎに、無駄だとわかっても、それを決裁者や担当者に弁償させることは、金額的にも困難だと考えるからです。
そのようにすると、誰も政治家や役人になりたがらないからでしょう。
しかし、政策や予算執行をいくら失敗しても、いいのでしょうか。
世論は残念ながら、その場限りの突風のようなもので、過ぎれば穏やかになる、あるいは忘れてくれます。
世論は残念ながら、感情的な「けしからん」中心であり、「いい仕組みにせよ」という具体的な改善要求は突きつけません。ですから、「無駄遣い予算執行への罰金規定を定めよ」などとは言わないのです。
社会保険庁の問題でも、ボーナスが出なかった程度しかパニッシュメントはありません。
そもそも、日本国憲法ですら、「健全な財政を行うこと」を国権の責務である、と規定していないのです。
私は常々、国権(司法・立法・行政)に対して唯一優越する存在である憲法が、国権の責務を明確に規定していないことが、法治国家日本の最大の問題だと考えています。
確かに平和主義をうたった、いい憲法ですが、変えてはならない、絶対のものでしょうか?
でも、そのような発言をすることは、タブーなのです。
発言すること自体で「改憲論者=軍国主義者」とみなす方が多くいらっしゃいますが、私は平和主義者ですし、きっちりと国の枠組みを定めるべきだと考えているのです。
この憲法では、国民の権利を認めつつ国民の義務を明確に規定する一方、国権の機能(サービス)の大枠は定義しながら国権の責務の規定と基本的な目標設定を、何ら行っていないのです。
もし、私が憲法のドラフトをスケッチするとしたら、以下のようになると思います(天皇についての規定は除く)。
(明確化)【前文】 歴史的な位置づけ(国民、諸外国への明確な侘びと反省を含む)と今後の方向性の明示
(新)【目的】 国家・国民の発展を維持する
(新)【国権の責務と機能(安全)】 国民の生命財産を守る=外交・防衛・防災・環境のガイドライン
(新)【国権の責務と機能(財務)】 適切に予算立て、予算の執行、結果の評価を行い、健全な財政の維持をすること
(明確化)【国権の責務と機能(その他のサービス)】 平等かつ有益なサービスを提供する
【司法の責務と機能】
【立法の責務と機能】
【行政の責務と機能】
たとえば、福祉は、国民の生命・生活を守るために国家の機能であり、実は責務でもあるわけです。
環境対策をすることは、単に世論や世界的な要請ではなく、国権の責務として扱う対象であるわけです。防衛も防災も国民の生命財産と守るという観点から同一のレベルの話です(防災・消防も防衛も同等に扱っている国々はかなり多いです)。
このような機能を適切に提供することが、国権の責務であり、無駄な支出、あるいは無駄な支出により適切な支出ができていないとしたら、それは国権としてあるまじきことだと思いますが、いかがでしょうか?
ですから、「詳細は法律で定める」と記述するにしても、憲法のレベルで、しっかりと上記のような機能と責務ならびに守られない場合に対処するためのガイドラインを示すべきだと思います。
それがないから、無駄支出はなくならないし、改善するための法律も定められないのです。
ですから、「赤字がどれほど増えていっても赤字を改善する方策が立てられないことは重大な問題であり、これは憲法違反である」と言えるような憲法、法体系を定めるべきだと私は思います。
変えないことも一つの方法でしょう。
でも、問題を見つけること、解決のための方策を熟慮検討すること、伝達して問題意識を共有すること、協力して改善努力をすることは、労力がかかりますがとても大切なことではないでしょうか?
残念ながら、思考停止、あるいは思考をさける風潮が広く存在しますし、それは社会的なタブーとも無縁ではないでしょう。
さてさて、大赤字をさらに増やす15兆円の補正予算。いったい、誰が責任を持つのでしょうか?
誰も責任を持たないこと、何からも規定されないこと、そして「考えよう、改善しよう」という改善要求世論が出てこない現状を、私は残念に思います。
ひょっとして「これは国権の、完全なまでの自由」だったら驚きですよね。
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Absolute(絶対的)とUniversal(普遍的)
2009 年 3 月 14 日
1つ前の記事で「平均律と純正調」の話をしたので、もうひとつ、関連する話を思い出しました。
これは、コンピュータの世界の話です。
コンピュータは第二次世界大戦後に作られ発展してきたものですが、ハードウェアだけでなく、ソフトウェア、とくにOSと呼ばれ、莫大な開発コストがかかる基本ソフトウェアを開発しながら発展してきました。
1970年代から80年代にかけて、アメリカを中心に資本が投下され、開発競争がさかんになってきました。
そのころから、多くの端末からの要求をセンターで処理する、中央集中型のコンピュータの利用法が、重要なやり方だと思われていました。
もちろん、現在もその流れは半分正しいのですが、半分は、分散的な処理によって、ホストのトラブルのリスクを回避するような方向で発展しています。
詳しい話はここではできないので、少しスキップします。
その当時、完全無欠、膨大で絶大な基本ソフトウェアを作ろうとしていましたが、結果は失敗しました。
それに対して、ひとつひとつ小さいものを組み合わせて、大きい仕事ができるような仕組みを考え出し、アメリカの大学(教育機関)を中心に利用が広がり、それが後に大成功を収めました。
それがUNIXと呼ばれる基本ソフトです。
現在もインターネットのホストコンピュータのほとんどで使われているOSです。
何がどう違うのかを一言でいえば、京セラ・稲盛氏の「アメーバ-経営的」といったらわかりやすいかも知れません。
分けても分けても終わりがない・・・とまでは言いませんが、本当に小さな小さなコマンド(命令)の集まりを組み合わせて壮大なものを作り上げているのです。
膨大なコストがかかるようなときは、このような最初の基本設計、スケッチ、あるいはフレームワークがとても大切です。
何でもできる(マルチ)に対抗して単一(ユニ)という意味からUNIXという名前が付けられたそうです。
さて、Financial Timesの記事に、リーマンショック以降の出来事を、「金融メルトダウン」と表現されていました。
今こそ、「絶対」とか「強力」「完全」などに引き付けられることなく、「シンプル」「普遍」「汎用」な価値観を大切にしていくべきでないかと思いました。
恐竜のように、大きな変動が起こると、適応できないものが滅びるのが世の常ですから。
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背水の陣
2008 年 12 月 22 日
一生懸命
ひたすら
背水の陣
などは、日本人が好む表現ではないでしょうか。それとは反対に、策略のようなものは嫌われます。
「ひたすらがんばったけど、だめでした」でも、大方の日本人からは受け入れてくれます。
「ひたすらがんばった」ことが重要であり、「かわいそうに」と思ってもらえます。情緒という「共感」文化があるからです。
最近でこそ、「経営責任」という言葉が使われますし、政治家は「結果責任」をとるなどと言いますが、あまりしっかりした意味合いで認識されていないのではないでしょうか。
「ひたすら」な情緒は、ドライな欧米人には理解しにくいものの一つですが、日本人には結構分かりやすいと思います。
さて、この記事を書こうかどうしようか、今度も悩みました。
精神論に触れる部分は、タブーです。タブーに触れると想定以上、必要以上の反発を受けてしまうからです。
タイトルと、ここまでの説明を読んで、私が伝えたいことがピンとわかった方もいると思います。
「背水の陣」は、背中を水辺に向け、退路がなくなったかのように見せつつも、実は、別軍を回り込ませ、弱い背後から攻める戦法です。もちろん、背中を川に向けた兵隊には、退路がないので必死で戦うことを仕向けます。また、相手には「しめしめ」と思わせて油断させることになりますが、別軍を忍ばせて、攻めてきている軍の後方の弱い兵へ背後から襲いかかるのです。
この方法は、日本人的には嫌われる策略、卑怯な戦法ではないでしょうか? 是非についてはここでは論評しません。
この話をご存じなかった方もいらっしゃるでしょう。
でも、このような戦法であることを知っていて、あえて伝えないのか、知らずに
一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。
失敗すれば再起はできないことを覚悟して
全力を尽して事に当ること。「背水の陣を敷く」(広辞苑)
という語義を作り、育て、伝えているのでしょうか?
《参考》 Yahoo!の知恵袋
きっと「この話はするな」とおっしゃる声があるのではないかと思います。あまり感心する話ではないからです。
日本では、親心として、あまり苦労は子どもには知らせないようにします。汚いものは見せないようにします。親ではなく、教師であっても同じです。
戦々恐々とした状況や気分を伝えたり、人を欺くようなことを考えることは、教育的な配慮からしたくないことです。
でも、本当に悲惨なことや事実を伝えるためには、隠さない勇気も時に必要だと思います。(飛行機のパイロットなど)冷静な分析力を持つことも大切です。
そして、社会へ飛び出るときまで、年齢ととも、苦労や現実世界について知る割合は高めていかなければならないと思います。
しかし、日本では、社会に出るまで、親も、教育機関を含む社会も、ほとんどそのようなことは行いません。
サバイバルの心構えを教えられたこともなければ、親も教師も、自らそのようなことは伝えたくないのです。
本来は、この社会性に関する教育は、男性(父親)が果たさなければならない大切な仕事ではないでしょうか?
さまざまな困難にぶつかり、それを理解し、対処していく。
いろんな教科を通して子供を教育しているようでいて、また、過去の歴史や過去から得られた叡智を教えているようでいて、実は、それ以上に、どのように困難に対処していくかの底力をつけることが、一番必要で大切なことだと思っています。
私が青年海外協力隊に応募したとき(1980年の夏)の試験問題を今でも覚えています。
「あたたがいままで遭遇した一番の困難について記しなさい。そして、それをどう克服してきたかについても」
はじめてこのような試験問題を見ました。問題解決能力と表現力を求める、いい問題だと思いました。
日本の今の教育システムでは、社会に出るまで社会の荒波をしっかりとガードしてあげて、社会に出る瞬間に「社会人になってね」とポンと突き放していないでしょうか。
内定取り消し問題についても、従業員カットの問題についても、社会はもっと真剣に考え、対処しなければなりませんが、むずかしいことは考えない、議論しない、対処しない、あるいは言いっぱなし。情緒的なものは感じる、わかるということでは、どうにも対処できなくなってしまいます。
さて、オバマさんは、「共感」を伝え、「変化」を約束する方法でデンタツを進めてきました。
私たちは彼の改革に期待しています。でも、彼は言いました「It is your victory」。
彼は、ケネディーが言った言葉と同じ内容を伝えてくることでしょう。つまり、「国家に求めず自分に求めよ」「変えるのはあなただ」と。そのときに、そのとおりだと思う人と、期待はずれだったと思う人の2通りに分かれるかも知れません。
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2500年前の人々が書き記したもの
2008 年 12 月 9 日
湯川秀樹博士が幼少のころ、正座をしておじい様から教えを受けた「論語」は、今から2500年以上前に、人々が書き記したものです。
「論語」とは、孔子が亡くなってから、「どう言った、どうだった」などと思い出しながら、弟子たちが激論の末にまとめたものだそうです。だから「論」「語」だそうです。
もちろん、孔子の教えも、論語もすばらしいのですが、実は、一番私が言いたいのは、少しポイントがずれたものです。
つまり、2500年前、すでに、このような教えとか考えを大切なものだと考えた人たちがいた、という事実なのです。
2500年前、仁とか礼とかの話をしてわかる弟子たち、人々がいたことが、考えるべきこと、学ぶべきことだと思っています。
孔子が出現したから「仁」という概念が出てきたのでしょうか? 孔子の教えを聞いたから「礼」が大切になったのでしょうか?
そんなことは決してないと思います。
書名は覚えていないのですが、太古の昔、日本がまだ日本でなかったころ(おそらく魏志倭人伝より古かったと思いますが)、日本のことを記述した中国の書籍があって、「日本人たちが、道端で、貴い人の周囲でしきりに拍手をしている」という記述がありました。とてもリアルに感じました。道端の日本人たちは貴い人へ感謝か感激を伝えていたのでしょう。非常にあたたかな交流の場を想像できます。
2500年前の日本はいつの時代でしょうか?
なんと、神武天皇より、天照大神(最近、「あまてらすおおみかみ」がヒミコのことだ、という説がかなり有力になりつつあります)よりも数百年も前のことです!
子供のころ、縄文土器や竪穴式住居などをみて、非常に未開な時代だったという印象をもっていましたが、ちょっと状況は違ったかも知れません。
何十万年も前のネアンデルタール人の骨が出てきたとき、その周囲に、大量の花粉が出てきて「これはたくさんの花で埋葬された後だ」との説明を聞いたときに、非常に強いショックを受けた覚えがあります。彼らの悲しみも死者への愛情も伝わってきました。
孔子に指摘されて「仁義礼智信」が生まれたわけではありません。周囲の人が初めて知ったわけではありません。その言葉を言われて理解できる、弟子たち、人たちがいたという事実が分かります。
ただ、よく分からなかったり、ちゃんと整理できていないから、このような教えを乞うわけです。知ろうとするということは、半分分かっていることであり、知りたいという欲求があるという証しです。
民主主義も、ギリシャ、ローマの時代からありました。
教会絶対の中世を経て、芸術などが復興しました。そして生命のエネルギー(本性)を表現することが容認されるようになりましたが、古代ローマ遺跡で最近見つかるすばらしい芸術作品をみるにつけ、なぜ、この時代のことをルネサンス(文芸復興)と呼んだのか分かりました。私には、ローマ時代とルネサンスとの区別すら、むずかしいぐらい、すばらしい作品群でした。
さて、私がアフリカにいたとき、アフリカの人々から、「礼」も「智」も「信」も感じました。
(日本人はほとんどしないですが)韓国の人であれば、人にものを渡すとき、必ず片手ではなく、もう一つの手を添えて渡すでしょう。マラウイの人も全く同じ仕草をします。
私がアフリカの職員室に一人でいたとき、「職員室の中に入ってよいでしょうか。実は、・・・先生からチョークを取りに行くように言われたので来ました」と説明にひざまずいて尋ねた少年たちは、このような行動をキリスト教で教えられたのでも、仏教で教えられたのでも、儒教で教えられたのでもありません。もちろん、親から教えられたのかも知れませんし、見て聞いて覚えたかも知れません。しかし、理解し、実践するための素地である「心」を持っていたことは確かです。
よく、敬いや思いやりは、何らかの思想とか教育とかが必要だとされていますが、本性として持っている部分がかなりあるように思います。生まれながら持っているのか、育つ中ではぐくまれるのか、おそらくその両方でしょう。この調和と繁栄のための基礎を持っているのです。少なくとも2500年以上前の中国ではそうでしたし、4大文明のような大きな社会システムがあったこと自体、思いやりや尊敬などの基盤があったことを示唆していないでしょうか。
たとえば「十戒」ができたため、初めて人を治める概念ができたわけでも、それを人々が知ったわけでもないでしょう。
メッセージは、受け取る側に、分かる素地、受け取るニーズ、気持がないことには、決して伝わりません。
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オブジェクト指向とマッシュアップ
2008 年 11 月 21 日
ソフトウェア工学の中では「オブジェクト指向」という方式や「マッシュアップ」という技術はとても役立つ便利なテクノロジーとなっていて、私たちは皆、その恩恵にあずかっています。
個々の意味合いは違いますが、単純に言えば「共有化テクノロジー」と名前を付けられるのではないでしょうか。
皆さんが今、この記事を読んでいるときに、ブラウザを通して読んでいます。ブラウザはインターネット経由で情報を入手したり、画面に表示したりします。
ブラウザを開発した人は、何を利用して作ったのでしょうか?
そう、部品です。
むずかしい言い方をすると、あらかじめ機能が分かっている部品(これをクラスから生成されたオブジェクトと呼ぶ)を組み合わせて作ったのです。
例えば、「ウインドウ」クラスだとか「アイコン」クラスだとか、いっぱいあるわけですが、作ったものも、クラス化することで、再利用・共有化できます。機能の大部分を継承しながら別の機能を追加して、新たに子供のクラスを作ることができます(ちなみにクラスとは雛型のことで、実際に仕事をするオブジェクトを生成できるものだ、と考えていただいていいと思います)。
マッシュアップ(グーグルマップやこのブログに付けている検索エンジンも)という、他のソフトウェアを組み合わせる技術も現在、活発に使われています。
私たちは、生まれたときから「現代」に生きていることができるのは、過去の遺産があるからです。そしてその遺産は新しい遺産にすることができるのです。
オブジェクト指向がソフトウェア工学の世界にはやり始めたとき(90年代初頭)、ちょうどソフトウェアの研究開発をする研究所にいました。学生時代に量子力学を学んだときと同じくらい軽いショックを受けてしまいました。
もちろん、モジュール化のようなはやりもありましたが、中身を見せない(プライベートな)部分と、外部にデータや機能(振る舞いとも呼ばれています)を明示し提供する(パブリックな)部分の両方があって、上手に利用すると、見事に、周囲とコラボレーションできることを知り、うなりました。
プログラミング言語で言うと、C++(シープラスプラス)とか、Java(ジャバ)といったものが代表的です。
このようなオブジェクト指向のプログラミング言語やマッシュアップ手法などにより、非常に少ない労力で大きい成果が得られるようになっていますし、この流れはさらに加速する勢いです。
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Webの最適化?
2008 年 10 月 4 日
インターネットのマーケティング関係のニュースを呼んでいると、やたらと「最適化」という言葉が目に付きます。もちろん、SEO(Search Engine Optimization: 検索エンジンの最適化)の必要性が提唱され、検索エンジンが訪問者を多く連れてきてもらえるように、さまざまな対策を行います。HTMLタグの中にどんな言葉を入れるか、本文自体、読みに来るだろう検索エンジンのロボット向けに、趣向を凝らしたりします。要は、機械がこのサイトを、ある特定の分野あるいは特定の用語について、詳しいサイトであると認識してもらうための対策です。
ロボット対策は認めますが、果たして「Webを最適化します」と言われて、それを信じられますか? おそらく、言葉も、デザインも、コンテンツ全般も不十分だと本人が考えていたときに、「最適化できます!」と外部の方がおっしゃったとして・・・。最適といった場合、ベストを意味すると私は考えます。本当にベストが簡単にできるのでしょうか?
最近「最適化」ばやりですので、どうしても、「何をもって最適なのか」確かめたくなってしまいませんか?
さて、似たような言葉を2つばかり。
効率アップと効果アップ。
効率という言葉は、最適という言葉にも響きが似ていますね。業務、あるいはルーチンの仕事をしていると、一定の時間あるいは労力で、なんらかの成果を得る上で、効率を高めることは重要になってきます。「効率アップ」した、というと、たとえばこれまで、3かかっていた時間や労力が2ですむようになったときなど、効率がアップした、ということができます。でも、この効率が重要になるのは、あるビジネスが確立されてからのことになります。生産の現場や物流などの場合にはとても重要なことです。
ところで、効果がアップとは、成果自身のアップをさします。たとえば、CMを流したときの反応が、これまでと異なって非常に良かったとき、「効果アップ」とはいっても、「効率アップ」ではありません。
本来、「効果アップ」しなければならないシーンで、「効率アップ」ばかり考えているのであれば、これは問題でしょう。目標や実現手段、さまざまな対策を検討してる、いわば上流工程の検討シーンにおいて、固定された工程の改善といった生産性アップを考えているとしたら、これはふさわしくないことでしょう。
「最適化」という言葉が躍っているWebマーケティングの世界。本当の意味で成果を大きく引き伸ばす手法を検討すべきときだと思います。すなわち、デンタツの質を高め、デンタツの力を高め、成果を得ること(=効果アップ)、その成果を生む要因をリストし、分析して、生産工程を合理化すること(=効率アップ)が可能になってくるのではないでしょうか。もし、要因がすべて洗い出せたのならば、その時点で、「最適化」のための調整も可能になってくるものだと考えています。
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マッシュアップ
2008 年 10 月 3 日
独立した2つ以上の技術を合わせて、独自の技術あるいはアプリケーションにするような場合、そのことを「マッシュアップ」と呼んでいます。
たとえば、このブログにはグーグルの検索窓があって、そこに単語など検索したい語を入れてボタンを押すと、グーグルの検索エンジンが動いて、このサイトにある文章を調べて結果を表示してくれます。このサイトのブログが、グーグルの検索エンジンとをマッシュアップしたことになります。
最近のテクノロジー、特にソフトウェアやIT技術の進展は、このようなマッシュアップがいとも簡単に行えることが特徴だと言えます。もちろん、数学や物理学を考えてみればわかるように、一度、ピタゴラスの定理が証明されたら、その結果を利用して(あるいはマッシュアップして)次の命題を証明していきます。ニュートンの力学はわずか3つの定理だけで、全宇宙の力学的な事象をほとんど説明してくれます。すごいですね。でも、もし3つの定理のうち、1番目だけだったら、ほとんど力不足となります。
何か、ある程度まとまったとき、ドラスティックに大きな力を発揮することはよくあります。もし、ブログというCMS(コンテンツ・マネージメント・システムという、コンピュータにコンテンツ=具体的にはHTML=生成や管理をしてもらうシステム)がなければ、これほど多くの人たちが、サーバ上にドキュメントを置くような事態にはなっていなかったでしょう。Wikiをはじめとして、顔も見たこともない不特定多数のヒトが、協調して仕事をする(コラボレートする)ようになるなどとは、第2次大戦後には誰も思っていなかったでしょう。
他の人のソフトや作品を(多少のお金は払ったとしても)自由に使える時代に突入しました。すぐれたソフトや作品をいかに早く見つけるか、探せるか、ということがとても重要な時代になってきていますね。
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SE不足が叫ばれて二十余年
2008 年 10 月 2 日
私が大学を卒業して間もなくのころ、ソフトウェアのエンジニア(一般にSE)が不足する、とよく言われたものでした。もちろん、今でも慢性的に理系のエンジニアが足りないということは、あながち誤りではありません。しかし、社会現象として大問題になるとまで思われていたことでしたが、ありがたいことに大問題とはなっていません。
産業構造自体が大きく変わる、とも言われました。農業や漁業などの第1次産業、製造業などの第2次産業、そしてサービスの第3次産業の次に、情報産業(第4次産業)を定義する意見までありました。
確かに、コンピュータの性能が格段に進歩し、コンピュータ自体がコンピュータの世話をやいたり、コンピュータがコンピュータの設計をやったりと、人手がかからないような仕組みができたこともあります。また、ソフトウェアに関していれば、オブジェクト指向といった一度作成したものを再利用する技術が確立されてきたことが大きいでしょう。
SE不足が叫ばれたことと非常に似た話があります。
これは米国での話。
電話の利用が各地で爆発的に増え続け、「このままでは、オペレータが不足して大変なことになる」と社会問題化したことがあったそうです。でも、実際には、その問題は危惧に終わりました。当時は電話交換機を人で操作して電話をつないでいたのですが、電話をかける、という行為自体、オペレータの代わりに利用者が交換機での接続を行うようになったからです。
そうです。利用者がオペレータになったから、オペレータが不足する事態にはならなかったのです。
ひょっとして、ワープロの需要が伸びてきたとき、「どうしよう!ワープロオペレータが不足する」と心配した人はいたのでしょうか? 実際には、和文タイプ・電算写植を打っていた専門の方々の多くは仕事を失ったりしました。今、私がパソコンに向かってキーボードを打っているように、多くの人たちがオペレータになってしまいました。
インターネットが普及して、何億ものサイトが林立する中、私たちは何ができなければならないのでしょうか。
上手に仕事を進めれば、作ったサイトに多くの人が訪れてくれることができます。表向き、大企業と中小企業あるいは個人のサイトの違いはありません。やったらやっただけ、いいサイトもできますし、販売も大きくしていくことも可能でしょう。したがって、これまで広報や広告といったものは、特定の人、センスのある人や会社にお願いしていたのですが、小さい会社であっても、個人であっても、キーボードを叩いている人が適宜できなければならない時代になるのではないか、と思います。今や、マスに向けてマスの情報発信者たちが、それぞれがデンタツ技術を高めなければならない時代に突入しているのではないでしょうか。
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ブログソフト
2008 年 9 月 17 日
このサイトのブログソフトは、WordPressです。日本では利用者のシェアは決して高くはないのですが、海外では圧倒的です。私がこのソフトを気に入っている理由は、インストールが非常に簡単であることと、テーマの多さです。このサイトのデザインは、if…elseというイギリスのデザイナーが制作されたものですが、このようにプロの力作が山のようにあります。海外のサイトを探せば、きりがなくこのようなテンプレート(テーマ)が見つかり、無料でダウンロードできます。また、WordPressはオープンソースであるため、自分でカスタマイズすることもできます。PHPという言語で書かれているので、直接ソースを変更することもできますが、管理画面の中で、ソースをいじって内容を変更することができます。
ブログソフトや、PukiWikiのようなWiki、Xoopsのように一般的なWebを生成するソフトのことを、一般にCMS(Contents Management System)いい、サイトの作成と運用管理の生産性を劇的に改善してくれました。数年前、PHPNukeという先がけのCMSソフトを知ったときの驚きは忘れられません。
世界のWebの60%がスパムという話
2008 年 9 月 12 日
どこの記事だったか、世界にあるWebの60%がスパムであるという話を聞きました。ウイルスでも、スパイウェア、マルウェアでも、あるいはスパムでも、快適なネット利用をしたいものからするとはなはだ残念な話です。URLの入力をミスしてしまって全く関係のないサイトへ誘導されたことなど経験はないでしょうか?SEOばやりで、なんとかユーザをひきつけたいサイト管理者あるいはマーケティング担当と検索エンジンとのイタチごっこなのでしょうが、動画など大きなトラフィックを生じるネット利用とともに、あまりいいことではないですね。
iPhone-3日で100万台販売
2008 年 7 月 18 日
AppleのiPhone 3Gが国内で発売され、徹夜で行列を作った人たちを含め、3日で100万台も販売されたそうだ(世界での販売数)。所得が伸びず、物価上昇に困っている人が多数を占めているのに、どうしてこんなに売れるのだろうか。すっきりしたデザイン、ボタンを排し指先のタッチだけで操作できる操作性。といっても、これまで日本の携帯は多機能・多用途のものが多く売れてきていて、アメリカでの販売のように、市場から熱烈に歓迎されることはないと思われてきたのに、やはりマーケットにも強い一撃を与えたのではないだろうか。
携帯は朝から晩まで(目覚ましに使っている人も多いので「深夜」も)ずっと肌身離さずいっしょにいる、非常に特別なツールだ。電話、メール、ゲーム、情報収集など、用途が多く、五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)の次の第六感(?)といってもいいくらい大切な存在として今後も位置付けられていくだろう。
おそらく、ずっと身近にいるアイテムなので、デザインの良さ(かわいさ)、相性の良さ、などが最も重要な判断基準となったのだろう。性能が高い、高機能、高速、といった属性より、「かわいい」とか「すてき」というものの方が、人間を引きつけるのではないだろうか。iPhoneの爆発的な販売は、このようなことを考えさせられた事象だった。
CMS利用のサイト構築が1番手っ取り早い
2008 年 7 月 16 日
サイトを構築し、運用していく一番手っ取り早い方法が、CMS(Contents Management System)というホームページ(あるいはブログ)を生成しかつ管理・運用できるソフトウェアを使用するやり方です。私自身、はじめてCMSのさきがけである PHPNuke を知ったときの感動は忘れられません。
現在、手頃に始められて覚えやすく改訂もしやすい、しかもたくさんテーマという雛形が流布されている WordPress がお勧めです。これは海外では最も多く利用されている、主にブログサイトを構築されるために開発されたソフトなのですが、実はこの blog.betalabo.com のサイト自体も WordPress で作られています。日本で開発された XOOPS というCMSも非常によくできたシステムですが、やや玄人向けの感がぬぐえません。その点、WordPressは、本当に簡単にインストールでき、簡単にテーマ選択やデザイン変更ができてしまうから驚きです。
サ イト作りに必要なものとして、目標などの心がけ、コンセプト、テイスト、ビジュアル、文体や姿勢について述べました。それら以外で必要なものを一言で言え ば「技術」です。最低限、パソコンでキーボード操作ができること、アプリケーションの起動とファイル、フォルダ(ディレクトリ)の扱いやブラウザ、メール ソフトの操作ができなければなりません。その条件をクリアした上で、以下の技術は最低限持っていたほうが良いでしょう。
- HTML、できればxhtmlの知識とコーディング能力
- CSSの知識とコーディング能力
- PHPの知識と若干のコーディング能力
- できればMySQLの知識とphpMyadminの操作能力
- 画像処理ソフトの操作能力
- FTPソフトの操作とファイル管理能力
- できればJavaScriptの知識とコーディング能力
そのほかにも知識や経験などがあればあったほうがいいものもありますが、素材を探したり、圧縮ファイルを解凍したりする技術も必要になります。