選抜する問題、評価する内容
2009 年 10 月 1 日
1つ前の記事「高校英語:正確さ優先からの転換」に対するご意見をメールでいただき、その方へメールで返信した内容を、記事としてお伝えしようと思います(以下原文のまま)。
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私のブログ記事のもとになったものは次のページです。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009090600086
・・・
日本のテストは、減点方式がかなり徹底されているのがとても気になります。
すでにブログで読まれたかもしれませんが、マラウイの英語テストで、次のようなものがありました。
「あなたはおじさんから自転車を借りました。マーケットで買物をしているときに、その自転車が盗まれてしまいました。盗まれた状況と、どのように償うのかをふくめておじさんへ宛てた詫びの手紙(英文)を書きなさい」
このような採点しにくいテストは、日本では絶対にしないことが、私はとても残念です。こういう問題を解くことをやらなくなるからです。
残念ながら、ヒトは、評価のされ方次第で、研鑽するものがどんどんかわってくると思います。
学校の選抜や、会社などの評価の中身が、実は人の質を決定していいるように思えてならないのです。
それくらい、人の選抜や評価は重大だと思います。大統領や総理大臣の選出は大きなニュースですし、試合やコンテストのランキングはとてもとても重大です。
開成中学校の国語の問題を読めば、開成中学校の国語はこのような問題を解ける人を求めている、というのがわかります。(これも東大と連動していますが・・・)
また、自転車のわび状を書かせる問題を出すのであれば、そのようなものができる人を国は求めているのがわかりますし、生徒たちははげむようになると思います。
出題者(主に大学のことですが)は、明確な差をつけることだけを目的にして問題を作っているように、私は思うのです。
これだけ影響力が大きい選抜のための問題ですので、求める人物像が感じられるようなテストを出してほしいと思います。
・・・
以前ブログで書いたかも知れませんが、フランスの大学は卒業要件として、社会(たとえば会社)から卒業OKを得ないと卒業できないようになっていると聞きました。(3カ月程度社会で実習してからOKを得て卒業になります)
私自身、フランスの大学院生を数カ月預かり(研究所の助手)ました。彼がアメリカのドクターコースへ行くときに推薦状を書いてあげました。
このフランス式のやり方は、すごくいい考え方だと思います。本来、大学が独占したい権力を社会に委ねているのです。(就職活動はどんどんさせたとしても、きっと日本ではやらないでしょう)
社会が求める人材を育成したかどうかの判断を社会に求めているのです。
責任放棄という人もいるでしょう。でも、私は英断だと思います。
社会がどんな人を求めているか・・・
問題を見つけ、そのことを周囲とシェアし、協力して問題解決に当たれることではないでしょうか?
調査も思考も伝達も協力もできないとなりません。
合ってる、間違っている、だけで選抜していると、いずれ、ほしい人が採れない、育てたい人を育てられないことになるのではないかと心配して意見を述べているつもりです。
***
自民党総裁選。
私達へアピールしていたことは「世代交代」「派閥解消」。
内輪の問題を外にアピールしています。また、選ばれた方の意見「1つだけお伝えしたいこと。それは、みんなでやろうぜ」にも唖然・・・。
取り残されているさまは、哀れにも感じられました。
ヒトによる評価と選抜の問題はいたるところにあるので、重大さの度合いは、非常に高いと思います。
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消しゴム万引で懲役2年の実刑判決
2009 年 7 月 17 日
この標題の新聞記事(朝日新聞・7/15夕刊)が書かれているのが目に留まりましたが、日本の今の話だとは最初は思いませんでした。
なんでも、息子への手紙の下書きを鉛筆でするのに消しゴムがほしくて、近くのスーパーで万引きした70歳の女に対して岐阜地方裁判所が出した判決が、懲役2年の実刑というものだったようです。
逮捕された後、「二度と悪いことはしない」とスーパーの店長、検察官、弁護士あてに手紙を書いていて、反省の気持ちを表していたようです。でも、このような判決となりました。
常習累犯窃盗罪(つまり、同様の犯罪を繰り返したことに対する重い罪)が適用されたようですが、消しゴム1個(98円)を盗んだことで、2年の実刑は、誰が考えてもバランス感覚を欠いた判決だと言えないでしょうか。
菅谷さんの釈放を契機に、裁判の誤りや裁判所の検察寄りのこれまでの判断などを知ることができました。
日本では、検察が裁判に持ち込んだ99%が有罪になっているそうです。
この数字からすると、ひょっとして、ミャンマーやその他の民主的でないと思われている国々以上に、日本は国際的には「検察の意見素通り」の国家なのかもしれません。
本当に司法が機能しているのだろうか、と不安に感じました。
日本は民主主義国家になったように思われていますが、政治の問題だけでなく、司法についても、形骸化、硬直化していないだろうか、と考えさせられました。
私たちは日常生活を送りながら、社会生活を行っています。
そして「不正義」や「不平等」といったものを感じると、心が反応を起こします。
腹が立ちます。怒りを覚えます。変えたいと思います。
しかし、一般に、日本人は日本社会への適応する力が非常に強く、その反応を抑えてしまうようになっていないでしょうか? すなわち非常に我慢強く環境に適応する、ということです。
たとえば、鼻水が出たら、すぐに薬を飲んでその反応を抑えるように、感じても、その反応を抑え、議論をせず、改善することもせず、時折、「・・・が悪いのではない、悪いのは社会だ」(某コマーシャル)というような、怒りの対象を薄めるような生き方をしていないでしょうか?
平和な国になったわけですから、平和的に意見をしっかりと出したり、議論したり、検討したり、手分けして改善したりすべきではないかと私は考えます。怒らなくても、喧嘩をしなくてもいいので、改善すべきだし、改善するための問題点を整理して、議論して、段取りをつけていくべきではないか、と考えるのです。
もちろん、先日の選挙のように、じっと黙っていても、淡々と野党へ投票するようなことも起こってきているので、変わってきたのかもしれません。
今回の記事「消しゴム万引懲役2年実刑判決」について、単にバランスを欠いた判決があったということだけを言いたいのではありません。せっかく市民が参加する裁判を行う時代に入るわけです。市民が社会に意見を言い、社会の仕組みを考え、社会を変えていくステップ、仕組み作りを考える時代にしたいものです。
300万人以上の死者を出し、領土・財産を失い、国土を焦土と化し、戦争終結すら政府の手で行えず、国際的な信用も国家の名誉も失った先の戦争について、国家としてとくに国民に対して総括をせず謝罪も行わないことを思い出すと、私自身、不正義や不平等、バランス感覚の欠如などについて言う言葉すら失いそうになってしまうことも事実なのですが。
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国語力・英語力、そしてハイブリッド
2009 年 7 月 6 日
教育にたずさわる方から、「国語力・英語力」というのタイトルのメールをいただきました。
そのメールの中で英語に限らず、日本語についても、学力の低下の実態と問題点のご指摘をいただきました。
半分冗談でしょうが、「日本語についてもききまね教材が必要かも」、というほどの国語力低下を嘆かれていました。
このお話とも関連して、少し持論をブログの記事としてお伝えしたいと思います。
ききまね英語という教材を開発して販売を行っていますが、その意味・意義として2つあるのではないか、と考えています。
1つは、お母さんから絵本を読んでもらうような、自然に言葉を学ぶ方式を採用し、日本語抜き、英文字抜きの方式にすることで、自然に音声として学びつつ、自然に話せるきっかけづくりをやろうという、メソッド(やりかた)とコンテンツを提供していることです。これはデジタルの技術の進展の恩恵を受けています。
もう1つは、いろんな事象の説明ができるように、「英語」という枠を広げる、ということです。
単純に言うと、「四則演算を英語で読めるようにすらせず、難しい随筆や時事問題の大学入試を行っている現状」に対する改善提案です。
小学校1年の算数くらい、日本の大学生には読めてほしい、という願いです。
そうでないと、かりに英文は類推しながら、辞書を引きながら読めても、また、Webであらかた調べたり、ダウンロードすることはできても、きっちりとスピーチしたり、手紙を書いたり、交渉したり、研究発表したり、という情報発信の伝達スキルが不足し、力が劣ってしまうからなのです。
私自身、日本の英語教育を受けて、大学を卒業していながら、「四角形」という単語の英訳(rectangle)すら知らずに物理・数学を教える教師としてアフリカに派遣されました。
うそのような話ですが、まさにこのギャップ、アンバランスに苦しんだ当人なのです。算数や理科にかかわる基礎の基礎の英語欠落が身にしみました。中学、高校で教えておいてほしかったと思いました。
将来、世界で活躍する若者たちには、同じ経験をしてほしくないのです。
私は、このアンバランスは英語教育の大きな問題だと思っていますが、そう考えられない方もいらっしゃるでしょう。
英語は英語、理科は理科、数学は数学と。でも、垣根が高すぎないでしょうか? 同時に教える必要はないと思いますが、数年程度離してでも学べたらと思います。
問題を発見したり、課題を見つけた時、それを広く知らしめて(アピールして)、「いっしょに解決しよう」と声を上げることは日本では行われにくいことです。広く知られたことであっても、通常、サイレントマリティー(沈黙している大勢)となっていることが多いのではないでしょうか(がまんしていることが多いと思います)。
日本には厳然と調和を尊ぶ文化があります。また、日本人はいい意味で、怒るべきシーンでも結構平静で、極端に走らず、甘んじて受け入れます。いわば寛容と中庸?の精神があり、激昂したりしません。これは世界的にはかなり特異であり、私はある意味、すばらしいことだと思っています。
しかし、逆に言うと、問題が発生しても、きっちりと、とことん突き詰めて考えたり、解決していく意欲を保持したり、進める点で、歴然と(一神教系・肉食系・動物家畜文化系といったリーダーシップ重視の)西欧と差を生じているのではないかと感じてしまいます。
決して、西欧文化が優越している、と言いたいのではありませんし、日本の良さを実感しています。しかし、論理的に話すことや、このような話をすると通常、うさんくさく思われたり、対応されるのが普通です(もちろん、興味がない場合も多いでしょうが・・・)。
西欧でも、もちろん、キリスト教が強すぎた中世の時代には、科学も芸術も主体性・創造性の点で抑圧を受けていた(自主性が抑えられていた)ようですが、ルネッサンスの開花や科学技術の発展をみればわかるように、潜在的には「知」や「美」や「理」などへの強い欲求が中世の時代にも厳然とあったため、急激に文化・文明が開化したのではないかと思います。
私たち日本人にも「美」の感性や「調和」についての深い文化があります。ジェームス・カーカップ氏のご意見「Quality of Life」もあります。そしてそれは、これまで作ってきたものを壊さず、維持する力として働いています。この基本がヒトの社会として絶対的に必要だと思いますし、何とか、終わらない紛争を続ける地域・民族の人々にも伝えたいと思います。
日本は、単に地理的に島国だったから長く国が続いているのではなく、「美」「調和」そして「我慢」と「適応」の文化も、長く国を栄えさせてきた理由なのではないでしょうか。
このような日本的な良さを維持しつつ、西欧的な合理性、そしてリーダーシップも活かせる、いわば「ハイブリッド」な方式が受け入れられていけばいいな、といつも私は考えています。
日本人がこれまで、さまざまなものを世界から取り込んできたように、ハイブリッド化が進められないものだろうか、と。
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ネイティブ信仰について
2009 年 6 月 1 日
ベータラボは「ききまね英語」という英語教材を作っています。
専門のホームページやブログもあるので、詳細はそちらを見ていただきたいのですが、熟考伝達でも伝えたいと思ったことを述べてみたいと思います。
自然でなめらかに話すようになりたい、と考えた場合、どうされますか?
「英語漬けにしたほうがいい」というのは、誰もがすぐに気づく解決法です。
私も、青年海外協力隊に参加してアフリカ・マラウイ共和国へ赴任する前の3カ月ほどは、「日本語禁止」の英語授業を受けていましたし、これはとても効果的だと思いました。
先生が離れたすきに、同期の仲間同士日本語で小声で話していると先生に気づかれ「Pardon?」と言われて、制止を受けました。風呂場でも、背中を流しながら隣の仲間と英語で話していました。
英語で話さなければならない、という状況こそが、英語で話すようになる一番の近道であることは、確かに体験できました。
学校英語では、最近ヒアリングテストと称して聴覚テストのような音声だけ聴いて答えるようなテストを実施していますが、基本的にはペーパーテストで習熟度を測りながら、英語設問(クイズ)に定められた時間に答える力を養成しています。
大学の入試問題をみても、書面で尋ねた設問をいかに早く正確に選択できるか、だけが評価の対象となっています。
私は、非常に大きな労力、時間、コストをかけてきていながら、コミュニケーション能力を高めるようになっていないこと、それを計測することをほとんど放棄した入試となっていることを非常に残念に思います。
文部科学省の学習指導要領のトップにある「外国の文化に親しみ、コミュニケーション能力を高める」という目標を達するための対策がなされず、ほとんど計測も、評価もせずに戦後英語教育を進めてきているのではないか、と残念に思っています。
ほとんどの方が「その通り」と思っても、「では、どうしたらいいか?」については、以下のような方策くらいが思いつくものだったのではないでしょうか?
A.海外渡航して(ネイティブによる)英語漬けをする
B.(ネイティブによる)授業で自然な英語を学ぶ
C.(ネイティブが話す)自然な英語を大量に聞き流す
これらはすべて「英語漬け」と「ネイティブ」が必須のものとなっています。すべて有効な方法ですし、とりわけAはすばらしい効果があることは確かです。
しかし、日本人から自然な英語を学べないのでしょうか?
日本は明治維新後、多くのことを諸外国、とりわけ欧州から学びました。政府はミッションを送り、数か月、数年滞在させ、学ばせ、帰国してからも、多くの情報伝達を行いました。
同じように、かなり自然に話せるようになりさえすれば、ネイティブからでなくても伝えられるもの、学べるものがあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
(このネイティブ信仰は日本の防衛状況と似たものがありますが、その話に入ると深く、複雑になるのでここではやめます)
海外に行ったことがない、非常に優秀な翻訳者を私は知っています。翻訳に関しては、文字がメインですので、渡航経験はある意味、まったく不要でしょう。
ネイティブであろうとなかろうと当然、自然でなめらかな英語を話せるようになるには、日々、自然に話し続けることが大切です。
しかし、教育現場では、残念ながら、英語の先生ご自身が、(文法的・語法的な)誤りを冒すことを恐れて、あるいは自然さより正確さを求めるあまり、英語をあまり話さなかったり、テストに出ないものは排除したりしてきていたとしたら、とても残念です。
そのような状況が続いたため、ネイティブ信仰が確立されてきたとも言えるのではないでしょうか?
テレビを見ればわかるように、数十年前では考えられない状況になってきています。
日本へ来て、ぺらぺら日本語を話す外国人がどれほど増えてきたのでしょうか。もちろん、テレビに出ている人たちだけではありません。
同じように、英語を学び、どれだけぺらぺら英語を話す日本人が増えてきたのでしょうか?
さて、2013年に英語での高校英語授業が開始です。
私自身、これは文部科学省の英断だと思っています。
いやがおうにも教室で話さなければならないわけですから、自然に話せるようになるステップとなる可能性大です。
この、とても大切なステップへと進まなければなりませんが、どうするかはほとんど現場任せになってるのだと思います。
さてさて、そのときも「さあ、ネイティブの発音を聞きましょう」などと、ネイティブ信仰は保持されたままなのでしょうか?
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3400万円のワッペン作り直しと15兆円補正
2009 年 4 月 11 日
都下水道局の制服につけるワッペンをデザインの規定に不適合であるために作り直し、無駄に3400万円かかった、というニュースが伝えられています。
一様に「無駄な支出」の批判の声があがっていて、石原都知事も「けしからん」と発言されています。
いずれにしても、今回の件については、デザインの規定の方が優先され、税金3400万円が余分に支出されたわけです。
いろいろな対処法が考えられたと思います。
1.作り直さずにデザイン規定に反したワッペンを使う
2.ワッペンを入れない制服を使う
3.弁償させて作り直す(新たな支出を補う)
4.弁償させずに作り直す(余分な支出をする)
といった方法がありえたのでしょうが、「ワッペンは付けたい。無駄な支出でもおとがめがない」から4が採用された、というわけです。
3400万円の無駄支出があっても、責任者二人への訓告という注意程度で済むわけです。
使い込みだったら牢屋行きでしょうが、間違いだから注意で済みました。
でも、納税者にとってみれは、不注意でも、過失でも、意図的な犯罪でも、負担は同額です。
おそらく、このような無駄な支出は氷山の一角でしょうし、無駄な建造物や組織など、無駄遣いの疑いのあるものはいくつもあるのではないかと思ってしまいます。
実は、制服の胸に着ける、とても立派とはいえないワッペンに、単価・何千円ものコストをかけることも問題なのですが、そのことには今回は焦点が当たっていません。
非常に気になるのは「無駄な支出」をさせない、あるいは監視する、あるいは罰する、あるいは償わさせる規則がない、ということです(無論、会計検査院といった仕組みも、不正防止などの面である程度機能しています)。
どうしてでしょうか?
まず、無駄かどうかの評価がむずかしいことがあげられるでしょう。
つぎに、無駄だとわかっても、それを決裁者や担当者に弁償させることは、金額的にも困難だと考えるからです。
そのようにすると、誰も政治家や役人になりたがらないからでしょう。
しかし、政策や予算執行をいくら失敗しても、いいのでしょうか。
世論は残念ながら、その場限りの突風のようなもので、過ぎれば穏やかになる、あるいは忘れてくれます。
世論は残念ながら、感情的な「けしからん」中心であり、「いい仕組みにせよ」という具体的な改善要求は突きつけません。ですから、「無駄遣い予算執行への罰金規定を定めよ」などとは言わないのです。
社会保険庁の問題でも、ボーナスが出なかった程度しかパニッシュメントはありません。
そもそも、日本国憲法ですら、「健全な財政を行うこと」を国権の責務である、と規定していないのです。
私は常々、国権(司法・立法・行政)に対して唯一優越する存在である憲法が、国権の責務を明確に規定していないことが、法治国家日本の最大の問題だと考えています。
確かに平和主義をうたった、いい憲法ですが、変えてはならない、絶対のものでしょうか?
でも、そのような発言をすることは、タブーなのです。
発言すること自体で「改憲論者=軍国主義者」とみなす方が多くいらっしゃいますが、私は平和主義者ですし、きっちりと国の枠組みを定めるべきだと考えているのです。
この憲法では、国民の権利を認めつつ国民の義務を明確に規定する一方、国権の機能(サービス)の大枠は定義しながら国権の責務の規定と基本的な目標設定を、何ら行っていないのです。
もし、私が憲法のドラフトをスケッチするとしたら、以下のようになると思います(天皇についての規定は除く)。
(明確化)【前文】 歴史的な位置づけ(国民、諸外国への明確な侘びと反省を含む)と今後の方向性の明示
(新)【目的】 国家・国民の発展を維持する
(新)【国権の責務と機能(安全)】 国民の生命財産を守る=外交・防衛・防災・環境のガイドライン
(新)【国権の責務と機能(財務)】 適切に予算立て、予算の執行、結果の評価を行い、健全な財政の維持をすること
(明確化)【国権の責務と機能(その他のサービス)】 平等かつ有益なサービスを提供する
【司法の責務と機能】
【立法の責務と機能】
【行政の責務と機能】
たとえば、福祉は、国民の生命・生活を守るために国家の機能であり、実は責務でもあるわけです。
環境対策をすることは、単に世論や世界的な要請ではなく、国権の責務として扱う対象であるわけです。防衛も防災も国民の生命財産と守るという観点から同一のレベルの話です(防災・消防も防衛も同等に扱っている国々はかなり多いです)。
このような機能を適切に提供することが、国権の責務であり、無駄な支出、あるいは無駄な支出により適切な支出ができていないとしたら、それは国権としてあるまじきことだと思いますが、いかがでしょうか?
ですから、「詳細は法律で定める」と記述するにしても、憲法のレベルで、しっかりと上記のような機能と責務ならびに守られない場合に対処するためのガイドラインを示すべきだと思います。
それがないから、無駄支出はなくならないし、改善するための法律も定められないのです。
ですから、「赤字がどれほど増えていっても赤字を改善する方策が立てられないことは重大な問題であり、これは憲法違反である」と言えるような憲法、法体系を定めるべきだと私は思います。
変えないことも一つの方法でしょう。
でも、問題を見つけること、解決のための方策を熟慮検討すること、伝達して問題意識を共有すること、協力して改善努力をすることは、労力がかかりますがとても大切なことではないでしょうか?
残念ながら、思考停止、あるいは思考をさける風潮が広く存在しますし、それは社会的なタブーとも無縁ではないでしょう。
さてさて、大赤字をさらに増やす15兆円の補正予算。いったい、誰が責任を持つのでしょうか?
誰も責任を持たないこと、何からも規定されないこと、そして「考えよう、改善しよう」という改善要求世論が出てこない現状を、私は残念に思います。
ひょっとして「これは国権の、完全なまでの自由」だったら驚きですよね。
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グローバルマナーとローカルマナー
2009 年 3 月 11 日
これだけ早いテンポで国際化や情報化が進むと、ローカルな価値観の保持がなかなか困難になってきています。グローバルな価値観が強い勢いで広がっているからです。
一般的にはこのような状況下、「ローカルを大切にしよう」という意見が言われることが多いと思いますが、逆に、グローバルを早く取り入れないとトラブルを生じかねない、という懸念もあると思います。
高校での英語授業を英語で行うようになるという話は、小学校への英語授業の導入以上に、私にはとても重く感じられます。
上辺だけ英語になるのではなく、文化的な影響もあるからです。
2~3人で談笑していたときにどなたかがその部屋に入って来られたします。
グローバルなマナーだと、(入って来られた方へ敬意を表すべき場合は)みな、話をストップして立ち上がり、握手をしてあいさつする、といったマナーは日本人にも受け入れられつつあるマナーではないでしょうか?
思いめぐらせてみると、テーブルや車のシートの着席などなど、きりがないくらい、マナーの問題があります。
マナーは、敬意や謝意、思いやりなどが凝縮したものです。
言葉づかいすらマナーではないかとも思いますし、儒教的には、それは「礼」でしょう(服装ももちろん「礼」です)。
儒教だから、欧米マナーだから、あるいは日本マナーだから、という個別の文化に属したものではなく、もともと、もっとグローバルに、「人が人に気遣いをし、そのことを言外に伝える」という効果を持ってマナーは実行されるものだと思います。
日本の学校(小・中・高校)では、たとえば教師が教室へ入ったとき、どのようにするのが一般的でしょうか?
私が子供の時分は、クラスの誰かが号令をかけるまで、静かにするように気をつけることはあっても、自主的に起立することはなかったと思います。
どうでしょうか。
日本では、誰かが「起立」と言い、そして「礼」といって指示を受けるまで、待機するのがマナーであるようです。
しかし、グロバールマナーでは、その逆です。
敬意を払うべき人がいらっしゃったら、人から言われるのではなく、自ら起立して敬意を示します。
言い変えると、自主的に起立しない(=待っている)日本式は、グローバルでは非礼に当たるのです。
オバマ大統領の演説を見ていてかっこよく見えるのは、権威ぶっていないところからくると思います。
完全にフレンドリーなのに、堂々と意見を伝えるところが欧米式、グローバルな(民主主義的?)スタイルです。
これもマナーだと言っていいでしょう。
いまや、このような西欧合理主義・民主主義的、グローバルな価値観では、「同等」「対等」を示すことはマナーとなりつつあります。
アメリカ人、あるいはイギリス人でもそうですが、親子であっても「You」と「I」。父親の名前を呼び捨てるのがかれらのマナーです。それは上下関係を作らないからです。
もちろん、「Mama」とか「Daddy」などと呼んだりしますが、そう呼ぶ段階はまだ「子供」だと本人も親も認めているわけで、お父さんをたとえば「John」と呼べるようになったとき、まだ6歳でも、その子自身大人になったような自覚を持つことになります。
日本の「お父さん」「お母さん」は廃止して名前を呼び捨てよう、と申しているのではありませんが、これほどの違いが存在するのです。
英語の授業を英語でする、これはとてもいいことですが、実は非常に深い意味を持っていると思います。
グローバルマナーも入ってくるからです。
これまでの高校の英語の先生は、英語について教える先生でよかったのですが、この移行により、グローバルマナーも伝えられないことには、あるいはちゃんと意識して扱えないことには、(単にこれまでの日本語でしていた授業を英語に翻訳しただけの)ちんぷんかんの英語授業になってしまいそうで心配です。
心配ばかりしていても仕方ないので、教育指導要領が出たそうなのでダウンロードしてざっと目を通してみました。
うーん。抽象論しか書いていません。ポイントがほとんどつかめません。
教育する方々への要領(ガイドライン)ですから、もっと明確にあるものかと思っていたいのですが・・・。
他にも補助的なものがあるかも知れないので気をつけておこうと思います。
いずれにしてももちろん、基本は思いやりです。
コミュニケーションも、文化理解も。
グローバルに思いやりが伝えられるかどうかがとても重要になるわけです。
その意味でも、私たちが学校、とくに義務教育で学んでいるものは、ほとんど「社会科」であるとも言えるのではないかと考えています。
英語は社会科です。
道徳も社会科です。
算数も・・・社会科です(?)。
教育とは、人が社会的な存在として生きていくために必要な資源や技術を養成するわけですから、当然と言えば当然ですが。
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北朝鮮のミサイルへ迎撃すべきかどうか
2009 年 3 月 10 日
物騒な話ですが、話題になっている北朝鮮のミサイル発射についてのことです。
ニュースで報道されているとおり、北朝鮮は、核放棄にいったん合意していながら、その履行については引き延ばしをしながら、今回報道があるように、ミサイルの発射を準備しているようです。
ミサイル発射については、以前にもあったのでさほど大きなニュースとしてとらえられていませんが、今回は、日本がそのミサイルを迎撃することを検討していることから、話がエスカレートしてきています。
北朝鮮は、もし、日本が発射したミサイルを迎撃したことが判明したら、すぐに報復を行うとのコメントを出しています。
遠方へ遠征して、攻撃をするようなものでない、このような防衛行動については、これまでの政府見解でも憲法違反ではないとの判断があるため、日本による「迎撃」を「憲法違反だ」とする考えは少ないだろうと考えられます。
問題は、このような重大な問題についてすら、きちんと対応ができない日本の仕組みについて懸念されることです。
みなさんは、どんなご意見でしょうか?
そもそも、武力の行使は憲法違反なので、どんな国から何が飛んでこようと、何もすべきでないのでしょうか?
反対に、防衛は当然のことであり、ミサイルに対する迎撃発射を行うべきであり、核弾頭付きであれ核弾頭がないミサイルであれ、発射することあるいは攻撃することの無意味さを伝えるべきなのでしょうか?
日本が迎撃するようなそぶりを見せたからこのような反応をおびき寄せたのであり、見て見ぬふりをすべきなのでしょうか?
私の意見は、防衛という非常に大事な事項について、きちんと定義し、管理できていないことが最大の問題だと思っています。
以前の航空幕僚長の発言についての対処も、対処できないまま過ぎていくことに虚しさを感じます。
北朝鮮の考えや行動は、明らかに国家として病んだ状態のように私たちには見えます。
しかしそれは、戦闘状態であるからなのです。
日本が戦闘状態であったときとどれほど違うでしょうか?
日本が平和であることを感謝しつつ、平和であっても、このような重大問題を解決するための段取りをひとつも進められない政治状況を非常に残念に思います。
これは、私の個人的な考えかも知れませんが、男性の何割かの人は同様の思いを持っているのではないかと思ってお伝えします。
たとえば選挙。
だれに投票するか、を考えたとき、自分が交通事故か何かで不慮の事故で死ぬような場合、誰に家族たちを任せたらいいか、と考えて私は投票するようにしています。
誰だったら任せられるだろう、としっかり考えてから投票します。
なかなか、すばらしい方だと実感できることは少なくても、実は、そのような人かも知れない、と考えることすら非常に少なくなってしまっているのは、見抜くだけの自分の力量不足もあるのではないか、と考えます。
この北朝鮮のミサイル問題についても、各政党や、政治家たちの考えを知るためのチャンスであるので、意見を知りたいと思います。
もちろん、争いをせず、融和策を徹底して進める力が最も望まれるのではありますけれども。
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「ききまね」で育てる英語脳
2009 年 2 月 5 日
1つ前の記事でも基本的なオーラルの英語力をつける方法についてご説明しました。
同様の意見を言われている方も多くいます。
代表的な方は、「英語は逆から学べ!」の苫米地秀人(とまべち・ひでと)さんです。
ドクター苫米地は、私と同年の生まれですが、実は、私は入れ違いで彼と同じ研究所にいました(私が彼の使っていた机を使ったので覚えています)。彼は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、学会などでいっしょだったこともあります。
脳機能学者・計算言語学者で、エール大学、カーネギーメロン大学(博士)、徳島大学、ジャストシステムの研究所長などを務め、オウム真理教信者の脱洗脳や国松長官狙撃犯の記憶回復を手掛けたりと、本当にいろいろなことに関わり、また、脳機能や学習法などでベストセラー、ミリオンセラーを売りまくる彼が提唱したのが、「文字を見ない」英語脳の育て方です。
実にそのとおりだと思います。
ドクター苫米地は、「ホームドラマなどを聞き流せ」と言っていますが、基礎の基礎部分は、最初は難しいのではないかと思います。
そこで、英語脳の基礎部分を育てるための教材を作ってみようか、と考えました。
現在進行中のプロジェクトを少し早いのですが予告編として公開することにします。
キーワードは「ききまね」「ききまね英語」です。
専用のサイト(http://kikimane.com)を立ち上げる予定です。
今回の記事は、その12カ条からなるキャッチコピーです。
【1】ききまね英語は、聞いて真似するだけの簡単な方法ですが、野球がうまくなるために、キャッチボールや素振りをするようなものです。基礎練習せずにすばらしいプレイをする選手がいるでしょうか?
【2】言葉は音です。日本語も英語も音です。自然な英語を繰り返し聞くことで、着実に英語脳を成長させます。
【3】ききまね英語は、聞いて真似するだけですから、聞くことと、真似することに集中できます。状況、雰囲気、発音やアクセントの違いに気をつけて聞きましょう。
【4】ききまね英語は、長年英語を学んでも話せない主原因の「文字依存症」から脱却させ、英語脳をしっかりと育てることが目的です。
【5】音に集中することで、音声認識の精度を上げ、英語脳の成長を促進できます。
【6】音がしっかりと英語脳に定着するまでは、文字、単語、英文は読まないようにしましょう。読むのは、たっぷりききまねした後です。もちろん、洋画の英語字幕も控えましょう。
【7】スペルを覚えるのは、ちゃんとききまねできるようになってからで遅くありません。正しいスペルを書けなくても、英語圏で難なく話して生活している人もいます。
【8】基礎単語1000語くらいは、しっかりききまねしましょう。日常会話の半分以上はカバーします。
【9】間違うことを恐れる必要はありません。ききまね練習が足りないことを心配しましょう。とくに、英語だけで過ごす時間を持てない人は、自分のプライベートで、ききまね時間を作りましょう。
【10】正しく聞き取れていなくても、正しく発声できていなくても、数をこなせば、自然に正確さが増していきます。味見するように、耳をしっかり澄まして聞き分けてみてください。違いがわかれば、今度は真似してみましょう。
【11】ヒアリングは鑑賞です。スピーキングは演奏です。ききまねは、一人で自転車を運転できるようになるように、補助輪付きで走っているようなものです。この、鑑賞と演奏の基礎練習のおかげで、まもなく自分の言葉が口をついて出てくるでしょう。
【12】あれだけ複雑な自転車の運転も、やっているうちに、考えずにできるようになります。英語も考えずに口をついてでてくるまでは、音、アクセント、スピード、ポーズすべてを吸収しながら何度も真似しましょう。できてから、スペルも覚えましょうか。書けた方がいいですから。
具体的なトピックと内容など完全にフィックスしたわけではありませんが、お試し版と初級版を早急にリリースする準備を進めようと思います。
生徒たちだけでなく、中学や高校の英語の先生方にも役に立てばいいと思います。
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高校英語授業への期待・心配・対策(1)
2009 年 2 月 2 日
2013年から高校の英語の授業が「基本的に英語でされる」ようになる話は、以前お伝えしました。
私はこのプランに大賛成です。
きっと困難や問題は発生するでしょう。けれども、きっと改善努力はなされるでしょうし、それは決して無駄にはならないと思います。そして、多少なりともグローバルな時代の人材育成にプラスになると思います。
それどころか、これまで暗記や穴埋めにかけてきた時間が多少なりとも、思考や伝達の力を高めるために活かされるのではないかと、心から楽しみにしています。
もちろん、心配に思うものもたくさんあります。
ここでは、期待、心配、そしてその対処案も考えていきたいと思います。
【期待1】 英語は書かれた英文を読むものだ、という慣例の打破
私は「書かれた英文を読む」という学習法への偏りにより、本来「人の顔を見て話す」というスキルを育てるのに失敗している、と考えています。
先生が読む、生徒が読む、自分が読む。その間はテキストの字面を目で追いかける。
・・・ これが日本の学校での一般的な英語の接し方です。
音を聞くのは決して問題ではありません。問題は、音を聞いている間、文字を目で追いかけていることです。
その習慣化により、聞いた音を頭で吸収する前に、文字との対応ずけをする思考回路を作り上げていることが問題だと思っています。
発話する人の顔を見ながら、この単語かな、あの単語かな? と考えながら聞く習慣を全く身につけないのです。
本来、言葉は音でしかありません。
記録のために文字というものが発明され、利用されているだけです。相手を見ながら音を聞いて頭で理解する、のが基本です。
スペルを頭で考えている時間はありません。これは別の技術です。この、大人の技術は次の段階で利用するものだと思います。
この基本をやらず、音声・文字対応作業をやってきたため、英語を音として聞き取ることも、音として表現することも、なかなかうまくできないようになってしまったのだと思います。
非常に変わった英語教育を日本では行っていないでしょうか?
「いや、私は、文字を見て、手で書いて、声で出す作業をしてきた」
といわれる方もいるでしょう。たしかに学習効果が高い方法ではあります。
でも、私に言わせていただくと、言葉の習得という本来的な順番は、まったく逆です!
「音を聞いて、音を言ってみて、文字を見せてもらい、文字を書いてみる」
これが言葉を学ぶ自然な流れです。
なぜ、逆の流れをやるのかと言えば、合理性、効率の理由からです。
手渡された教科書や学習資料をもとに、自分で学べるようにすることを求める「日本的合理主義」(要は教える手間を少なくする技術)です。
穴埋め問題をするのも、採点を楽にするためです。
もちろん、漢文として中国語を日本語に置き換える伝統も、このような方式が根付かせた原因だとも思います。
「漢文」の先生は中国語の先生でしょうか?
同様に、これまで教えられてきたのは「英語」ではなく「英文」だったのではないでしょうか?
英語の先生ではなく、「漢文」の先生のように「英文」の先生。
先生も生徒も話せなくて当然なのです。文字として学んでいるのであり、対応付けに終始し、言葉、音として学んでいないからです。
文字と音との関連付け作業をやりすぎたため、英語能力が非常に偏り、音の認識力が極端に低下させているのです。
そのような教育を何十年も行ってきたわけです。
【心配1】 高校では、英語授業がわからない人を増やすのではないか
高校に入って急に英語での授業になったとき、「先生が何を言っているのか分からない」という事態が生じる可能性があります。
とくに中学時代に英語を聞く、真似る時間をしっかりかけていないと、このような事態になってしまうでしょう。
まず、中学英語を変えなければなりません!
【対策1】 中学時代にしっかり聞く、真似る時間を
もちろん、最初の最初のころ(中学1年の1学期?)は、音を重視していたはずです。
意味も分からずに、「リピート・アフター・ミー」と言われて、文字もろくすっぽ見ずに後をつけていた頃は、誰もが英語は楽しい教科だったでしょう。
ものまねするだけでいいのですから、楽しかったはずです。
とことん楽しむべきです。とことん真似するべきです。
この楽しさを少なくとも千単語くらい覚えるまでは持続させるべきだと思います。
・・・
同時通訳を目指す人が最初に徹底して行う訓練は何だと思いますか?
ひたすら、聞こえる英語を(多少の時間的な遅れは生じさせながらも)後をつけて発声するのです。
英語と日本語の同時通訳をするために、英語を聞いて同じ英語を話す練習をするのです。
これは、リピートともパロット(オウム返し)とも言いますが、この鍛錬をとにかく続けます。
そして、少しずつ英語の発声を遅らせてきます。(これは脳にためる練習です)
この練習を続けていくことで、最終的には、聞こえた音を日本語表現へと移すことができるようになるのです。
基本は聞くこと、次に真似することです。
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オバマ勝利演説分析:3点列挙法(2)
2009 年 1 月 20 日
オバマ氏のシカゴでの勝利演説の冒頭部分の3点列挙法の3番目について解説します。
It’s the answer that led those who’ve been told for so long by so many to be cynical and fearful and doubtful about what we can achieve to put their hands on the arc of history and bend it once more toward the hope of a better day.
これらの答えのおかげで、あまりに長い間、あまりに多くの人々から、できることでありながら(それをせずに)、冷めた目で(シニカルに)見たり、不安感を持って、あるいは懐疑的にながめるようなものだった「歴史の弧(アーク)」をぐいっと曲げて、良い日の希望へと向けることができたのです。
少し、むずかしい表現です。
しかし、ここで、明確に「希望」を語っています。また、因果(原因と結果)を説明しています。
「長蛇の列を作った人々」(1番目)が答えであり、「さまざまな属性の『合衆国』の構成員たちの実行」(2番目)が答えであり、それらの答えの存在自体が、歴史を正しい方向へと正した(3番目)、とつないでいきます。
1、2、そして3へと因果を説明しながら、音(発声)では、
It’s the answer … を3連発しています。
そして、冷めた見方や不安感や疑念を打ち払ったのは合衆国国民だと断言しています。
この表現の存在のおかげで、後で「your victory」という言葉が出てきたときに、まったく違和感を生じません。そして、結論的な表現である「Yes, we can.」へとつながっていきます。
深い構成です。熟考して作り上げた「詩」です。
・・・
さて、「詩」そして「3番」とくれば歌の話を思い出しました。
歌を歌うときなど、気づかれたことはありますか?
1番、2番、そして3番まであるのが普通です。
その中で、ふつう、3番の歌詞が一番大切です。
極論をすると、3番の詩を印象的に伝えるために、1番と2番がある、と言ってもいいかも知れません。特に演歌は。
たとえば、古賀政男・美空ひばりの「悲しい酒」の3番。
詩の内容を思い出されますか?
あの、どうしようもないつらさ、悲しさを伝えるために、この詩が作られています。3番を伝えるために、イントロがあり、1番があり、2番があるのです。
・・・
3点列挙法を見事に駆使するバラク・フセイン・オバマ氏は今日20日、大統領に就任します。
就任の式典は日本時間の明日未明ですが、アメリカだけでなく世界中を引き付けるものがあります。
イントロだけでなく、すばらしい1番、2番、そして3番を演奏してほしいと思います。
振り返って、日本の事情はどうでしょうか?
「あなたとは違うんです」と言って辞めた前首相。
「言明できない」とか「いかがなものか」、あるいは「悪いのはそちらのほうなのを忘れないでほしい」と質問者へ返す現首相の答弁。
何が問題なのでしょうか。
人の「共感」を得て、人の「同意」を得て、「希望」を持って政治を行わなければならない、それによって、初めて成功する、という認識が欠如していないでしょうか。
まず、痛みが分かる(共感できる)必要があります。
これがエンパシー(共感)です。
そして希望です。
それらを共有しなければなりません。
オバマ氏は、リンカーンやキング牧師、ケネディーたちを引き合いに出すことで、心の中に存在する希望の振動を呼び起こしています。
批判にカチンときても、「あなたとは違うんです」とは決して言ってはいけないのです。
多くの人と仕事を行う場合、共感と希望を持っていることをしっかりと認識したうえで、課題に取り組まなければなりません。
まず、問題の所在をつかみます。取り組むべき課題をあげます。その課題をシェアします。課題や取り組む内容について情報を共有し、その上で仕事を分担します。さらに、時折、チェックをして評価をし、フィードバックをかけます。
オバマ氏は生きているアメリカ大統領を全員呼び出しました。そして、独立宣言を出したフィラデルフィアからワシントンに入りました。
「歴史的な事実」も共感・共有しうる財産として「再利用」しています。国民の共感を引き出す方策を知っているのです。
彼は政治家ですが、詩人であり、演出家でもあります。
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オバマ勝利演説分析:3点列挙法
2009 年 1 月 19 日
オバマ氏の演説の本が売れています。
A.なぜ、ここまで人を引きつけるのか、少なくともテクニックの面で知りたい人たちがいます。
B.一般の人に感動を与える、思想的なものは何なのか知りたい人たちがいます。
C.あるいは、人が感じている感動を自分も味わいたい人たちがいます。
以前に、「エンパシー(empathy: 共感)」にポイントを置いて、思想的、論理構成的なデンタツについてお伝えしました。これは、Bに関連するものです。
今回は、一般に伝えられている、いくつかのテクニックについてお伝えします。日本のマスコミでは、「オバマ氏の演説は上手」と伝え、また、「どこが上手なのか」知りたい人たちが多くいますので、その点について少し議論したいと思います。
そのうちの一つは、「3点列挙法」と呼ばれるものです。
頭の中に残っている余韻に共鳴させる方法です。
これはベートーベンの運命のテーマである「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と同じです。
強いインパクトをもったフレーズを繰り返すのです。
そして、それが真実のもの、現実のものである迫力を作りだします。
私は「オバマ氏は単にテクニックのレベルが高い」ということをここでお伝えしたいのではありません。この説明をとおして、オバマ氏は、テクニックを最大限活かすように、考え抜いていることがわかることをお伝えしたいのです。
営業のトークでも、政治家の演説でも、宣教師の説教でも、一番大切なものは、人の心にどれだけ響かせられるか、ということです。
すごい、ということを伝えるのに、「すごい」と最初から連呼する方法もあるでしょう。でも、すごいとは思っていない人にはあまり通用しません。響きません。
さて、シカゴでのオバマ氏の勝利演説の最初は、ネガティブとポジティブの混合した表現から入ります。
Hello, Chicago!
If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible; who still wonders if the dream of our Founders is alive in our time; who still questions the power of our democracy, tonight is your answer.
シカゴの皆さん!
もし、(今ここに)まだアメリカがなんでもできる、ということをまだ疑っている人がいるならば・・・、また、私たちの建国者たちの夢が生き続けていることを疑っている人がいるならば・・・、そして私たちの民主主義について疑問を挟んでいる人がいるならば・・・今夜がその答えです。
最初から、このように3回も疑いについて繰り返しています(彼の疑いへの疑いです!)。
そして「my answer」ではなく「your answer」なのがポイントです。しばらく後でそれが分かります。
注:doubt(ダウト:うそだろうと思って疑う)、question(クエスチョン:本当かどうか信じられず疑う)
最初の部分を打ち砕くために、それから後の3点列挙法を使用します。
It’s the answer told by …
It’s the answer spoken by …
It’s the answer that led those who’ve been told for …
「なぜならば」と畳み込むように「It’s the answer」を連発します。まず、最初の「It’s the answer」フレーズを見てみましょう。
It’s the answer told by lines that streched around schools and churches in numbers this nation has never seen; by people who waited three hours and four hours, many for the first time in their lives, because they believied that this time must be different; that their voices could be that difference.
学校、教会の周囲にどれなに長い列ができましたか?こんなことこれまであったでしょうか?ほとんどの人にとって、3時間も4時間も投票のために待ち続たことなど初めてだったのではないでしょうか。どうして、こんなことが起こったのでしょうか。今度は違う。今度は自分たちの声が届くと考えたからではないですか?そう、これが1つの答えなのです!
(順番を変えて意訳してみました。)
このようにアメリカの可能性について疑いを持っていることに対する否定を、オバマ氏ではなく、彼の可能性にかけ、熱狂的に支持する人たちの行動という事実を伝えることによって行います。
勝利演説でありながら、「私たちは勝った」とか「自分は勝った」とは言わず、間接的に投票者を称えることで、否定的な意見に対し強烈な攻撃を行います。
しかも、それを三連発するわけですか、ひとたまりもありません。
上のフレーズはその三連発のうちの一発です。
次のフレーズに入ってみましょう。
It’s the answer spken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled — Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states. We are, and always will be, the United States of America.
若者も老人も、金持ちも貧乏人も、民主党支持者も共和党支持者も、黒人も白人もヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、同性愛者も非同性愛者も障害者も健常者も。皆が、赤い州(共和党)、青い州(民主党)が混ざった個人の集まりというのではなく、「アメリカ人」として、世界へメッセージを伝えたのです。私たちは、現在、そして未来も「アメリカ合衆国」なのです。そう、これも1つの答えなのです!
時代的な広がり、多様性をすべて出し、すべて認め、すべての力を集める主張をすることで、エネルギーを集めてきたオバマ氏の思想を端的に表すフレーズだと思います。
力を集めるために、敵対するのではなく、二分法を提示するのではなく、「加える」のです。
日本では「チェンジ(変革)」ばかりに脚光があたり、「人々は変革を求めた」と伝えられていますが、オバマ氏の手法の特徴は、変化より、過去と現在と未来の統合であり、分離や分割や対立ではないのです。
英語で「chnage」と言うと、私には「着替える」という意味が一番目に上がってきます。
これは自動詞です。自ら行動し、自ら変化するものです。一般的には、他動詞であり、「他を変える」という意味に考えられがちですが、私は「変わろう!」と言っているように感じられます。
リンカーンやケネディーをなぜ持ち出すのでしょうか?
彼が、単に真似したいからではありません。
皆の心にある希望を振動(=共感、共鳴)させているのです。
人にアピールするときは、相手の心の響くところを響かせるのが一番です。
「そうだ」と思ってもらえるのが一番です。
ちょうど、柔道で、相手の力を使って技をかけるのに似ていると思います。
でも、もう一度申し上げます。
オバマ氏は考え抜いてテクニックを駆使して伝えているのです。
決して、ブッシュ大統領の演説のように「我々側か、それともテロリスト側か」のような単純で浅い思考ではないのです。
もちろん、「I」を極力排除する、謙譲の美も強く意識していると思わざるを得ません。
しかし、それでもアメリカ人に強烈にアピールするのです。
いえ、世界中に。
(3点列挙法の3番目については、次の機会とします)
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詩人ジェームス・カーカップ氏の「ニュー・ジャパン・ナウ」
2009 年 1 月 14 日
私が大学生だった頃ですから30年ほど前、英国生まれの詩人ジェームス・カーカップ(James Kirkup)氏が書いた「New Japan Now」という薄い英語の本を、たまたま書店で手にして読むことになりました。
ジェームス・カーカップ氏のホームページ:
http://jameskirkup.com/
英語を専攻しない私が、専門書や実用書でない英語の本を買うことはまれなのですが、なぜ手にするようになったか覚えていません。
でも、読み始めると、ぐいぐいと引き寄せられてしまいました。うーんとうなりました。どうして、日本人でないのにこんなことがわかるのか不思議でした。
彼が詩人だったことはもちろん知りません。また、そのようなことも書かれていなかったのですが、彼の英語の美しさにも引き寄せられ、読み続けさせられたのだと思います。
この本の前に「Japan Now」という書を彼が著わしているのですが、それから10年ほど経過して日本の状況が変わってきたので、新しい日本について書くことにした、とのことでした。
実は、本の半分以上が、ある意味、痛烈な日本批判でした。一方、高度経済成長する日本に対して、「お願いだから日本人は日本の良さを捨てないで!」と嘆いていました。
例えば、選挙宣伝カーの騒音や、電車が来るときに大音響で「電車が来ます!白線の内側に下がってお待ちください!」「ドアが閉まります!」とけたたましい音を流す日本について苦言を述べられています(私が知っている限りイギリスでは、電車のドアが閉まる時に一切アナウンスがない)。
日本人はこれまで、静寂や虫の音、風鈴の音を楽しみ、お茶をいただき、風流を楽しみ、身近な時間と空間を楽しんできたのに、どっぷりと騒音と商業主義につかっていることを悲しんでいました。
彼は日本人以上に古き良き日本を愛し、日本人の生活感覚のすばらしさを訴えていました。特に、がんこな日本の老人をほめていました。
そして贅沢でなくても、今、生きている日常の生活の中に、美意識や楽しみを持つ、まさに、日本人しかわからないような感性、文化の美しさ、すばらしさを驚嘆していました。
彼はそのことを「クオリティー・オブ・ライフ」(Quality of Life)と呼んでいました。これはいわば生活の楽しみであり、「生き方の品格」にすら通じるのではないか、と私は思います。
・・・
これは、欧米の文化とは極をなすものです。
欧米の化粧品の広告を見て、気づく方はいませんか?
化粧品でも、装飾品でも、家具でも何でもいいです。
「優越, Excellent, Super, Victory」がキーワードとなっているものが多いのです。
優越、あるいはナンバーワンが重要です。
たとえば、飛行機に乗って、目の前に高級カタログがあったとします。そこには、必ずや欧米式の「優越する」品々を光沢が飾り立てていませんか?
もちろん、「きれい!」と日本人は思います。特に女性はそうでしょう。
庶民にとっては、そんな時間の方が特別です。だから、高級そうな香水、バッグなどに目がいってしまいます。
すばらしいものは高いものです。他の人々が買えないものをもっていることが優越です。すばらしい品々とエクセレント、スーパー、そしてナンバーワン。
たとえば、階段を上りながら上から美しい女性が見下ろす「○ッ○○スーパー○ッ○」のテレビコマーシャルは、優越をキーワードとする典型的な欧米型の美の表現です。
このコマーシャルを全世界に流しています。アフリカでも、中国でも、インドでも、そして日本でも。
これが悪い、と言っているのではありません。
しかし、私は、どうしても、一神教的、絶対的、優越的見方、考え方、表現法を感じざるを得ません。
動物文化、あるいは牧畜文化、家畜の群れより優越するリーダー式に感じざるを得ないのです。
動物には、優越する唯一のリーダーで十分です。
これら絶対性・優位性が、ある意味、価値観あるいは文化衝突の根本原因となるものなのです。
日本人でも、優越するものに美しさを感じます。わかります。ほしいと思う人も多くいるでしょう。
でも、とりたてて特別でない、目の前のものにすら愛情を注ぎます。楽しみます。
(※欧米人も小物を楽しんだ入り、心のこもった小さなプレゼントやカードを送りますので、彼らにそのような感覚が分からない、と言っているのでは決してありません)
それをつかって、自分だけでなく、周囲とデンタツします。
絶対的に優越していなければならない必然性はほとんど必要ないのです。
これこそ、ジェームス・カーカップ氏が言った「クオリティー・オブ・ライフ」ではないでしょうか。
こけしや折り紙など典型的な日本らしさのものがありますが、私は、プリクラすら、現代の日本的な美であり遊びであると思います。
そして、漫画・アニメだけでなく、「カワイイ(Kawaii)」は、いまや、新しい価値観として世界へ発信されています(数年前の朝日新聞の元旦の大特集はこのKawaiiについてでした)。
セリ君が驚いた「痛いの痛いの飛んで行け!」も日本文化ではありますが、アフリカ人にもとてもよくわかる表現のようです。
金融という資本主義の屋台骨がけたたましく崩壊しつつある今、身近な美、楽しみを広げていく日本的なクオリティ・オブ・ライフが、今後世界にアピールし、広がっていく底力があるのではないか、と考えています。
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ご利益指向、厄・祟り回避文化の日本
2009 年 1 月 12 日
日本は、他のアジアの諸国とも文化をシェア(共有)しながら、独自の文化を形成しています。
日本人は一般的に、
【1】 タブーや扱いたくないことは上手に避けながら、
→ エネルギー損失は最小
【2】 感性・感覚を尊び(楽しみ)、
→ 若さを保ち、人生を謳歌できる
【3】 雑念を生じさせずに「ひたすら」はげむことを美徳とし、
→ 労働の美徳を保持しながら、無駄な思考・フィードバックを回避
【4】 疑わず、無防備で 性善説的な振る舞いをし、
→ 拳銃を下げた、警官の格好をした人を疑わない
【5】 ちゃんと漠然と多方面に感謝をしながら、
→ 「応援ありがとうございます」、のアスリートだけでなく
→ 先祖・周囲すべてに感謝
【6】 厄を払うことや祟りを回避することを強く願い、
→ 過去の日本ではこの重要性が非常に高かった
【7】 ご利益をささやかに求め(祈り)、またありがたく受け、
→ 温泉の効能だけでなく、神社仏閣すら「ご利益」で定義する
→ 米軍に守ってもらえるのも一種のご利益
【8】 不満について漠然と「政府が悪い」とガス抜きをしながら、
→ 革命で政府を壊すエネルギー、経済的な損失を生じない
【9】 杓子定規に法律を適用せずとも柔軟に対処することができる
→ 見事に法律と効率の間を縫って合理的な判断をする
【10】 ただし、問題があったときに、感覚的にざっくり捉え、あまり深く考えたり対処はしない
→ これが前の記事などで問題としているものです。
→ とことん責めること、改革「チェンジ」をしません。
という特徴があるように思います。
(これまでの私の分析的な観察を列挙しただけですから、まだまだあるでしょう)
これらの特性は個人の精神の安定性に役立っているものも多くありますが、社会の安定にも役立っているものが非常に多くあります。
【9】については、私が面白いと感じる事例が山のようにあります。また、【10】 については、これまで、かなり厳しく指摘してきています。壊さない、という保守性のメリットがある反面、改善できないというデメリットがあり、一番気になる特性です。
このように、日本人、日本文化は、対決や解決の分析や作法から程遠いにもかかわらず、実は、無益な争いを上手に回避する、争いを長引かせない技を持っている、とても愛すべき性質を保持していると思います。
私は、このように平和的な特性を持っている日本が大好きです。
外国人は日本人を「チャーミング」だと評しますが、他意がなく、魅力的です。言い過ぎると「イノセント(馬鹿正直のような、子供っぽさを含みます)」です。
やや茶化した表現になっていますが、実は、その生命力の強さと「美」感覚をとても尊敬しています。
私は、リーダーシップといった直接の形ではないにせよ、何らかの形で、このような特性が、必ずや世界の平和と安定に寄与するのではないか、と考えています。
どうしてかというと、世界制覇の野心が全く無く、タブーには触れず上手に、自分にとってご利益となるものは、しっかりと加えていく生き残り術を持ったまま、思いやりを発揮できるという、かなり高度なパワーがあるからです。
千年以上前、仏教を取り入れたときも、これまで保持してきたものをマイナスとはせず、仏教のご利益をプラスとしてきました。
日本の神社仏閣で、特徴、すなわちご利益がないものはほとんどないという事実も、非常に面白いと感じませんか?
日本文化は、本来足せないようなものでも、ちゃんと加え、みごとに融和させるという「生き残りの技術」があります。
牧畜文化は区分します。除きます。選別します。落とします。場合によってはタブーを衝突させます。
一神教文化同士は終わりの無い戦いを行うことがあります。
ダーウィンの思想は単にシンプルだから成立しているのではありません。きっと、「動物=生存競争」というものに根ざした文化があるのではないでしょうか。そのような思考パターンが厳然と存在しています。
私は、願わくば日本の「カワイイ」文化が世界の緊張を和らげ、戦闘地域の戦意を消失させることに役立たないかと祈っています。
「日本人女性は美しい」のようなCMを、イラクやイスラエルで流したいくらいです(もちろん半分冗談ですが、冗談が現実になるのもこの社会だと思います)。戦意喪失のマジックは日本にはたくさんあります。だって、竜宮城ですから!
もちろん、日本文化が完璧だと言っているのではありません。
本当の意味で日本人が合理性も身に付け、タブーにも上手に付き合えるようになれば、鬼に金棒です。怖いものなし!
だから、キーワードはハイブリッドなのです。
元来、チャーミングで、気配り、配慮ができ、他を尊ぶ人々です。世界の人々から好かれるのは当然です。
そのような中にあるからこそ、日本が戦争の負の遺産を清算できていないことを非常に残念に思います。
しっかりした独自の憲法であれ、国会決議であれ、政府見解であれ、自ら進んで出せないのです。作れないのです。変えられないのです。
本来大切な軍隊=自衛隊の掌握とコントロールについてしっかりした柱も作らない、作れないことを非常に残念に思います。
田母神氏の問題を、事実上の解任と「不適切」「残念」だけで放っておけることに、怖さを感じますが、それが日本なのです。
私には、無免許・無資格の軍人トップが(ミサイルや戦車などの)軍隊を運転しているようで怖くてハラハラしてしまいます。
また、何十万、何百万もの拳銃が町中にあっても怖く思わないことを怖く思うのです。
第二次世界大戦の大問題を、きっちりと清算せず(これは、亡くなった方には冥福を祈っていますが、300万人の犠牲者を出し、焼け野原の中で苦しんできた国民に対して明確に政府が謝罪を行っていないことを指しています。対外的には謝罪を行ってきています)、軍隊についての明確なビジョンを構築しないまま、少しずつ状況に合わせて大きくしてきたものについて、マスメディアすら、強い指摘はできません。なぜなら、きっちりした指針を持っていないからです。
だから腫れ物やタブーには触れないのです。
おそらくどの党も、米軍の日本からの撤退をきっちりと進める方策を練ったり、交渉したりすることもやる気はないでしょう。
票に結びつかないものです。そんなエネルギーを使いたくないのです。そもそも、アメリカの軍隊というご利益があるのですから・・・。
しかし、もうそろそろ、アメリカがこれまでのアメリカとして世界の中で位置づけられない時代がやってこようとしています。
北朝鮮の状況によりますが、「韓国から米軍が撤退する」という話が出てくるのではないか、と私は予測するのです。
そのときになって、日本中があわてるでしょう。どう進めていいか、あわてふためくでしょう。
日本が言い出す前に、(経済的・世界戦略的な理由から)「日本からの米軍の撤退」の話があったとき、「そんなこと考えていませんでした。話を聞いて驚きました」と首相や防衛大臣が発言するのでしょうか?
そんなことになったら私はとても情けなく思います。国を構築する基本すら、組み立てていないのです。
第二次世界大戦を清算せずに米国に依存したからです。
ノーベル平和賞をとった佐藤栄作首相の米国による核反撃の話は「けしからん」という意見が多くあることはわかります。でも、「もしも」の言質をとっている、というしっかりした「依存症」の方が、何も考えていないほったらかしより、「政治家」として職務を行っていると思います。
非核三原則のスローガンは、米国との裏取引により成立していたものです。ですから、単にノーベル賞を辞退すればよかっただけです。
このようなことは、平和なときは、誰も考えなくていいことです。軍事の心配も、兵役のことも。
私はつい、日本人が逃げたがる話題について話してしまいます。
それは「知っていながら、感じていながら逃げている、棚上げにしている」ことを知っていただきたいからです。意識からすら外す風潮が最近ないでしょうか?
さて、戦後、技術については、日本人はその特性を活かしてきましたが、残念ながら、科学には十分力を発揮できていませんでした。
しかし、昨今のノーベル物理学賞でもわかるように、民族としての劣勢はまったく無いといっていいでしょう。
ただし、粘り強さ、徹底した疑いと検証、強い目的意識、これらが文化的に不足している部分があることを私は強く感じています。改善のためにかけるエネルギーがどれほど小さく、まとまっていないか、を感じています。
日本人は他意がなく、チャーミングですが、それゆえ、論理的な追求や解決のための手立てをきっちり進めていく「合理性」が欠けている面があるのです。タブーに触れそうになったら、すぐさま外します(だからタブーです)。
何とか、その両面を持てるようにできないでしょうか?
美的な感覚、楽しみや笑い、ユーモアのセンスを持ち、合理的な分析や判断ができ、人を思いやり、しなやかで、愛されるハイブリッドを目指さないでしょうか?
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日本の警察官は拳銃を携帯すべきか
2009 年 1 月 8 日
日本全国で、何十万あるいは何百万丁もの拳銃が町中にあふれています。
もちろん、一般の警察官が携帯していることを指しています。
銃社会のアメリカだったら仕方ない面もあるでしょう。
でも英国の警察官は丸腰です。マラウイの警察官も拳銃は携帯しません。
日本の警察官が拳銃を携帯しなければならない事情は、何かあるのでしょうか?
おそらく歴史的な事情があるのだと考えられます。
でも、一般市民、国民がそれについて、問わないことと、全然抵抗感がないことの方が私には不思議です。
ここに2つ日本の特徴があります。
(1. 保守性) 事故や問題が起こっても、旧来のしきたりについては問いただしたり、議論しない
(2. 性善説) 拳銃を携帯する警察官が悪いことをしたり、間違ったりすることは仮定しない
武器を携帯するということは、重大なことです。いつも、気をつけてなければなりません。
町中にいる警察官全員がすべて万全なのでしょうか。かりに、万全でなくても、「これまでそうだったから」ということで、議論すらしないのが日本人の大多数です。マスコミも、余程のことがなければ問題点として指摘しません。
東京駅北口の交番で、警察官が自分の拳銃で自殺をしました。そのとき発射した玉は本人のみ殺傷し、通行人には被害は与えませんでした。また、つい最近、若者とやりあった末、警察官が拳銃を奪われることがありました。
アメリカの銃規制についての話はニュースや番組になりますが、日本の警官の銃規制については、意識すらないようです。
私がマラウイから帰ってきた後、日本のアパートに住んでいて、地域住民の調査か何かで警察官が部屋へやってきました。
コンコン、とノックをして「~署のものです」。
(私)「はい、どうぞ」
入ってきた警察官は、もちろん、腰に拳銃をしていました。ぶっそうなところ(特にタンザニアなどは治安がかなり悪い)から帰ってきた後だったので、一人しかいない部屋に、拳銃をしたままやってくる神経に唖然としました。
もちろん「自分の用事で他人の家や部屋に行くのに、銃を下げてくるとはどういうことか」などとは言いませんでした。でも、本当はそれが「世界の常識」だと思うのです。つまり、一般家庭を訪問するのに、銃を腰に下げる必要はないはずです。
でも、ここは日本です。一般家庭に訪問するのに、拳銃を腰に差したままやってくるのが普通なのです。
私がなぜ、日本を竜宮城だと言うのか、の1つの訳はこのような事実に基づいているのです(まだ「どうして竜宮城?」と言われるかも知れませんが)。
タンザニアで協力隊活動をしていた友人から聞いた話です。
その人はアパートに住んでいて、警備員(警察官などの公務員ではなく、警備会社の人だと思います)が一人、アパートの周囲を、ライフル銃を持って常時監視していました。
治安の悪い首都・ダルエスサラームでは、強盗なども多く、物音がすれば、自己防衛のために銃を発射していいのです。
もちろん、余裕があれば、「誰だ」とか尋ねることもあるでしょう。しかし、せっぱつまった状態では、撃たれる可能性すらあるため、先に撃つのです。
彼が滞在していた1年間の間に、何と二人も射殺されたそうです。誰が射殺されたのか、射殺された人たちが本当に盗人だったのか、どうかはわかりません。
あるいは調べてすらないかも知れません。ゴソゴソしていただけで撃たれるのです。そして、そのことについてのクレームはすることもできません。
怖いことに、その家に住んでいる人が、酒に酔ってフラフラと帰ってきて、自宅の警備員から射殺される、という事態すらありえるのです。
次の話も同じくタンザニアの話です。
近くに住んでいたマラウイの日本人隊員の友人がタンザニアを旅行していたときの話です。
タンザニア人の兵隊の一人がこっそりやってきて、自分の持つ自動小銃を見せ、(2万円程度で)「買ってくれないか」と言ったそうです。
「うん、そうだな。いくらほしくても、持って帰れないから、いらない」と言ったそうですが、腹を空かせた人が兵器を持っていることがどんなに怖いことか想像できますか?
「自分は金がない、でも、この日本人は持っているだろう」と思って近づいてきたのです。もし、買ってくれたらそのお金で逃亡する予定だったのでしょう。もし捕まれば、自分の兵器を売って逃げようとすることは、軍法会議で有罪となり、死刑あるいは重罪となることでしょう。
それをあえて行う人たちがいたのです。そして、このような状態が、ある意味、世界の大勢なのかも知れないのです。
話しかけられた日本人、すなわち私の友人も、撃たれるかも知れないと思いつつ、命がけで買うことを断ったわけなのです。
私自身もタンザニアを旅行したので、大勢のタンザニア人の兵士たちをみて、つくづく、腹を空かせた人に兵器を持たせてはならない、と思いました。上官ですら、撃たれる可能性があります。もちろん、大統領であってもです。
「日本人の警察官は途上国の人たちとは違う」と主張する人がいるでしょう。日本の警察官は腹を空かせていない、と。
自殺、事故、うっかり・・・。いろいろな場面があります。そして大問題を起こす危険性があります。
それでも全国の警察官に常に拳銃を携帯させるべきでしょうか?
・・・
「ピンポーン」とベルの音。
あなたは拳銃を腰に下げた警察官の格好をした人を部屋へ通しますか?
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放送業界の不振
2008 年 12 月 30 日
放送業界(民放各局)は、その収入源が広告にあるため、景気の影響を受けやすいという特徴があります。現在の不景気の状況で、目に見えない、あるいは明確な成果を与えていることが疑わしいCMへの支出が、急激に抑えられてきています。
最近出された地上波民放各局の中間決算は惨憺たるものでした。
日テレは半期ベースで37年ぶりに赤字転落し、テレビ東京も初めて赤字の中間決算となりました。視聴率最大のフジテレビは、制作費を60億円圧縮し、通販で黒字を維持したものの前年同期より46%も減益となっています。また、一番傷が浅いとされるTBSでも32%減益という状況ですが、これも放送外収益(赤坂サカス)に下支えされたものです。
このような状況を知ると、「テレビ局の倒産もある」という意見も、あながち嘘ではないかも知れない、と思わざるを得ません。
短期的な経済の影響だけでなく、若者のメディア離れが進んでいることも報告されています。
あるいはまた、民放各局も、タレントを集めただけという、内容の浅い番組制作に集中してきたため、質の低下を起こしてきていることも指摘されています。
つまり、参加するタレントの数を増やして視聴率を増加させようとする、「思考も制作も欠落した、タレント依存の短絡的な方法」が破綻してきている、という意見です。
「最近、テレビ局で出るお弁当の中身が悪くなった」
と番組で発言しているタレントがいました。身近な話題に、注目を集めようとしているのかも知れませんが、周囲の一般社会はそれどころではないのです。
スポンサーのトップであるトヨタ自動車の奥田碩相談役が、首相官邸の懇談会の席上、厚労省批判に偏る放送内容についての不満から「マスコミに対して報復でもしてやろうかと。 スポンサー引くとか」との発言も流れてきます。
これまで順風満帆だったテレビ業界の人たちが、初めて「不況」を実感しはじめているのではないでしょうか。
テレビ業界は、金融業界と並んで、サラリーマンの収入が群を抜いて高い業界です。
両者に共通するのは、生産をしたり、流通などの実業の企業から収益を得てきたことです。
これまで、実際の価値以上に価値が与えられていたところからは、お金が急速に流出していく可能性があります。すぐに対処しなければなりません!
「大丈夫」と高をくくっているところから浸水は始まるでしょう。
困難な事態になってきているときにすべきことは、何でしょうか?
(1)的確に状況を把握する
(2)原因を洗い出す
(3)対策を講じる
(4)1~3を伝達し、認識を共有することで協力体制を作り上げる
当たり前のことを、きっちりをやっていく以外にないでしょう。また、隠し立てせず、ちゃんと横の連絡を行うことだと思います。
社会的な単位(官庁、業界、会社、地域)のそれぞれが、きっちりと
「状況は・・・です。原因は・・・と考えられる。対策として・・・を行いたい」
と調査・熟考・検討を行い、的確に伝達することで、事態の状況認識を共有し、協力をしていくことだけが、唯一、最大の方法ではないでしょうか。
これは、災害が起こったときと同じですね!
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英語の授業を英語ですること
2008 年 12 月 23 日
2013年度から、高校の英語は、英語で授業をすることになったようです。大変いいことだと思います。
大変になるのはどちらかと言うと英語教師の方で、生徒は早く慣れていくのではないでしょうか。
私も英語で授業をすることになったとき、わりと得意で好きな教科でもありましたが、それでもとても大変でした。
中学・高校・大学と10年間も学んできていながら、また、物理を専門で学んでいながら、基本的な図形について、たとえば四角形(quadrilateral)とか対頂角(vertical angle)といった用語をまったくと言ってよいほど知らずに過ごしてきていました。
会話をする、買い物をするなどの生活のための英語ではなく、中高生に授業をしなければならなかったので、適当は許されません。
もちろん、知らない単語は覚えるしかありません。
明治時代以来、教養として外国語を学ぶ方式が定着してきましたので、日本では、辞書を引きながら高度な論評や随筆などを読んだりしているのに、基本的な単語や基本的な言い回しを知らないまま、あるいは話せないまま、大学は卒業できてしまいます。
人と対面して話をするのでなく、単語を多く覚えたり、文法問題を多く解いておいて、紙に書かれた問題を解ければ、試験で高い得点が得られますので、日本では「英語ができる」と評価されます。
英語が公用語の途上国で育った人たちとは、まったく違います。アメリカの大学でも同様です。
本や新聞が読め、資料を調べ、レポートを作成し、プレゼンテーションができて、相手に納得させる力が求められます。早さと量と正確さと内容を求めるのです。
次は簡単な言い回しの問題です。
「高度1000メートルを飛んでいる飛行機」
という表現は英語で何と言うでしょうか。
an airplane flying at a height of 1,000 meters
が答えです。
私たち日本人にとってむずかしいのは、
「高さ」を「at a height of」のように表現するということです。aをつけることを知らなかったり、atという前置詞になることが分からないこともあるでしょう。
また、話していてついうっかりしてしまうのが、
「1000メートル」をちゃんと「One thousand meters」と複数形で言うことです。
また、発音は「メーターズ」ではなく「ミーターズ」です。
(私の場合)英語で話していて、名詞の単複や、動詞の時制(現在・過去・完了)がすごく気になります。
気になりすぎて、力みすぎて
<誤>Did you went there?
(行きましたか?)
のように言ってしまったこともありました(頭の中で「過去形!」「過去形!」と強く思っていたからです)。
たとえば、時制については、主部の動詞と述部の節の中の動詞も一致させなければなりません。
<正>I thought that he would come.(彼は来ると思った)
<誤>I thought that he will come.(同)
このような、日本語にない語法的な制約(一致:agreementといいます)は意識していないと、すぐにくずれてしまいます。くずれたまましゃべるスキルを身につけていく人がいますが、できるだけ気をつけたいものです。(発音だけでなく、文法がブロークンとなるのです)
言葉はもちろんコミュニケーション、伝達の手段でありますが、私は、論理や思考の道具としての側面もすごくあるように思われます。
日本語のように、目上の人かどうか、自分はどのような態度にするか、などにより語尾の口調、言葉づかいがかなり変わってくる言語は、使っていてとても疲れることがあります。
仕事、とくに人間関係に疲れているときなど、英語で話すのは日本語を話すのの数分の一程度の負荷に感じることもありました。
もちろん、日本語には、むずかしい漢字があり、小学校の高学年以上になると、覚えさせるのにとても大変ですが、きっと私たちもかなり苦労して言葉を覚えたはずです。
ですから、そのころ海外で過ごせたらいいだろう、などと思いがちですけれども、海外にいて、あまり漢字や社会科を学ばずに帰国すると、日本のレベルとは大きな開きができているのではないでしょうか。
結論的に言うと、どっちも大変だと思います。
私は日本へ戻ってきて、1週間くらいまで、英語で夢を見ていました。でも、それ以来一度も見なくなりました。
私の周囲にいた人は皆英語を話していたので、夢に登場している友人とも英語で話さざるを得なかったからです。
もちろん、英語はネイティブではないので、慣れてくるまでに時間がかかりますが、ある程度慣れてきたら不思議なことがよく起こりました。
英語で話している相手に日本語で話してしまうのです。
「あ、そう。よかったね」とか。
言われた人はもちろん、びっくり!
意識して英語を話しているときは、そんなことは起こりません。
頭の中はどうなっているのでしょうか。不思議なことです。
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心の中心にある本能、欲について
2008 年 12 月 7 日
物事の源泉でありながら、悪者扱いされやすいものが「本能」あるいは「欲」といったものでしょう。これらを突き詰めて考えても、中々区別が難しいと感じています。やや広い意味合いで「本性」という言葉を使う場合もあります。
コマーシャル、販売、営業でも、購入者の欲を刺激します。
また、身勝手な反社会的な行為も、欲が原因であることも多々あるでしょう。
誰もが本質的に持っているものです。
「煩悩」だ「宿罪」だと、ほとんどすべての宗教で、非難される、あるいは持っていること自体を恥に、罪に思わせるところがあります。
世の中は本能、欲があるから問題なのでしょうか?
私はそうでないと思います。
地球温暖化の太陽と二酸化炭素のようなものではないか、と考えています。
中庸なりバランスが問題なのです。
生きるため、生き残るため、さまざまな力を受けて私たちはこの世界に誕生します。
大人に自分の存在、あるいは何らかの不快を伝えるため「オギャー」と泣くことも、備わった本能でしょう。
病気のため、あるいは周囲との関係に疲れ、強く心が傷ついたとき、コントロールがうまくできなかったり、弱くなったりします。
しかし、「仁」という徳と同じく、本能、欲こそが、生命として生まれ、育ち、協調して生き続けていくための源泉だと、私は思います。
欲を消した段階で、生命体としての存在は消えてしまうでしょう。
協調して生き続けていくための源泉だと申し上げましたが、競争原理に基礎を置くダーウィンとは異なり、今西錦司先生の棲み分け理論も、生命が社会性、協調性を本性として持っていることを示していないでしょうか?
宗教はそのほとんどが、死後の世界や神秘性を伝えます。人の弱さ、欲を持つことの過ちや恥を伝えることで、宗教の絶対的な強さと正しさを伝え、人の絶対的な弱さや罪を知らしめます。さらに、信じることにより、救われるというメッセージを伝えます。
私には、弱いものを脅しているように感じてしまいます。
宗教はもちろん、個人の精神的活動そして社会の精神的柱にもなってきました。数々の文化創造の源泉にもなってきた宗教をいちがいに否定する気はありません。しかし、宗教自体が持つ「絶対性」に基づいて宗教対立や宗教戦争を起こしていることも事実なのではないでしょうか?
私自身、儒教に興味を持ったのは、「欲」をどう定義し、どう扱っているか知りたかったのがきっかけでした。このことについては、追ってお伝えすることにします。
儒教は人間関係、社会関係についての提言を行う思想です。神秘性を否定していることも、あるいは孔子個人への礼賛も求めていないさまからも、絶対的な判断や行動を否定していること(中庸)からも、非常に興味を持つことになりました。
しかしながら、「儒教の考え方が最高だ」「孔子は聖人だ」とする「絶対性」の見方は、儒教の考えからすると誤っているのです。
また、今西錦司先生の棲み分け理論(私流に言いかければ「協調的生存本能理論」)の面白さも、お分かりいただけましたでしょうか。
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二酸化炭素は地球温暖化の原因?
2008 年 12 月 4 日
さまざまな大きな問題が出てきています。
まずは経済危機。アメリカのサブプライムローン問題から広がりを見せています。アメリカ、そして欧州はかなりのショックが走っています。あんなに調子が良かったトヨタですら大変な状況のようです。
次は環境危機。地球温暖化は着々と進んでいます。本当にCO2など温室効果ガス削減は進むのでしょうか。
さらに健康危機。日本はエイズ感染が1万人を突破しました。最初の患者が出たころは大騒ぎしていながら、1万人でも驚かない時代になったことに驚きます。鳥インフルエンザのパンデミックがいつ来るのか、ときどきテレビでもレポートが始まりました。
すべてK(Keizai, Kankyo, Kenko)です。日本語でも英語でもKの音は非常に強く、心に突き刺さる力があります。
さて、表題「二酸化炭素は地球温暖化の原因?」について、何が言いたかったか申し上げたいと思います。
確かに空気中に二酸化炭素量(パーセンテージ)をはじめ温室効果ガスの量が多くなったため、大気の保温効果が高まり、気温が高くなることにより、気候や生態系へ悪い変化を引き起こしているようです。
でも、何が地球温暖化の原因かと問い詰めると、エネルギーを供給する太陽が一番の原因と言えます。
当然のことながら、太陽がなければ地球は暑くなりません。
太陽は悪者でしょうか?
答えはおそらく、大多数の方が「いいえ」でしょう。
生命をはぐくむエネルギーを与えているからです。
二酸化炭素は、たとえば、エコキュートと言われる給湯器の冷媒として、大気の熱を吸収する働きがあります。大気の熱をエコキュート内の冷媒である二酸化炭素が吸収するため、少ない電気でお湯を作ることができるのです。その結果、お湯をつくるエネルギーを少なくすることで、電気エネルギーを作るために発生させていた二酸化炭素の排出を少なくすることができるのです。
もし、日本の全家庭でエコキュートを使うようにできれば、京都議定書の日本の目標もクリアできるくらいだとまで言われています。
太陽も二酸化炭素も、メリットに働くこともデメリットに働くこともできます。
普通、私たちはメリットとデメリットを正作用、副作用のように異なる2つの作用のように定義したり、考えたりする習慣があります。ある意味、西欧の合理主義的な見方だと私は考えています。二分法、あるいはYesの反対はかならずNoになるような考え方です。
たとえば、上の二酸化炭素の熱吸収(保温)作用は、エコキュートでの機能も、大気の保温効果も、まったく同じ機能なのです。まさに、人間にとって正作用も副作用も両方とも同じ原因(機能)からきているものなのです。
東洋的なとらえ方と、西洋的な合理主義とを合わせて適用すると、このように非常に難しいことを検討しなければならなくなります。きっと頭が混乱されたかと思います。
申し上げたかったのは、単純に二酸化炭素を悪者のように決め込むことなく、このような保温効果を活かして、地球温暖化にブレーキをかける叡智を結集できたらいいということです。
夢のような話に聞こえるかもしれませんが、緑化など自然の力を使うのが一番だと思います。
サミットやオリンピックなどに莫大な資金を使うくらいなら、インターナショナルなプロジェクトを興し、アスワンダム、アスワンハイダムの建設のときのような大型プロジェクトとして、砂漠緑化のようなことに取り組めるような時代にならないかと思います。
その場所で、各民族の文化を紹介したり、青少年が交流したり、4年に一度くらいスポーツ大会をやるのも、とてもいいのではないでしょうか。
大変な時期であるからこそ、グローバルに協力して問題に取り組み、いっしょに解決をしていくという方向性、文化をなんとか根付かせたいと思います。
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名札にMrなどを付けるか付けないか
2008 年 11 月 14 日
会議やパーティなどで名札を付けることがあります。
フォーマルな会話などでは、ちゃんと「Sir(サー)」を間に入れて話した方がいいことも、現代でもあるでしょう。
言葉は場面が重要です。KYにならないように気をつけなければなりません。
私がマラウイにいたときの大統領の名前は、
His Excellency, The Life President of Malawi, Dr H. Kamuzu Banda
でした。
閣下(His Excellency)マラウイ国終身大統領(The Life President of Malawi)医学博士(Dr)が前に付くわけです。
大使、大臣級以上には「HE」(His Excellency=閣下)を付けることもあります。不思議とアメリカの大統領は簡単に「Mr President」とミスターが付くのです。これも面白い。女王陛下はHer Majestyです。
たとえばシンポジウムなどで、大学の先生などをお呼びしたとき、「・・・大学教授~先生」などと表記するのが丁寧です。単純に「~先生」ということもあるでしょう。したがって、一般向けの会議・集会などの場合はMrなどを付けることもあると思います。
でも、不思議なことに、アカデミックな場面ではこのような呼称がすべて消えます。「教授」とか「助教授」「準教授」すらはずすのが慣例です。名札にも「Dr」「Mr」などはは付けません。
たとえば、某大学の学生が(年次大会などの)学会を出して発表するような場合、所属はその大学であり、教授や学長とも同じ表記となります。教授などの職位は、組織内の問題なので「対外的には不要」と位置づけているのです。たとえば電気メーカーの研究員が論文を出した場合、アカデミックな世界ではあくまで、そのメーカー名は出しますが、所長とか部長とかの肩書は不要です(もちろん、経歴などに書くことはあるでしょうが、研究や論文とは無関係という考え方)。
発表の後、座長(司会)から「ご質問、コメントはありませんか?」という場面で、学生であっても教授であっても「~大学の・・・と申します。・・・につきまして」のような質問をすることになります(全く平等なのです!)。これは国際的な場面でも全く同じです。
テレビ局の新人アナウンサーが、「新人の・・・です」のような発言をしたりしますが、このように、
新人だから少々間違っても許してね、かわいがってね
という甘えの表現をしたりしますが、これは(いい意味で若いものにやさしい)日本独自の文化の表れであり、アカデミックな世界とは別世界ではないでしょうか。
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日本の軽快な文化の魅力
2008 年 11 月 12 日
ブログの内容がかなり硬派に偏ってしまっていますが、実は、私は日本の軽快な大衆文化が大好きです。
確かに国土が狭いこともあり、居住空間は一般に狭いため、なかなか居心地のいい環境を整えるのはコストがかかりますが、「衣」や「食」に関しては、明らかに世界トップクラスでしょう。
たとえば、テレビなどで料理番組がさかんに放映されます。タレントたちが食べ歩いたり、大食いの競争があったりと、きっとピューリタンやイスラム教徒には信じられないくらい、欲を刺激する放送を流し続けます。大麻問題が大きく報じられていますが、何の何の、日本では、テレビで平気でお酒を飲むのです! また、電車の中でビールを飲んでも逮捕されません。「食」に関して言えば、中国人やフランス人、イタリア人も食がとても好きですし高い食文化がありますが、基本的には「食」は個人なり家族、せいぜい友人までの範囲の交流イベントだと考えられますが、日本では、タレントなどの芸能人を中心にして、テレビ自体が全国民共通の食卓のようになっています。
おそらくほとんどの家庭で、ラーメンやチャーハン、餃子などの中華料理を食べ、焼き肉やチヂミ、冷麺などの韓国料理を食べ、カレーなどのインド料理を食べ、スパゲティーやなどのイタリアンを食べ、場合によってはフレンチを食べ、そろそろ胃がつかれたので和食にする、そんな食生活をしていないでしょうか? 調べたことはないのですが、日本人の食生活はものすごいバリエーションです。
「『食』は本来母親から与えられるものなので『衣』よりも保守的です。着るものは割合簡単に外の文化から与えられたものに移行してしまいますが、『食』はなかなか変わらないものです」と民族学博物館の助教授の先生から教えていただきましたが、どうやら日本民族はかなり特殊な民族であるようです。『食』も『美容』も『ダイエット』も『音楽』も何でもOK、のような日本人はどうしてなったのでしょうか? また、この柔軟性はどこから来ているのでしょうか? (もちろん、経済的な余裕あってのことですが)
ツンク・プロデュースのモー娘に限らず、かなりの割合で、(成人女性ではなく少女として)カワイイ系の女の子たちが幅を利かせています。男性だけでなく女性もそのファッションや身のこなし方、文化を気にしています。私は、番組や出演者・出演内容を見ながら「まさにお遊戯だな」と内心思いながら、こんなことを昼間からあるいはゴールデンタイムに流し、多くの視聴者を集めるこの国のメディアについて、文化についてつくづく考えてしまいます。
そう、政治や宗教、紛争や経済などの問題なんか全く無関係な竜宮城なのです。国自体が大人になることを拒否した「モラトリアム」のようにも見えますが、このようなものも、ひとつの大きな社会文化を形成しているのです。
前のブログにも書きましたが、決して最近の日本の特徴だと言うのは間違っている気が以前からしています。
マッカーサー元帥が日本へ来て「日本人12歳説」を話しました(これについては、ここでは述べません)。
また、北海道大学を離れるとき、クラーク博士は「少年よ、大志を抱け」と言ったという話があります。小さいことを考えているのではなく、大きな夢を描け、と教えてくれたと思っている人が大多数です。しかし、実際には、クラーク博士は、日本と日本の青年を嘆いてこのような発言をしたのです。
日本の将来を作っていく青年たちが、自分を慕って追いかけてきます。
口々に「先生ー、本当に帰ってしまうのですか?帰らないでー」と。
「Boys!」
そして「Be ambitious!」と。きっと内心「なんてこった!めそめそと。これじゃ将来が思いやられたものだ! しっかりせよ」と考えて、続けて「野心を持ちなさい!」と述べたのです。ひょっとして「Boys」ではなく「Boy!」(あらまあ、なんてこった)だったのでは、とされ思われます。これは、日本文化ではありえるシーンです。
礼節があって、まじめで、優秀で、いつでも周囲と協調することができて、おちゃめで、純粋。少なくとも、アクを持たず、つい合いやすいスタンスを持つというのが、これまでの日本の美徳ではないでしょうか。都会はだいぶ変わってきましたが、基本的には外からのお客様にはとてもやさしく、寛大です。リーダーシップをとるのは苦手ですが、何か皆でやろう、ということになったら、あれよあれよという間に分担を始めます。これはすごい!
一億総中流と言われた時代から経済的にはだいぶ様相が変わってきました。皆と同じことをやるだけでは、なかなかうまくいかないような時代になってきたと思います。しかし、経済、そして国外のグローバル化の時代になってきていますが、日本独自の軽快文化、カワイイ文化、群れて情報を共有する文化は、職人気質、助け合い文化とともに、今後とも繁栄を続けてほしいと思います。
それは、いい面、あるいは楽な面(たとえば、私のような硬派な思考、推論、検討、試行をしなくても、適応力があれば生きていけること)もあります。また、無用な対立は生みにくい風土も完備しています。なによりも、宗教対立やイデオロギー、宗派対立、貧困や性的虐待などで苦しんできた地域、国々と比較すれば、天国のような世界なのです。もちろ、日本文化が完全だとは言いません。しかし、この大衆文化の中に、将来の平和と繁栄の基礎がいくつもあるようと私は感じています。
日本を離れたくない、といった某アジア出身の人がいます。別のアジア国の出身者で、オーストラリアの大学で学んだ若者と先日会ったのですが、この活き活きとした日本文化の洗礼を受け、うれしいショックを受けたと言っていました。関西の落語やお笑い文化にも、ノーベル平和賞を与えてもいいのではと思うことがあります。マンガだけでなく、日本のお笑いにも深いものがあると思います。
この日本の繁栄が続くよう、ちょうど子供が家の中で楽しく遊んでいられるように、経済や防衛、外交といったものは外でしっかりとが守り確立しなければならないことは言うまでもありません。
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田母神・前航空幕僚長発言と政府見解
2008 年 11 月 10 日
米国が裁く形で東京裁判が行われ、何度か、日本政府が対外的な謝罪を行ってきましたが、日本人によってきっちりと総括ができていないという問題について、改めて思い知らされた出来事でした。はずかしくて、(近隣の国々に)なんと言っていいか言葉が出てきません。もし、中国人や韓国人の友人が田母神さんにいたら、このような話をすることなどできないだろうに、と思いました。しかられた子供が、駄々をこねて、「ぼくがわるいんじゃない」と言っているようにも感じます。あるいは、「いいたいことを言えたからきもちいい」と言っているようにも。彼が航空幕僚長だったのです。
もちろん、「日本軍の侵略は濡れ衣」発言について、ある意味彼自身の資質(品格と見識)の問題と任免責任は問われるべきでしょうが、本質的には「思想・信条の自由」のため、大きな問題になりようがありません。もちろん、教師になったり、公務員になるには日本国憲法を学び、その精神と内容を身につけていないと本来、公務員になれないようになっていますし、公務員は憲法を守らなければならない、とされています。
明らかに、憲法の精神に多少違反している可能性がありますが、残念なことに、現在の日本国憲法には、日本の侵略性については記述がほとんどなされていません。野党のいつくかの党は9条の改正をストップしたいために護憲の立場をとっていますが、過去の総括が憲法も十分になされていないことは、誰も言及しません(もちろん、憲法の中身としては、暗黙の前提=侵略するにいたった経緯=を間接的に説明し、それゆえに平和の大切さを主張していますが、直接的な説明や総括は外しています)。
このように、日本の侵略、もとい進行は正しかったと信じている人が航空自衛隊のトップに君臨していたわけです。しかし、私は何よりも戦後63年間、しっかりした国会決議も政府見解も出されてきていないことに、非常に落胆してしまします。なんと、95年の村山首相の談話が政府見解の根拠となっているのです。自民党はこれまで、まともな政府見解は出してきていないのでしょうか?「不幸な歴史があった」といった程度の意見しか対外的に言えてないのでしょうか? そしてそれで十分だと思ってきたのでしょうか。
誤った判断と行動により、国内外に甚大な被害と精神的な苦痛を与えたことは、亡くなった方はもちろん、耐えて生活してきた方々へまずお詫び申し上げるべきものだと私は思っています。それは決して、日本を傷つけるものではありません。これを行わないことが、日本の恥をずっとさらしてきていることなのです。愛する日本の立場を回復するためにも、外部から求めに応じるのではなく、自主的に明確に表明すべきだと思います。
「米国の言いなりだ。大企業優先政治は変えなければいけない」と主張する野党も、米国から与えられた日本国憲法を守る党の立場に現在なり、米軍依存の安全保障についても沈黙状態です。戦前から戦中にかけて、政治的、経済的な問題の解決のために、軍事に依存し、不幸な歴史を押し進め、日本国民と諸国民に多大の苦労と犠牲を与え、自力で解決できない状態で終戦をむかえたことを、さまざまな立場で総括できていないのです。
憲法は唯一、国権(司法、立法、行政)を制限できるものです。憲法では歴史認識を明確にうたうことができます。そして、諸国民との協和をはかりながら、国民と国家の永続的な発展のため(これが目的)に、国民の委託を受けて、国権が職務を行うことを明確に定義すべきでしょう。不戦の誓いとともに、国民の生命財産を守るという約束もされなければなりません。安定した財政を保ち、平等かつ迅速な行政サービスの実施も、憲法の規定としてすべきものだと考えます(なぜ、国民の義務は規定し、国権の責務を明確に規定できなかったのでしょうか? チェックの時間が不足したためでしょうか?)。
憲法改正反対の方々は、きっと改悪は危険だから守るべきだ、とおっしゃっていると思いますが、本来、何が規定されるべきで、何が現在問題なのか、考えることをストップしています。いい憲法なので変えてはならない、と主張します。米国による一国占領、サンフランシスコ講和、日本国憲法、米軍駐留、これらをありのまま、あたえられたものをありがたく、いただく日本の文化は、単にトラブルを避ける、棲み分け文化なのかも知れません。でも、これは思考停止です。
おそらく、田母神さんの発言はドイツでは憲法違反になり、公職追放でしょう。でも、ちゃんと総括し、規定を作っていない日本の憲法では野放しです。これまで、終戦から60年以上を経過して、日本国民を代表して先の戦争を総括した国会決議はあるのでしょうか? 村山首相の個人的な談話以外に自民党の政権としての政府見解はないのでしょうか? 何ができていて、何ができていないのか、本来は何をしなければならないのか、残念ながら日本のメディアも、ほとんど的確な指摘はできていないように思います。
憲法での規定がすぐにできないのなら、明快な国会決議または政府見解を出していただきたいものです。それこそが、田母神さんの希望でもある、日本という国そして国旗にも誇りをもてるようになるステップだと思います。「濡れ衣」発言はもちろん、逆行です。反対の立場に立てないと主張したようなものです。オバマ氏のempathyの逆さまです。このような発言により、海外で「また、日本の高い地位の公務員がこんな発言をしたよ」と言われたくありません。ぜひ、道徳教育で、独善的、排他的、自己中心的な考えに対して、柔軟な思考を与える教育を施せるようにしたいものです。
さあ、60年以上経過しました。そろそろ、次のステップへ行きましょう。
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オバマ勝利演説分析:youとI
2008 年 11 月 7 日
オバマ氏の演説の特徴は、「you (your)」と「we (our)」だと思います。
これまで、Yes, we can. (私たちはできる)とか、Our movement is real.(この改革は成功する)など、皆の意識が集中するところで、必ず「we」「our」をもってきて、「私たち」が希望や成果を得ることを伝える、あるいは問題を共有します。
また、今回の演説では、とくに、「you」と「I」に注目してみます。
最初に「you」が出てきたのは、以下の箇所です。
tonight is your answer.(今日があなたの答えです)
実はこの前に、アメリカの民主主義について述べていますので、アメリカの民主主義と「あなた」とをつないでいます。
さて、「I」はどのように出てくるでしょうか。
A little bit earlier this evening, I received an extraordinarily gracious call from Senator McCain….
つい今しがた、マケイン上院議員からとても丁重な電話を頂きました。マケイン議員はこの選挙戦で、長い期間懸命に戦ってきました。そして彼は、愛する国のため(私たち陣営よりも)ずっと長い間、懸命に戦ってこられました。彼は米国のために、私たちの大半が想像すらできないほどの犠牲を耐え忍んできました。この勇敢で私心のないリーダーの献身のおかげで、私たちはより良い暮らしを享受しているのです。
そう、謝辞です。この長いパラグラフで「I」はたった1箇所のみ。続いて3箇所です。
I congratulate him, I congratulate Governor Palin for all that they’ve achieved. And I look forward to working with them to renew this nation’s promise in the months ahead.
私は、マケイン氏、そしてペイリン知事が成し遂げられてきたことについて、お祝い申し上げたいと思います。私は、これから何カ月か先、この国を刷新するため彼らといっしょに働くことを楽しみにしています。
このように、「I」を謝辞のためにたっぷり使います。ものすごい謙遜です。しかしこの謙遜が、アメリカ人の心を動かしているのです。
謝辞の後、「you」の登場です。
But above all, I will never forget who this victory truly belongs to. It belongs to you. It belongs to you.
しかし、何にもまして、この勝利が本当は誰のものか、私は決して忘れません。あなたがたのものなのです。そう、あなたがたのものなのです。
そして、後で再度伝えます。
This is your victory.
これは、皆さんの勝利なのです。
単なる謙遜の域を超えています。演説がうまいから勝った、失敗に嫌気がさして国民は変革を求めた、と説明する以上のものがあることがお分かりいただけたでしょうか。なぜ、何時間も投票のために列をつくり、オバマ勝利の新聞を買い集めるのか? 歴史が動いている実感をともに感じているのです。 もちろん、共感(empathy)こそが解決の鍵だとオバマ氏が一番わかっています。そして、演説でも共感づくりを実行しているのです。
しっかりと彼の演説を分析して、また、いくつかレポートしたいと思います。
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オバマ伝道の勝利
2008 年 11 月 6 日
シカゴで昨日(11月5日)、アメリカ大統領選挙を勝利したバラク・オバマ氏の演説がありました。一言で言うと「Yes, we can.」演説です。ここではまた最初に、「人民の人民による・・・」のリンカーンの演説も持ち出して、アメリカの民主主義こそが(富や繁栄ではなく)私たちの宝だと述べました。
アメリカだけでなく、この感動は世界に伝搬されました。題名に「伝道」としたのは、私にはどうしても1国の政治家を超えた「思想の伝道」に感じてしまうからです。何という思想かと申しますと「empathy」(共感)とNHKは昨夜のニュースで伝えていました。また、調べていくと、2006年3月6日付のUSA TODAYでは「crossover appeal」(垣根を超えたアピール)という説明がありました。
これまでのタブーに果敢に挑戦します。オバマ氏のスピーチの中に「キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の壁を打ち破りましょう」というものまであります。ジョン・レノンの「イマジン」にも共通するものです。
Imagine there’s no Heaven(天国がない、ということを想像してごらん)
It’s easy if you try(やってみたらできるでしょう)
No Hell below us(私たちの下に地獄もないことも)
Above us only sky(頭上にあるのは「空」です)
Imagine all the people(そう、人は皆)
Living for today…(今という時のためにいきている、ってこと)
Imagine there’s no countries(国がない、ということを想像してごらん)
It isn’t hard to do(できないことはないでしょう?)
Nothing to kill or die for(殺したり死んだりする目的はないということ)
And no religion too(そして、宗教がない、ということも)
Imagine all the people(そう、人は皆)
Living life in peace(平和に生活を送っていることを想像してごらん)
You may say I’m a dreamer(夢を見てるのかって?)
But I’m not the only one(でも、僕一人じゃないよ)
I hope someday you’ll join us(いつかいっしょに進まない?)
And the world will be as one(そして世界もひとつになるんだ)
Imagine no possessions(所有がない、ということを想像してごらん)
I wonder if you can(どう、むずかしい?)
No need for greed or hunger(欲ばったり、飢えの心配もない)
A brotherhood of man(人が皆仲間だということ)
Imagine all the people(そう、人は皆)
Sharing all the world(世界を共有していることを想像してごらん)
You may say I’m a dreamer(夢を見てるのかって?)
But I’m not the only one(でも、僕一人じゃないよ)
I hope someday you’ll join us(いつかいっしょに進まない?)
And the world will live as one(そして世界もひとつになるんだ)
(和訳は今日やってみました)
この詩をしっかりと聞いたときのショック。欧米にはキリスト教という揺るがない宗教があり、「所有」の概念が確立している、いわば完全な牧畜文化に対して正面切ってこんな詩をつけた曲を演奏するなんて、ありえないと思いました。歴史と伝統に反旗を翻すことになるので、このような意識が広がることなど単なる「理想」のひとつに思えていました。
オバマ氏のシカゴ演説では、決して「民主党の勝利」とは言いませんでした。これもまた彼の演説の特徴です。empathy(共感)を大切にするため、得意がることは決して行いません。
少し、冷静に彼の演説を分析してみましょう。
●YOU
通常の彼の演説のとおり、話を聞いている「あなた」にフォーカスを当てます。
「あなたの勝利です」と述べ、決して「自分が勝った」「民主党が勝った」のように言いません。この堂々とした態度に対して、選挙戦の終盤にマケイン陣営が行ったネガティブ・キャンペーンがまさに格好悪く見えてきます。謙虚であることを日本人だけの美徳と思っている人がいますが、世界に通用する価値観でもあります。オバマ氏の勝利演説も非常に謙虚であり、これが全米だけでなく世界へ共感を伝搬していきます。
●身内への謝辞と負けた側への言葉
不支持者の存在を認めた上で、支持をしてこなかった人に対して「あなたの声は聞こえる。わたしはあなたの大統領になる」と述べ「私はマケイン議員を称えます。そしてペイリン知事を称えます。マケイン議員たちが成し遂げてきたことを称えます。そしてこれから、この国の約束を再生させるため、マケイン氏たちと共に働くのを楽しみにしています」と。
●WE
さまざま課題(イラク・アフガニスタンとの戦争、地球環境問題、金融危機)を述べ、すぐに解決できないことも伝えながら、「自分たちはやりとげることを誓う」と。(Yes, we can.)
●クロージング部分
God bless you.
God bless the United States of America.
このように、現在、過去、未来を述べながら、I, You, We, (今回はあまりなかったですが)Theyなどの関係をクリアに述べ、課題とともに希望を伝えていきます。彼の演説は決して難しくありません。日本の高校1、2年生の教科書にも使えるものだと思います。
最後の「God bless you」は、まさに適訳がありませんので、とても残念です。確かに言葉をそのまま訳すと「神のご加護を」になってしまいますが、彼の通常の演説では、
I love you.
God bless you.
のように言いますので、まさに「ありがとう、あなた大好き!」のような響きです。普通、自分のことを本当に心配してくれる人からだけ、このような言葉をいただきます。「あなたのご発展を確信しています、だって神様があなたを祝福していらっしゃるのですから」という意味に、いつも私は感じています。
日本のマスコミでは「CHANGE(変革)を訴え、とても演説がうまいオバマ氏が勝利した」と伝えています。もちろん表面的にはそうなんですが、それ以上に、オバマ氏の演説は、デンタツの内容も、質も力も本当にすばらしいものです。原文は以下にありますので、じっくりと読まれることをお勧めします。
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経済摩擦の背景
2008 年 10 月 27 日
このタイトルは、今から20年以上前、当時名古屋大学の教授でいらした飯田経夫(いいだ・つねお)先生(1932~2003)が読売新聞の夕刊(全国版)に書かれたエッセイのタイトルだったと記憶しています。先生は、日本バッシングが強い中、日本楽観論(強さ)の立場を貫かれた論客の雄でした。このエッセイは、後に通信添削などを行うZ会の現代国語の模擬試験問題にも使われました。
なぜ、そのようなことを覚えているかと言いますと、ごくわずかしか流通してない小著「サバンナに生きた二年間」をたまたま大阪の書店で購入いただき、著書中の「アフリカと日本の文化の違い、類似性」に関する記述を、このエッセイで引用されていたからです。何のきっかけだったか、「私の文章がZ会の現代国語の模擬試験にのっている」と誰かから教えてもらったのです。
私の主張は、「確かに日本とアフリカの文化の違いはあるが、それは人間関係や社会生活をする上においては、小さな差でしかなく、実は類似性や共通性があるから、気持ちが伝わり、社会の中で生きていくことができる(できている)」というものでした。肌の色、言葉の違い、生まれや文化の違いなど、とかく違いばかりを強調する風潮が強い中、「違いばかり強調すべきでないのではないか、それよりなぜこんなに離れて住んでいる異なる文化同士も、問題なく交流できているのか、その理由を考察した方がずっと意味がある」というのが伝えたかったことです。
飯田先生のエッセイでは、私と私の協力隊での活動を紹介して文章を引用した上で「(アフリカの現地での生活のように)こんなに違うところで生活する日本人すらこのように共通点を体感している」「アメリカとの摩擦は、決して文化の違いではなく経済の差の問題だ」との論理展開をされていました。強烈に日本を叩くアメリカとの摩擦の原因を、米国流と日本流のビジネス・マナーや文化の違いに原因があるとする当時の大勢意見に真っ向から反論されていました。
現在、サブプライムローンの破たんをきっかけに起こったアメリカ発の金融恐慌は、欧州をはじめ世界に悪い連鎖を起こしている中、低金利政策を続けてきた日本の円だけが買われ、独歩高を続けています。ドルが下がるのは理解できますが、なんとほとんどの通貨がドルに対して大きく下落しているのです。
どんなに類似性や共通性を叫ぼうとも、経済は熱の伝搬のように、高いところ、低いところの差があれば、こぞってそこへ流れていくという、グローバル化が着実に進行し、年々、この伝導率は高くなってきているように感じられます。
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